なんでも、そうなんだろうが・・・・

 金曜日  朝、店を開けようとして、電動シャッターのスイッチボックスのふたを開けようとしたら、蓋がズルッと取れてしまった・・・・。
 つまり蓋ごと取れて、中の上下のスイッチボタンが丸見えになってしまったのである。
「ゲッ!」とびっくり。
 まあ、スイッチが丸見えだから、開けたり閉めたりするのは支障はないのだけど、店を閉めた後が・・・・・当然・・・困るわなあ・・・。
 丸見えなんだから・・ボタンが・・・。

 で、慌てて シャッターメーカーのコールセンターに電話したのであるが・・・・・。
 4.5年前に。この幅7メートルぐらいある電動シャッターの巻上げの調子が悪くて、地元のこのメーカの系列の業者に修理してもらった時に、目の玉が飛び出るくらいの金額を請求されたので、今回は蓋の裏側に書いてあるメーカのコールセンターに電話した。

 蓋の構造は、単純そのもので壁の内側にある内枠に、はずれた外枠にあたる蓋が、ちょんちょんと溶接されて一つのボックスになっていて、それが中の上下のボタンのプレートにネジ止めされているだけなので、素人でも簡単にそのボックスごと交換できる・・。
 で、ボックスだけ送ってくれ と頼んだのだが
 担当の男の人が出てきて
「大きさもわからないですし・・・営業のものを行かせまして・・・」と要領を得ない。
横で聞いていたかみさんが
「溶接でもしてもらったら・・」と言う。その声が向こうに聞こえたのか
「それ、ステンレスですから・・・なかなか溶接は難しいですよ!・・・とにかく営業マンを・・」
 と言うので、 かみさんを見ると手で 電話を切れ と言うので。
「ちょっと、こっちであたってみて。また電話します。」と切った。

 これねえ 某一流メーカーなんだけどね・・ふたの裏にコールセンターの電話番号は書いてあるんだけど、どこにも製品の品番が書いてないのよ。それで、担当の人に「大きさもわからないし」 といわれてもねえ・・・
 こういう対応をされると、端からこのメーカーは エンドユーザーには、つつかせないというポリシーなんだろうと思ってしまうね。

 それで、かみさんが知り合いに電話
「ステンの溶接って、できる?なんかねえ・・・シャッターのふたが取れて・・・」
と、かくかくしかじかと説明したら
「ステンなんか、簡単にできるって!今から取りに来てくれると」

 現場で溶接するのは難しいけど、取り外しがきく物を溶接の設備があるところへ持って行ってするのだったら超簡単なんだそうで・・・・。
 夕方までに簡単に治って取り付けました。それも 某メーカーの『ちょんちょん溶接』じゃなく『ベッタリ溶接』で。
 「これで、まずはずれることはないでしょう」と溶接屋さん。

 まあ、うちも一応店だからねえ・・・シャッターボタン丸見えじゃ、危なくって危なくって・・


↑この蓋ね、はずれたのよ外側すっぽりと・・・『ちょんちょん溶接』だから。その時の写真撮ってないから残念。

 まあ、うちで扱っている商品でも、修理と言えばほとんどユニット交換になり、昔のようにお客さん本位に対応してくれるところは、だんだんなくなってきているのは現実で、一抹の寂しさと腹立たしさを感じますが、今回のように、まだまだ地元に根付いて商売しているところにはコマゴマ対応してくれるところもあり、そのありがたさと温かみを感じます。

おどろき!桃の木なしの木山椒の木!

 昨日 3月8日 定期診察。
 定期診察の日の次の日に、書くなんて久しぶり。
 なぜかというと、何と あっ!と驚くようなことが起こったからです・・

担当医が開口一番
「なんか、このひと月で変わったことありましたか?・・なんかしましたか?」
と聞くので、不安になり
「いやあ・・・別にいつも通りに生活してたし・・歩きにもいきませんでしたけど・・」
というと
「クレアチニンも下がってるし、特に尿酸値が下がってるんで・・・ね」
「へえ~、良くなってるんですか?」
「クレアチニンが1.39 尿酸値が4.1 ・・すごくよくなってるんだけどねえ。」
「そうなんですか?それは・・・すごくよくなってますね。・・なんだろう?・・あんまり変わったことはしてないんですけど・・多少 水とか茶が増えたぐらい・・だと思いますけど」
と その時は ピンと来なくて思い当たる節もなかったのだけど・・・・
 帰る道々考えていたら、ひと月前と大きく違うことをしていることに気が付いた。

 正確に言えば、ひと月半前ぐらいから 『飲み物』 を変えてるのです。
私は、移植後 十分な水分を取らないといけないよと医師から言われて、日常 水か茶をのんでるのですが、水は飲みにくいので お茶をおもに飲んでるのですけど、このお茶は ウーロン茶を主に飲んでるのです。それも煮出し用のウーロン茶を自分で買ってきて飲んでるのです。
 退院してからですから、かれこれ8年近く飲んでたわけです。で、ひと月ちょっと前、この烏龍茶が切れかかったのでスーパーに買いに行ったのです。いつもの通り烏龍茶の棚へ向かってたところ、その手前の棚に紅茶の缶とティーバックがずらりと並んでるのがふと目に留まったのです。毎回烏龍茶を買いに来ているわけですから、そこに紅茶があるということを知らないわけではありませんでしたが・・その時なんか感じるものがあったのでしょう・・。
 「久しぶりに飲んでみようかな?」と思って リプトンの小さいティーバッグを烏龍茶とともに買って帰ったのです。
 年を取ったせいか・・・はたまた病気をしたせいで嗜好が変わったのか・・・香りと口当たりが気に入って、それから烏龍茶の代わりに毎日がぶ飲みするようになったのです。
 それから紅茶の銘柄も種類もいろいろ変えて、日に大体、何もいれず紅茶だけ マグカップで10杯前後飲んでる。
まあ、味わう・・なんて雰囲気はなく・・ただお茶代わりに飲んでるだけ!・・というものだけど。。

 『変わった』というのは、ただこれ1点なのです!。もしこれで、数値がよくなってたとしたら、驚き桃の木梨の木山椒の木!ですねえ・・・。
 で、このまま行って来月結果良ければ・・・ほんと目からうろこです!
 来月、期待です。。

▲血液検査の結果
 白血球 8400 cre 1.39  bun 21  尿酸値 4.1

 クレアチニンが 1.4を切ったのは、ここ2.3年の記憶にはないし、尿酸値の4.1というのは・・・・かってない数値じゃないだろうか・・。まさか計り間違い・・なんてことはないよね。。

 
 

さびしくなりました

  過日 亡くなった戦友にお線香をあげさせてもらいに、いつも会う知人と行ってきました。
あいにくの空模様で、小雨交じりの寒い日で・・・故人の涙雨だったのかもしれません。

 祭壇の写真は、元気な活発な顔の写真が飾られていました。
向こう意気の強い人だったので、今にも飛び出してきそうな生きのよい顔で・・・、病棟でワイワイガヤガヤやっていた頃を思い出しました。
 奥さんによると、去年の11月の半ばに大学病院に入院されたんだそうで・・・。

 血液疾患で闘病している人は、私を含めてですが・・、相当な回数の化学治療をし、そのうえに移植などをしているから、体にたいへんなダメーシを受けているわけで・・・その影響と体への蓄積は、データでは表しようもないし計り知れないものがあって、彼の体にもずいぶん蓄積されていたんでしょう・・。それが ある日突然大きな負荷となってのしかかってきたのではないでしょうか・・・。 彼は、移植後も何度も入退院を繰り返して、私より何倍もきつい治療を繰り返していたわけですから・・その負荷は、とてつもなく大きなものだったのでしょうから・・・。

 奥さんが、いみじくも こう言われてました。
 「いつの日か、副作用や後遺症のない治療薬ができるといい・・のに」と。

 帰りの車中で
「寂しくなりますね・・病院で会えなくなって・・」と知人に言うと
「そうよなあ・・・・顔見るだけで、お互い生きてるなあ・・とほっとするところがあったのに・・。この感じは、この種の病気になったもんじゃないとわからんからなあ。。」
「・・・・・・・」

 確かに、この種の病気を抱えている人は、 誰も完全に治って病院通いをしなくてもいいようになる・・なんてことを考えてはないと思うから・・

 いつかまた再び・・・という恐れを抱きながら、通院して戦友たちの顔を確認して、お互いに安ど感を覚える・・・これがずっと続いてきた。彼とは7年余り・・・。

 「寂しくなった・・・・、もうあとGさん入れて3人に・・なってしまったなあ」と知人。

 そう・・当時の病棟仲間は、あと3人になりました。

   あらためて ご冥福をお祈りいたします。

 

戦友が・・・

 今日 昼近くになって、今も病院へ行ったとき会う移植当時の入院していた知人からメールをもらった。メールには
「○○さんが、亡くなった。今朝の新聞に出ている」と。

あわてて、地元新聞の訃報ページを見た。
そこにはまぎれもなく彼の名前があった・・・・。呆然とした。
私より一つ上なのだけど、たぶん生まれ年は同じだと記憶している。。

去年遅れあたりから、前述の知人と病院で会うたび 
「○○さんと会わないなあ・・・どうしてるんだろう?」と心配していたのだが・・・

私たちは、当時入院して闘病生活を送っていた仲間を『戦友』と呼んでいる。
病気になってあのつらい闘病生活を送った人にだけわかるこの戦友の名。
 退院して、時折通院する中で確認しあう顔。
この戦友たちの顔を確認しあうのが、生きている証と安ど感を生み出すのであったが・・・またその一人が逝ってしまいました。残念です・・。
 
 彼は、私に このブログでも書いているが あの不運の牝馬 カワカミプリンセス のバスタオルを贈ってくれたし 歩き遍路をしているときには 般若心経を織り込んでいるバスタオルも送ってくれた 人をおもいやる感情豊かな人でした。
 骨髄腫という私とはまた違う血液疾患と長い間闘い続けていました。
移植もしたし、サリドマイドの薬も飲んだし、新薬もずいぶん試して・・・・ 私が 造血幹細胞移植した 2004年から病棟が同じだったですから・・・7年余りの長い年月を苛酷な治療で闘ってきたのです。辛かったと思います・・が、私たちには、そんなそぶりは一切見せませんでした・・・。その分、なおさら残念な気持ちでいっぱいです。

  長い間の闘病、よく頑張ったと思います。安らかに・・・。
  ご冥福をお祈りいたします。合掌

定期診察

 2月2日 前日雪で、四国でも高速道路の通行止めがあり、起きてみると雪が舞っている。
どうしようか?と迷った挙句、定期診察へ。
 所々で雪に見舞われたが、心配するほどのこともなく高速をおりて久しぶりに温泉へ。
寒い時の温泉・・これは効くんだよねえ・・。
 ここんとこ、病院へ行く前に温泉に寄らないから 一つだけちょっと困ったことがあって・・・。それは何かと言うと 診察の時に計る血圧の数字がすごく高くて・・・上が150を軽く超え 下も140近くあって・・・担当医が、薬を増やしそうというか・・12月から増えているんで・・これ以上飲みたくないし・・と。寄っていくことにした。

 入った後 温泉備え付けの血圧計で計ると 上が110の後半 下が80代前半 になっている。しめしめと病院へ。

 案の定 担当医が計ると 128の88でした。ホントはこんなことしちゃダメなんだろうけどね・・。まあ血圧の薬は飲んでるし、冬場だから血圧は当然上がりやすいから・・あまり高い!高い!と言われるのも嫌な気分になるので・・自衛自衛。。

 血液検査の結果 珍しく白血球の数値が8000を切り 7600.前回 10000を切り今回は7600です。移植後ずっと10000を切ることがなく・・・八年目にしてやっと普通の人と同じぐらいの数値に戻ってきました。  
 ということは、治ったんだろうか・・・。

クレアチニン 1.57 尿酸値 6.0 。尿酸値も劇的に下がりました。
 治ったんだろうか?ねえ・・・

▲眼科 2か月ぶりの眼科。
前回と変わりなく、目に炎症もない ということでした。
「こちらに来ては、目に炎症もなく変わりなく来てますからこのままの状態をいじできればいいですねえ・・」と眼科医。

 ホント大学病院へ変わっては、一回も悪いことを言われたことがない。変わった当初から 
「このままの状態で、急変がなければ2カ月に1回の診察でもいいですよ」と眼科医に言われるのを
「内科に必ず ひと月に1回きてるの診ていただきたいのですが・・」とお願いして診てもらい それでも 半年後の秋口から 状態に変化がないようだからと2カ月に1回の診察になった。

 状態も変わらず、いい意味で経過しているからそれはそれで、よいのだけれど 
 「じゃあ 今までの病院の眼科の医者は何なの?・・」 と私としては思いたくもなり釈然としないものが残る。
 所詮 田舎の病院の医者・・と言われればそれまでなんだけど・・でも 一応 某国立大学から派遣されてきている医者なんだけどねえ・・この医者にかれこれ足掛け4年以上みてもらってた。行くたび まだ炎症があります、来月 また来てください、この繰り返しが4年も続いた。。それまでもう15.6年近くその病院で診てもらってきたけど、それまでの医者も 入れ替わり立ち替わりその某国立大学から派遣されてきた医者だったが・・・そんなに悪い印象はなかったんだけど・・・・。結局、あの医者が・・・ということなのか・・。

 嫌だねえ・・。リンパ腫の移植後退院して、こちらに通うようになったときに、こっちの眼科に変わっときゃよかったなあ と つくづく思う今日この頃。

でもどちらにせよ、視力の衰えは隠しようもなく・・・ 11日(土) 伏見稲荷に行った帰りに 久しぶりに淀の競馬場に寄り、生の馬を見てきたのだけど、パドックはまだしも コースのゴール前の馬のゼッケンがもはや 数字がにじんで見えなくなっていて・・つらくなりました。
 もう中央の競馬場に来ても、雰囲気しか味わえないのかと・・がっくりして帰ってきました・・・・・。