移植後12年目突入・・

今日6月3日で、造血幹細胞移植後12年目にメデタク突入・・。

ここ3.4年は、いろいろ他の病気に悩ませられながらも、悪性リンパ腫に関しては順調な経過をたどってるようで担当医もあまり再発のことについてはふれなくなり・・一応すこし安堵している次第。

まあ、他の病気については、年相応で出てくるものもあるだろうし・・仕方ない一面もあるとおもっている。リンパ腫になったとき、まさか何年も生きられるなどとは到底思ってもみなかったから、毎年毎年移植の日を10年以上も迎えられているのは本当に嬉しい。

後発医薬品と調剤薬局

先日も、厚労省や財務省が 後発医薬品の利用促進とかかりつけ薬局の推進の方針をうちだしてましたが、それをするなら先に調剤薬局の管理、指導を厳しくしてもらわないと利用する患者はたまったものじゃあない・・。

 調剤薬局の中には、とんでもない所があるからねえ・・。

私が最近経験したなかでも一番ひどかったのが、薬の量を勝手に変えられたこと。

血圧の薬をもらってるのだけれど、去年まで正規の薬だった。ところがお上からの指導もあったんでしょうなあ・・。今年の診察で担当医から「後発でどうですか?」と言われ、前々から調剤薬局にも勧められてたから、いいですよとなったわけ。

 で、件の調剤薬局でもらって帰った。その日はまだ薬が余ってたので気にも留めなかった。翌日、「さあ、飲もう・・か」と、薬を出してみたら、えらい量が少ない・・なんで?と薬をよくみたら・・

 いつももらってたはずの血圧の薬は 2.5mg 2錠 1回 だったのが、5mg 1錠 1回になってるのよ。私の場合、血圧の薬を続けていると急に一気に100を切ることがあり、その場合服用を止めるか1錠にして様子を見るということを医師から言われてたので、これは困ると・・電話したわけ。

 そしたら,その調剤薬局の責任者の薬剤師が出てきて

「ジェネリックに関しては、医者に連絡せずに薬剤師側で量の変更ができるんですよ。これは法律でみとめられてるんですよ。2.5mgを5mgにしたらなにか不都合でもあるんですか?」とこういいやがった。なにそれ?

 いままで正規の薬品もらってたときは、医師の処方箋どおり出しておいてて、ジェネリックになったとたん、法律で認められてるから勝手に自分とこの都合の良いように変える。患者には説明もせずに確認もせず渡すと、全く信じがたいことをするし、この言い分が全くひどいもので。この調剤薬局の経営方針やこの薬剤師のモラルにはあきれ返りました。この調剤薬局は大手チェーンですから、このチェーンの本部の指導もこんなんでしょうねえ。

 後発だろうが先発だろうが、医者の処方箋あってのもので、これをわれ勝手に解釈するような調剤薬局が出てきてもらったら困りますね。まかり間違えば生死にかかわることですからねえ。こんな解釈してたら 医者なんか要らなくなりますよね、極端な話。

 結局2錠に変えてもらったんだけど、すぐには手に入らず対応も悪く薬が手元に届いたのは、電話して2日後でした。

 厚労省や財務省が「後発医薬品の利用促進」を声高に叫べば叫ぶほど、こういうどうしようもないレベルの調剤薬局が増えていく可能性が強いわけで・・。厚労省には 調剤薬局のレベルをA,、B、C のランク付けするか、ここは薬品を何回間違えたか?とかというのを全国レベルで毎月とか2ヶ月に1回とか公表して、厳しく管理指導してもらわないと利用する患者はたまったもんじゃないよ、全く。

 

すい臓がん

亡くなったおふくろは、すい臓がんでした。

去年の11月の半ばに見つかり、その月末に亡くなりました。88歳でした。

わかって2週間あまりでした。

すい臓がんは、「見つかりにくい」という話を以前から聞いてましたが、まさかここまで・・とは思いませんでした。

お袋は、親父が亡くなる前から特別養護老人ホームに入所していました。入所した当初は 要介護5でしたが、亡くなる4年ほど前から要介護4になってました。なぜ 5から4によくなったかはわかりません。私から見れば、お袋は同じような状態にしか見えませんでしたが・・・。

 お袋は、入所した頃から少しずつボケが始まってましたが、身内から見ればそんなに認知症が進んでいるようには見えませんでした。去年の年明けからお袋がすこし不機嫌そうな様子を見せることが多くなり、「どしたんだろう?」と、私の施設に来る回数の少なさに腹を立てているのかなあ・・と思ってました。今思えば、このときにはすい臓がんがだいぶ進行していたのじゃないか・・と。

お袋は、晩年身体が不自由になりましたが、芯のしっかりした気丈夫な人でしたから、元気な頃から弱音を吐くところなど私は見たことありませんでした。陰では吐いてたかもしれませんが・・。ですから施設から「ちょっと様子がおかしいから・・」と連絡を受け、病院へ行って診断結果を聞き本当にびっくりしました。施設から付き添いで来てた看護師は新人でそのとき初めて会った人でした。

 診断結果は、酷いもので、すい臓以外の内臓にもガンが転移しており「年明けまで、持つかどうか・・」というものでした。

お袋は、私が病院に来てくれたのが嬉しかったのか、にこにこ笑ってました。

「母ちゃん・・痛いんか・・」と聞くと

「・・痛い・・」と言いながらも にこっ と笑おうとしてくれました。

 

医者は、もう高齢だし手術や抗がん剤治療しても・・ご本人が痛いし苦しむだけだから・・というし、私も少し痴呆があり身体が思うようにならないお袋見てると・・・・緩和医療を選ばざるをえませんでした。

緩和病棟に移って、2.3度食事がとれただけで、あとは本当に静かに眠るように逝きました。移って10日目でした。

 医者の話だと、相当前から悪かったはずだろう・・が、ということでしたが、施設では気づかなかったようで・・・。一応、定期検査に他の病院には連れて行ってたみたいですが・・。・・わかって半月も持たない状況まで・・気づかないんですかね・・・。

 お袋の不機嫌なのは、病気だったのか?と気づかなかった私が悪いんですが・・

なんとも未だに釈然としないものが・・心に残ります。

 

癌との闘いは・・

昨日、今日と 俳優の今井雅之氏 今いくよさんの訃報に接して、あらためて癌の闘病のきつさと苦しさを感じました。

私は運よく今も生きている事ができてますが、いつ死んでもおかしくない状態でしたから今井雅之さんの記者会見を見たときは、胸の詰まる思いがしましたし、確か2.3週間前に「徹子の部屋」に今いくよ、くるよさんが出演してたのを覚えてますが・・「ああ、元気になったんだ。。」と思ったのですが・・さすがに今朝の報道で、いくよさんが亡くなったのには驚きました。私の若い頃から、好きな漫才師のコンビだっただけに残念です。

癌の闘病のつらさと苦しさは、なった者しかわからない部分があります。

お二人のご冥福をお祈りいたします。

 

還暦からのゴルフ、はじめました

かみさんが何を思ったのか・・一昨年の春からゴルフをはじめまして・・・。

手ほどきは、ゴルフ練習場のレッスンプロに教わり黙々と練習に励みだし、知人と時々コースに出るようになり・・私にも無言の圧力でそれを促すようになり・・去年の夏から私も始めるようになりました。

といっても、若い頃・・それもずいぶん若い頃・・二十歳代の勤め人時代にチョロチョロっとかじってしてたときがあるので・・まあ・・ぜんぜん知らんわけがないので始めることにしたわけ。

それと、去年の春先から足の先が少しの痛みとともにジンジン痺れるようになって・・歩きへんろもすこし億劫になってきてやめてたので、足のためにもやってみようか?・・と。

だけど、はじめるにはクラブがいる・・かみさんは、気合を入れてゴルフをはじめたので、初心者用だけどCallawayのそこそこの奴を揃えた・・。私はといえば・・もうだいぶ前に、クラブなどは処分してるから、何にもないわけで・・・・。

「どうしようか・・? 買おうか?」と考えてたら・・息子が

「父ちゃん、どうせ母ちゃんにつきおうて始めるんやから、いつまでするんか?わからんのやろ?」

「まあ・・な・・」

「だったら、アイアンはワシの使いよった奴使う?」

というので、息子のお古を・・・

世間一般では、親のお古を・・子供が・・というのが通り相場なのだが、うちは逆で・・。

で、アイアンは息子のお古、ゼグシオをもらう・・・

「ドライバーとウッドは、買うてな!」という。

うーん・・買う?新品?中古?

「新品買うてもなあ・・いつまで・・」 続くか・・自信がなかったのよ、その時は・・。還暦過ぎというより、もう62近かったし、持病をご存知のようにいっぱい抱えている身としては・・ねえ。

で、中古を・・と・・、が近くに中古ゴルフショップもないので・・ならば、ネットオークションで・・となり・・。

ところがこれがねえ・・抱腹絶倒の顛末が・・

(続く)