坪尻駅

  この連休、当初は歩き遍路に行こうと思ってたのだけど、前回予想もしない雨にたたられ、2日間雨の洗礼を受けたので、天気予報を見ただけで、気持ちが萎えてしまった。雨を恐れてては、遍路なんてできようもないのだが、雨の中びっしり歩いたら・・・・やっぱり避けたくなるもの。。

案の定、昨日はびっしりと雨。 やはり行かなくて正解。少し後ろめたさもあり、今朝の晴れた空を見たとたん、「どこか行ってこよう・・・」と思い
 坪尻駅 へ行ってみるか・・・となった。
 坪尻駅は 秘境駅の中でも人気が高いスイッチバックの駅で、土讃線の阿波池田寄りにある。標高約210メートル。標高だけならたいしたことないのだが、ここが特筆なのは、周りが山に囲まれていて、駅が谷底のようにあるという点と周りにめぼしい家がないから駅に続く道というのが、山道というか遍路道のような道しかないということで実に興味を引く駅なのである。

 子供の頃や学生の時、何回かこの駅を通過した思い出があるのだが、一度も下りたことがないので、今回、唯一国道とつながっているという山道を利用していってみることにした。マムシが頻繁に出没するといういわくつきの山道なので、愛犬ふくと一緒に行くことにした。
 
 11時半過ぎ、ふくと車で出発。
 65番三角寺から66番雲辺寺の中間に椿堂があり、そこで国道192号線に合流するわけだが、この国道を走って阿波池田まで行くわけだけど、椿堂から徳島県境にある境目トンネルまでの間で、4人の歩き遍路に会いました。この時間だと今日は、観音寺どまりかなあ・・・などと思いながら運転したのですが、どうも見てしまうと居心地が悪い。
 池田、現 三好市から国道32号線に乗り、箸蔵寺のロープウェー乗り場を過ぎて少し走ると、坪尻駅の看板があり、それには←600mとかかれており、その下、祠の前に車を止め、降り口を捜すが見当たらないで、ふくをつれてうろうろしてると、若者二人が車に近づいてきた。彼らも降りるつもりで捜しているみたいで・・・・。もう一度捜してみると、看板の手前10mぐらいのところのガードレールの切れ目のところに降りる道があった。ここの標高が300mちょっとらしいので、標高差90mをほぼ真下に、ジグザグ道をおりることになる。
 若者二人が、前を行ってくれたのでマムシの心配はあまりしないで下りることができた。若者よ、ありがとう。
 

下りると、線路手前に、廃屋がありこれを見るとさすがにちょっと不気味さを感じる。

 線路を渡り駅に入ると 二人先客がいて、私と若者を入れて5人になった。
正直ビックリした。こんなにいるとは思わなかった。さすが、人気がある駅だねえ・・と感心。
しばらくして、一人が山道を登って国道方面へ帰っていった。
 坪尻駅も、最近は普通列車も全部が止まるわけでもなくなったので、国道から降りる直前列車の音を聞いた12時台と13時台と14時台と午前10時台、上下あわせて昼間がこの4本だけで 後は朝か夕方になっている。12時台のが間に合わなかったので、ちょっとがっかりしたが、駅舎の中と外には、通貨列車の時間が掲げられてある。これうれしいね。列車見に来た人にとっては。。

  

これを見ると13時17分、13時30分、13時56分が 1時間以内にあるのがわかり、坪尻駅発着列車は13時57分、とすれば13時台は。たぶん特急列車。その後が普通列車2つが線路上に並ぶだろうということが予測されたので、13時57分の列車を見て帰ることにした。

若者に ふくと一緒の写真を撮ってもらう。

 多度津側から 本線を走る特急南風 

阿波池田側 本線を走る南風

多度津側

阿波池田側  こちら側がスイッチバックになっているのだが、だいぶ以前に本線の改修がおこなわれ、特急など大半の列車がスイッチバックを使わず素通りしている。

坪尻駅 ホーム側

ホームへ入ってくる 上り 多度津行き普通列車

ホームの上り普通電車と本線の下り普通電車が並ぶ 13時56分

晩秋で、谷底にある駅なので、日のかげりも早く、影の部分があっという間に増えて、夕方を思わす。
最初からいる人が
「本当はこの駅は、ホーム側から国道の人たちのために作った駅ではなくて、駅の玄関側の山の向こうに2.30の集落があって、その人たちのために作ったそうなのですが、いまや全然利用しなくなったそうです。ぼくは、今日そっち側から来たんですよ」と話してくれた。
「えっ?、道あるんですか?」
「国道側の道より、もっとひどい道ですよ。獣道みたいで・・・・・その上、マムシも出るし、帰るのおっかなビックリですよ。そうそう・・・この駅、今年度で廃止にするという噂があるんですが知っていますか?。なんか、大歩危で、離合を全部捌くようにするとかで・・・・・」
「そうなんですか?・・・マニアだけではね・・・どっちにしてもいずれそうなるのかもしれないですね・・」
「まあ、それもあって今日来たんですよ。子供の頃、この駅よく通過したから・・・。面白かったですよね、あの頃の

晩秋

 先週、定期診察。
やっと山も色づき始め・・・・・、近頃は11月の声を聞いても秋らしくなくなって、以前にまして季節の区切りがなくなったような気がするのだが・・・大学病院の構内もまだ、そんなには色の変化もなく。。
 血液検査の数値も大変わりはなく、高値安定。。
定期診察に来て、数値を確認することで、ひとつの安心感がある。と最近は思えるようになってきた。
現状維持さえできてれば・・・・と

▲血液検査の結果
 クレアチニン 1.5 BUN19  尿酸値 8.5

★馬の話
カワカミプリンセスが引退するそうだ。
牝馬6歳

このブログの2006年秋 エリザベス女王杯のときにも書いた馬である。
無敗のオークス馬。
デビュー以来、秋華賞まで負けなし、エリザベス女王杯で一着降着。それ以降一度も勝つことなく3年・・明日引退するそうだ。
私は、この馬のことが好きで、あの一着降着の時、ずいぶんJRAの裁定に憤慨したもので、すぐに引退繁殖したらいいのに・・と思ったのだが、あにはからんや彼女はその後三年間も走り続けた。

 人間一度挫折したり、躓いたらなかなかもとの所まで戻るのは大変しんどいもの。病気だって同じで・・・。
馬にそういう思いがあるのかどうかわからないけれど、あれは私から見たら完璧な一着で、本人(馬)だって生まれつきの競走馬だから、そう思ったに違いない。が意に反して13着になった。人間だったら間違いなくクサル・・と思う。それでも3年・・・走らされた。彼女には繁殖に上がって、よい子を送り出してもらいたいと思う。
 本とは、あの降着の時点で引退してもらいたかったけど・・・。

 今年、同じようにブエナビスタが、秋華賞2着で降着になった。カワカミプリンセスの時とは全然違うけど、これでこの馬も痕を引くなあ・・と思ったら、いろいろな見方はあるけれど エリザベス女王杯で想像したとおり敗れた。

 なかなか復活するのは難しい・・・・ものである。。

40番観自在寺・・愛媛入り

 10月25日 朝起きて足の裏を見る。
まあ。一晩で治るわけもなく、豆はつぶれ皮が捲れてる状態は変わらず。
包帯でテーピングして足の裏を締める。
もう宇和島は無理だろうから、せめて40番までは・・・・と、7時前に出発。
空は今にも降り出しそうな雰囲気。

遍路道は、宿毛の街を出てすぐ山に入り松尾峠をめざすのだが、道自体は狭いほんとの山道で登りはそうでもないのだが、少しでも下りになると足の裏に小石が当たり痛い。登りの中ほどまではみかん畑などもあり、のどかなのだが、それ以降はぐっときつい登りばかりになり、相当堪える。
遍路道入り口から見た宿毛
遍路道入り口より宿毛の街を見る

松尾峠上り口の番所あと

松尾峠上り口

松尾峠中腹より 宇和海が見える

峠の頂上にさしかかる辺りで、パラパラと雨が降り出す。
なんか台風が来てるとか・・・・というのをテレビの天気予報で言ってたけど、・・・よりによってなあ・・。とぶつぶつ言いながら登る。

9時前 松尾峠に到着。県境である。
「やっときたか!」と思わず声が出た。高知県抜けるのに、なんと丸10ヶ月。
まあ、区切りうちだからねえ・・・。と言っても 私の場合 こま切れうちかもしれないけど・・・。昨日、ちょっと一緒に歩いた女の人ともそういって笑ったけど・・・。

松尾峠大師堂一夜庵前にて
松尾峠大師堂一夜庵

県境
県境

風の音と雨脚が強くなり、伊予へ駆け下りる。
なんてうまくはいかず・・・・下りだから足の裏に負担がかかり痛いの何の・・・・

ところで高知県側と愛媛側では ポンと違うことがひとつ。。
愛媛県側の遍路道
↑ これが愛媛県側の松尾峠から一本松町へ降りる遍路道である。ずーっと下りきるまでこれであった。遍路道というより遊歩道というほうがふさわしいような・・・・。宿毛から一本松まで約3時間ほど一人にも会わなかったけど、この道である。一日何人が通るんだろうか・・遍路を入れても片手か、ヤマ両手までだろうなあ・・・。
某首長以来、南予へは相当な公共事業費をつぎ込んでいると聞くが、こんなところにもそれをみてとれるなあ。。

一本松町の56号の交差点の駐在所で、道を聞く
年配のおまわりさんがわざわざ外に出てきて教えてくれる。
「40番への遍路道は、国道を渡ってまっすぐ道なりに・・・・、歩きよいのは左の国道をまっすぐだなあ・・」
「国道、歩道ありますか?」
「ずっと、続いてるから大丈夫だよ」
というので、国道を歩き始める。雨はパラパラ。
国道の歩道は、40番観自在寺の 上り口まで続いていた。たぶんその先も続いているんだろうけど・・・高知県の国道とは大違い。まあその分 公共事業費目いっぱいつぎ込んでるからなあ・・・。それがよいか悪いかは別にして、歩きやすいのは歩きやすい。

15分ぐらい歩いた頃、歩き遍路の同い年ぐらいの男の人に追いつかれる。
今回初めて、追いつかれ追い越される。見るからに足取り軽やか。。
 私の視界から消えるのも、そう時間はかからず、何とか追いつこうとするもこちらはもうすでに、とぼとぼ歩き。
 やっと40番観自在寺に着いたのが、1時前。着く前辺りから本降りになる。

観自在寺の納経所は、本堂の中にある。
今まで周って来たお寺のなかで、本堂の中にあった記憶がなく、珍しい。
本堂の中にしばらくいたのだが、参拝者の様子が見え実に面白かった。
長々と本格的にお経を読み納経帳を差し出す人もいれば、来ると手を合わせるだけで書いてもらうのが目的とそそくさと出て行く人もいる。まあどちらかといえば、というより圧倒的に後者のほうが多いけどね。。

 帰りがけ ご住職に 
「その色いいですね!目だって」と雨合羽の色をほめられる。
この上の写真の右端の緑色のカッパである。
・・雨合羽の色ほめられるというのもなあ・・・と、妙。

結局このお寺の前の 平城札所前から バスに乗り今回はここで打ち止め、帰ってきた。


    歩き遍路、雨の三日に、音をあげ
                          蹄鉄


 10月25日 宿毛~松尾峠~40番観自在寺

今日もGPSロガーの電源入れ忘れ、途中で電池切れ。
次からは、万全を期したいなあ。。


            本日の歩行距離 約18キロ

10月24日歩き遍路 39番延光寺へ

 昨夜、ぱらぱら降ってた雨は、依然として降ったり止んだり。
民宿の朝食でいっしょになった女の人と顔を見合わせながら
「まだ降ってるの?」と女将さんに聞くも、よい返事なし。
 女の人も、打戻で延光寺へ行くとのこと。お互い6時半の朝食である。
「私、足が遅いから・・早立ちしないと。。どっちから入るの?」と女の人
「どっち?」「真念庵まわり?県道ですか?」「ああ、もちろん県道。真念庵なんてとてもとても。」
というと
「私も県道。。向こうのほうが少し短いらしいけど、こちらのほうが歩きやすいというから」と笑顔。
 準備をして表へ。
女将さんが見送りがてら、空を見
「ぱらぱら降ってますね。これは・・本格的に降るかも・・・」と、困った顔をしながら
「お気をつけて。」と送り出してくれた。彼女のほうは、少し先に出発している。
民宿を出て5分もしないうちに大粒の雨が・・・・。

 今回、出てくる前に天気予報など調べて、最悪曇り一時雨程度の予報だったので、雨に対して本格的な準備はしてきておらず、持ってるのは簡易レインコートのみ。レインコートといっても腰辺りまでしかない奴。
 それでも着ないと・・・・とあわてて着る。リュックと軸は丸出し。
歩き始めると下ノ加江方向からの歩きお遍路さんと次々とすれ違う。皆合羽を着ている。
「おはようございます」と掛け声だけ威勢がいい。朝だから・・そのぐらいは・・。
そうこうするうち、土砂降り。
 下ノ加江川の手前を左に山側に5分ほど登って行った所に作業小屋がありその軒先にベンチがあったので、ずっと心配だったリュックを何とかせねばと休憩。菅笠からは滝のように水が落ちて・・・ズボンもほとんどぬれ足にまとわりつく始末。
 靴の中は水がはね、ピチピチチャブチャブランランラン状態・・・。
リュックの中はびしょぬれ。まだ泳ぐところまで入っておらず中のタオルが水を吸ってくれてるようで・・・。納経帳は万一を考えいつもナイロン袋に入れてるのでセーフ。めぼしいものをレジ袋にいれ、再び背負い、無理やりリュックの上から雨具を着る。当然短いからお腹のところが出る。仕方がない。服の中にレジ袋を破り広げて巻き込む。
 そうこうしているうち、先に出発した女の人が前を通る。
「あれえ~」と大きな声で彼女。先に行ってと手を振ると重装備の彼女はうなづいて足早に歩いていった。
 どこかで、重装備に着替えたんだなあ、彼女は。。
 
 空を見上げるも止みそうもない雲行き。あきらめて道路へ・・・出るとたんに菅笠を雨が叩く。
前かがみになり、金剛杖を持ち足早に歩く。

 県道21号線に合流、山越えして三原村へ向かう。足早に歩くも先行した女の人の姿は見えない。
そうこうするうち道は、県道なのに軽四一台が通れるぐらいの幅に狭まっていく。その上登り。
ほとんど車は通らない、というより通る気配がない。まして人など・・・・。
 ・・あってるのかよ?・・と不安になる。雨が降ってるから地図も取り出せない。標識もない。そのうち周りは林や木々の中に入っていき、真上を見ても空がわずかに見えるだけ。
 だんだん足早になる。7時前に歩き始め2時間ちょっと完全に山の中。雨も降ってる。

・・・しもたなあ・・先週来るんだった・・先週なら晴れてたのになあ・・修業の道場かあ・・・とぶつぶつ言いながら歩く。たまに会う車。すれ違うのに路肩やちょっと広くなった木の根元に退避するにも往生する。
 だいぶあきらめ加減で歩き始めた頃、狭い曲がりくねった道を曲がる時チラッとピンクのカッパを見つける。ほっとする。少し元気が出る。こういうとき人影を見つけると沸々と安心感が湧き上がってくる。
 「やっと、追いつきましたよ・・」と私が言うと
「私、10キロぐらいからペースが落ちるから、いつも朝のうちに稼げるだけ稼ごうと歩くんですけどね。今日はこの雨ですしね・・・・」と彼女。
それから、前後しながら2キロ歩くと通常の道路幅の道に出た。ただ、ずっと遍路小屋もなく・・・彼女の足はだんだん遅くなるので、私は先に行くことにした。そのころになって、雨も小降りに。


 山間の小集落で、背の高い男の人を追い越す。
「今朝は、どこから出たんですか?」と男の人
「久百々のいさりび」「僕は、安宿」
安宿か・・・前回私がお世話になった下ノ加江の宿だ。あんしゅくと言う。
少し話しながら歩くが、私のほうが早いみたいなので先を行く。
 それから30分ほど歩いたら、やっと三原村入り口の竹内商店という雑貨屋にたどり着いた。道を隔てた所に休憩所があり、そこで一休み。必死になって歩いたせいか、靴の中の水はなくなりズボンは半乾きになってきていた。雨は、時たまパラパラ降るぐらいになっていた。休んでいるとすぐ背の高い男の人が追い越して行き、15分ぐらい経ったころ、彼女が現れた。
 「あそこでね結局、道路際に座り込んでやすんでたのよ。」
「あの、大きい家のところですか?」
「そうよ、ずーっと歩きぱなしだったから・・・・」
「今日は、何処まで?」と私。「延光寺の嶋屋」
「まだ昼になってないし、それなら大丈夫ですよ」と私。
「あなたは?」「駅前」「平田駅?」「いや、宿毛駅」
「ええ?じゃあだいぶあるわね。」
「そうですね。先ほど聞いたんですが、この道を道なりに15.6キロ行って突き当たりの信号を左に曲がって、1キロほど行ったら右に折れる延光寺の参道が現れるそうですから・・」
と言って、先に休憩所をでた。
 あるき遍路用の地図はわかりやすいようでわかりにくい。歩きの道を強調するあまり距離感が正確じゃないので、最近は人に聞くことにしている。その方がわかりやすく教えてくれる場合が多い。

三原村役場近くで、男の人に追いつく。
「何処泊まりですか?僕は嶋屋」と彼。
大体、歩きで会うと大概質問は2つ。何処から来たか?何処へ泊まる?
どちらかである。
「駅前・・・といっても宿毛」
「えっ?じゃあ まだだいぶあるじゃないですか?」
「はあ・・・では、お先」と、足早に歩き始める。

 雨で靴の中がぐちゃぐちゃになって足がふやけたところに歩くペースを上げて過ぎてきたせいか、足の裏が痛み出してきた。若干痛みを引きずりながら、三原村の工業団地前の道路を歩いていたら、古い軽四に乗ったおじいさんが寄ってきて、
 「お遍路さん

歩き遍路・・・40番観自在寺・・やっと愛媛入り

 10月23日(金)~25日(日)まで 歩き遍路に行ってきた。
今回の歩きは、天気がこちらが予想してたのとは全く違う大荒れになり、3日目途中リタイアという憂き目になりましたが、何とか念願の愛媛入りをはたし、嬉しいかぎり・・・。
 高知県を抜けるのになんと10ヶ月を要したことになりましたが・・・・・ほんと永かった・・道のりでした。高知県には、たった16しか、お寺がないのにその間距離が400キロ近くあるわけで・・・、特に高知県南西部への道のり 36番青龍寺から岩本寺、足摺岬の金剛福寺、39番延光寺までの4つのお寺の距離が約200キロあり、これが特にきつい。修行の道場と言われるのが最もわかるところでもある。そして今回それを痛切に感じた歩きでもありました。

 23日朝早く土佐中村駅までJRででる。前回 盆開けのくそ暑い中を歩いて熱中症と脚の痛みに往生して、38番金剛福寺でリタイアしたので、今回は金剛福寺から40番観自在寺を経て宇和島ぐらいまで行きたいと思ってたのです。それで先ず出発点の足摺岬へ向かうとて中村へ。


 土佐中村駅 10:33 高知県南西交通バスの路線バスで 足摺岬へ向かう。
前回足摺岬から帰るときも、このルートを通ったのであるが・・土佐清水から西回りとはいえバスで1時間40分あまりかかるから、とおいちゃあ遠い・・。

 ビックリしたのがこの路線バス、結構人が乗っててねえ・・・・、鉄道がないからかなあ。
 昔懐かしい、子供の頃乗ったバスで荷物いっぱい持ったおばさんたちが乗ってた・・あれそのままの風景が・・・あって。

足摺岬に到着したのが、12時過ぎ。
今回から携帯をiphoneに替えてもってきたのだけど、なんと圏外。前回着たときドコモだったんだけど、通じたし周り見てもメール打ってる姿もちらほら。仕方がないから土産物屋に入ってお姉さんに聞く。
「公衆電話ありませんか?」と。お姉さん、私の片手を見ながら
「携帯壊れたんですか?・・山門はいったところにありますよ。」
そうだろうな?普通は壊れたと思うわな・・

金剛福寺の門をくぐると、右手に公衆電話があったので、家に連絡する。
最近、公衆電話使った記憶がない。
こりゃあ、ひょっとして今回苦労するかも知れんなあ・・・と嫌な予感。

太子堂を打って、今回の歩き出発。
前回熱中症でふらふらしてたので灯台も見ず、即帰ったので・・・灯台を見て出発する。

このあたりから すこし、曇りがちになる。
結局 39番延光寺へのルートは、打戻 三原村経由で行くことにし、下ノ加江へUターンすることにした。自分の足と相談すると、やはりこのルートになるなあ。。それでも 約55キロある。

昼食をとって歩き始めたのが、午後1時半過ぎ。
今夜の宿、久百々の民宿いさりびまで 約20キロ、半日では少々きつい距離なので、勢いつけて歩き出す。
3キロほど戻った大谷というところで、やっとiphoneつながる。がすぐ途切れ途切れになりこの先不安になる。
窪津漁港を過ぎる頃から雲行きが怪しくなり・・・空を見ながら脚を急ぐ。

「あっ、電池・・・」GPSロガーの電池切れに、やっとこの頃気づく。出がけに入れ替えてこなかったもんだから・・電池切れ。

以布利あたりに差し掛かり、前回通った遍路道をパス。あれは何ぼなんでも、今回はパス!と右目で無視。県道を歩く。
だんだん空模様が怪しくなり、あせる。

 大岐浜にさしかかる頃には日も暮れかかり・・・8月とは打って変わった日の暮れの速さ・・・。ますますあせり、大岐浜にも下りず急ぐ。

蟻崎辺りでは、もう真っ暗になり路肩を歩くも、歩道がない、当然街灯もないから、後ろからビュンビュン来る車を感じながら歩くから怖い。その上、ぽろぽろ雨が降り始める。
 結局、真っ暗な中を30分あまり歩き、6時過ぎに久百々の民宿いさりびにつく。

▲今日の歩行距離 約20キロ
時間がなかったためほとんど、県道と国道を歩いた。さすがに寝付きもよかったのか GPSロガーの電源を入れたままで寝たので、夜中の2時ぐらいまでカウントされててお粗末。

              
 10月23日 足摺岬 38番金剛福寺~39番延光寺 下ノ加江・三原村 打戻りルート 久百々 民宿いさりび まで

途切れてるところが電池切れ、民宿についた後ずっと動いてるのがおかしい。

ーーーー 歩き1日目 終わりーーー