2月に他界した父の新盆である。
新盆を迎えるにあたっては、いろいろしきたりがあるらしく、8月になって右往左往する始末・・・
最後まで父とは 意志の疎通がなかった。
本人も まさか死ぬとは思ってなかったからか・・
父の心を覗くことはできなかった。右足と両手はリューマチで、自由に動かすことができない状態で、不自由を承知で一人暮らしをしていた。
母は、介護施設に2年ほど前からお世話になっている。
母は、それ以前から体が悪く、病院を転々としていて、最後に今の介護施設に・・・。
私が、大学病院に転院するとき、
「もう、だめかも知れない・・お袋のことも面倒見れないかもしれないから、覚悟しておいてくれ」と、電話で言ったら
父は、一言
「わかった」 とだけ言った。
私が大学病院に、入院している間、一度も父が顔を見せることはなかった。
一時退院とかで私が、実家へ顔を見せに行っても、父とはあまり話すこともなかった。
さすがに私も、移植前に親が顔を見せないのには、がっくりきたものだけど・・
退院しても、あまり話することもなく、お袋の病院の転院も介護施設への入所も私には一言の相談も報告もなく父がひとりで不自由な体でやった。
あの時、父の中では 息子は死んでしまったのかもしれない。
治るやら治らんのやらわからん息子を待つより、自分が妻の面倒を見ないといかんという気持ちが強かったのか・・
と最近思うようになった。
明日、お墓で迎え火をたく。。
新盆
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