寒暖差の激しい季節に入ったようで・・・
昨日は暖かく、一昨日は寒く、またまた今日は寒い。
一昨日もそうだったのだけど、手先の循環が悪いようで早くもこの時期に、指が動かしにくくなってきた。
昨日は、気温の上昇とともに指の動きも調子良かったのだが、一転今日は・・という具合。
年とともにこの機能の反応具合は、酷くなっているように思え、うんざり。
温暖化で以前より暖かいはずなのに、体は逆に年々血の循環が悪くなっているような気すらしてしまう・・
気温と・・・
思案しながらも、8日の土曜日に、歩きに行ってきた。
なんというか・・・日ごろの行いがよいというか・・・朝から、というより前夜から雨でした。
「晴れの日ばっかりに、行っても修行にはならんでしょ」と、バス停まで送ってくれたかみさんが、ニヤリとしながら言った。
「それもそうだなあ・・・」といったものの、晴れてるほうがいいわなあ・・。
前回のジョイント地点、小松島の国道沿いのローソンから歩き始めたのだが、雨は一向にやむ気配もなく・・・気温も低い。
ポンチョ着て雨の中を歩くというのは・・・学生時代以来で、最初のうちはなかなかなじめなかったのだが・・幸いにも風がなかったせいか、体にまとわりつくことがなかったので、直になれて
・・・これなら何とか 一日歩けるかも・・・と
雨の中歩くのにうんざりしはじめた頃、18番恩山寺手前で「義経上陸の地」という碑をみつけ・・
「へー、ここに上陸したんか・・」と先達に聞くと・・あれやこれやと教えてくれ、四国にいながら屋島しか・・記憶になく、へええというか・・知らなかったことを発見できて、歩くのも悪くないかと・・・
恩山寺についたごろが、雨の一番ひどい時で、お経上げるのにも四苦八苦。その上時間帯が朝10時ごろだったので、2.3台の観光バスの団体お遍路さんたちと出くわしたものだから、狭いお堂前で雨をしのぐラッシュとなった・・
面白いもんですねえ・・・テンポの違うお経があちこちで、少しずつ遅れながら輪唱のごとく、唱えられるのは・・・
恩山寺を出ると、「義経ドリームロード」と名のついた山道を通って、19番立江寺を目指す。
「義経ドリームロード」は 小松島市内の 義経ゆかりの地10キロをめぐる道だそうで・・・
義経は 釈迦庵から恩山寺へ上ったそうなのだけど、遍路道はその逆のコースとなっている。
で ---また、坂道かよ。。---と、いやな気しながら、雨でぐじゅぐじゅする義経ゆかりの「弦巻坂」を登った。
意外と登るというほどの高低差もなかったので、皆に遅れることなく付いていけてほっとする。
それから止むことなく降り続く雨の中、仏足跡のある釈迦庵、お京塚を経て立江寺へ向かう。
釈迦庵あたりまでは、山道であったが、後はあまり起伏のない道だったので、少々小降りになりつつあった雨にも助けられて、なんなくクリア。。
後は 次回のジョイント地点 20番鶴林寺ふもとの参道の民宿前まで歩くだけ。。
歩くだけなので気楽に歩いていたら、最後手前の接待茶屋で、同行していたおばさんに声かけられた。
「その、ポンチョいいですねえ・・・ずっと朝から気になってたんですけど・・・どこで売ってるの?」
「これですか・・?これ、自転車用なんですよ・・長いでしょう?ズボンあまりぬれないんですよ」と初めて使ったんだけど・・教えてあげる。
「そうでしょう?ずっと見てたんですよ・・それいいわね・・」
と生地を触りながら、おばさん。
「どこで売ってるの?通販か何か?」
「いえ、そこらのスーパー」
「そう・・じゃあ、探してみみよう・・・でそれは?」
ずっと話する間、私がイヤホンをはずしてたので、どうもそれも気になったようで・・
で私が、ポンチョの前を捲り上げて見せると
「あれまあ・・・それ・・ipod・・?」とそのおばさんの連れの女性。
でその女性、呆れ顔で
「聞きながら、歩いてたんですか?・・・遍路もかわったわねえ・・」と
「そうなんです・・不謹慎きわまりないですが・・・」と私。
かくして今回は、さほど疲れもなく 18キロあまりを歩いて帰ってきた。
気温が低かったのと、大半が平坦路だったのが良かったのだろうが・・
次は 鶴林寺と太龍寺だからなあ・・・どうなることやら。。
いまさら
いまさら、一月以上前の「歩き遍路」の話をするのもなんなんだけど・・・次の歩きのご案内が来たもので・・・・思案しながら、振り返り。。
9月20日に、もう体も大丈夫だろうと思って歩きに参加したのだけど、やはりばててしまって、今現在までその疲れを引きずっている・・からねえ。。
でそのときの歩きは、15番国分寺と16番観音寺の中間点から歩き始めるというものだった。
行く前に偶々文芸春秋を読んでたら、 今年の春 作家の車谷長吉さんが 歩き遍路されたものの連載をされてたのを見つけ、3号に分かれてたのを一気に読んで、ニヤニヤしながら「ほほう・・・」と妙に感心してしまった。
その書かれてることが、ずっと頭に残ってるものだから、この日の歩きは、通過する道々、寺の門をくぐるたび、ニヤリとしてしまった。
16番観音寺 17番井戸寺と快調に歩いたのだけど、地蔵院で弁当を食べて、それから 旧遍路道の地蔵院越えの山道に入った。
これがねえ、たいした坂道じゃないのだけど、私にはとてもじゃにけど負担になったみたいで・・・
と言いつつ、明日、歩きにいってみようと思ってる。
天気も悪そうだし・・・・
結果次第で・・
周りかた、考えようか・・・
生と死
一ヶ月あまり、ブログも更新せず・・・・
何をしてたか?と言うと
結局、またもや八十八箇所でばててしまい、ジレンマに落ちてしまった。
16番17番とまた歩きにいってたんだけど、焼山寺以来疲れがひどく、歩き始めるとすぐしんどくなり、皆についていくのが精一杯で・・・帰ってきて以来、体調不良。
先週木曜日定期診察で、大学病院へ行ったのですが、担当医からやはりその事を指摘され・・・・
幹細胞移植の時に、大量抗がん剤を投与したのですが、その前最初にリンパ腫を発祥した時からの抗がん剤投与の継続使用によりその蓄積は相当なものがあり、すでに移植前には腎機能は正常よりだいぶ数値は低下していたそうで・・・・その時点で生存率は・・だったそうです。それが奇跡的に成功し、それ以来、私の努力もあり多少改善してたのが・・・あの焼山寺行きにより大幅に悪化。。
担当医から
「歩きもねえ・・・無理しない方がいいと思う。抗がん剤投与による慢性腎機能不全・・移植前からそういう状態だったんだから、いまさら悪化するような事をしないでも・・・これ以上悪くなると一気に行くよ!」
と言われてしまった。
まずだめだろう・・と言うふうに地元の主治医に思われお手上げ状態で、大学病院に送られ、 当時の主治医に「助からない、もし可能性があるなら移植しかない」といわれてスタートした闘病。
ほとんど可能性が無かった生存に奇跡的に成功して復活して・・・
日々健康管理に注意しながら4年。
生かされたのだから、八八箇所を巡ってみよう・・死んだ親父やおじさんの為にも・・と思って始めたら・・・逆に自分の弱いところをなお痛めてしまった。。
「生と死」
復活した事が奇跡ならば・・・今現在は何だろう?生きる事に対する試練なんだろうか?
奇跡的に助かったのだから、100%元に戻るなんて贅沢な事を考える事事態が甘いのかもしれない・・・生に対する冒涜なのかもしれないが・・・
以前の状態に戻ったと・・思いたい・・・が、
助かりさえすれば。。思ってた頃を振り返れば・・人間とはなんと横着なものなのだろうか。。
・・死することより、生きていく事の方が何倍も つらいのかもしれない。。・・
「そうだなあ、ちかじかPETしてみたほうが・・」と・・・担当医
定期診察
昨日、定期診察日。
暑くもなく寒くも無くなったせいと、バースデーキップのせいで、さすがに疲れており、温泉パスして大学病院入り。
「最近、なんか変わったことは?」という担当医に
「2.3日ちょっと遊んでました」というと
「過度に疲れをきたすようなことは、できるだけ避けたほうがいい。腎臓のためにね。」というので
「今週末に、また歩きに行きます。・・・・」
「どのくらい?」
「14.5キロぐらい・・・・・」
「けっこうあるね・・・・とにかく脱水症状にならないように・・高血圧だし、高血圧も腎臓には悪いからねえ・・・」
「どのくらい飲めば・・?」
「歩きで、最低1L・・スポーツドリンクのほうがいいとは思うけどね・・」
ということで、帰ってきた。
とにかく腎臓の数値をこれ以上に、悪くしないように・・ということだった・・
▲血液検査の結果
白血球8300 HGB13.3 PLT 23.8
CRE 1.5 BUN 22 UA 8.6
血圧146-85
☆先日 誕生日にロウソクを、知人からもらった
「絶対、火・・点けてくださいよ!」といわれてたので
少し暗くなってから点けてみた・・・。
そしたら なんと、その乳白色のロウソクが、時間とともに透明になって底のプレートが見え
「happy birthday」の文字がくっきりと見えてきたのである。。
「へえー、こんなのあるのか・・」と感心して、火を消したら
またもとの乳白色のロウソクに戻ってしまった・・
これにはびっくり
「使い捨てじゃないのか・・・・これだと、何回も使えるなあ・・」
こりゃあ、使えなくなるまで 生きろ! というメッセージなのかもしれない。。と手前勝手に解釈した次第
◆ このロウソクの合間に 外見てたら、台風のせいか、空はすごい色の夕焼けで・・・