ハイチ地震 募金

 今流行の twitterで、「ハイチ地震緊急援助募金」ができるので、参加してみた。

webサイトは 「クリックで救える命がある」
     

 以前のlolipopブログでバナーを貼り付けてたんだけど、このjugemになったら、自動的に削除されてたので、昨日あらためて左サイドバーに貼り付けた。

 手軽に募金できるので、暇人の私は、「クリックで救える命がある」を以前から時々利用している。

  無料でクリック募金された寄付は、NPO団体の活動を通じて世界の飢餓撲滅、途上国での教育・医療支援、環境保全活動など、さまざまな社会問題の解決に役立てられているということなので、お遍路修行中の身の私は、時々クリックしているのである。
 その上、今度はtwitterで、「ハイチ地震」の支援ができるということなので参加してみたのである。。

朝から雨

 「なあんだ!居たのかよ・・・・」と人の顔を見るなり、がっかりした声。
「ここんとこ、天気ええから行ってるのかと思ったけど・・・」 久しぶりに朝ふくの散歩で会った知り合い。
 「行きたかったんだけど・・・・・ちょっとなあ・・・いのししがなあ・・・・怖くてなあ・・」と私。
「ほうよ、ほうよ!、なんかこの間、ばあさん噛まれたというとったなあ・・この辺で・・」と、知り合い。

 うちの近くの山際の家のばあさんが、先日畑に行く途中、いのししにずたずたに噛まれたんだけど,気丈にも近くの病院まで、血だらけのまま歩いていったんだとか・・・・。皆、その気丈さに驚いたんだけど、思いのほか傷が深く、今は別の総合病院の無菌室で治療してるんだそうな。でそのいのししは、当然猟友会に退治されているんだけどね・・・
 とうまあこういう話を、そのばあさんの近くの家の人から聞いたから、ちょっとビビッてる所に、よく来る鉄砲打ちのおっさんが
 「あんたなあ・・今は危ないでええ、いのししは! 丁度発情期に入ってるからなあ・・妙な道にまよいこんで、会うたら、あんた!あのばあさんみたいになるかもしれんで!」
とさんざん脅すもんだから、躊躇するというかなんと言うか・・・・・。
 ましてや、今から山の方へ行くルートだからねえ。。

 と、いのしし騒ぎにかこつけて、歩きに行くのを先延ばしにしている感もあるんだけど。。

ブログのタイトル

 移植後、丸5年を経過し、これまである程度の波はあったものの、さしたる大きなこともなく順調に回復してきたので、今更「ただいま経過観察中!」でもあるまいに、と思い、ブログのタイトルを前向きに
 「Look Ahead・・・これから・・・」
 に変えることにしました。

 まだまだ、先が長い闘いではあるけれど・・あまり病気のことを考えずに、日々の生活を送りたいし興味のあることに首を突っ込んで行きたいから、気分一新!

土佐北街道の・・

土佐立川 経由 伊予 川之江までの街道を 高知から見て北山越えの土佐街道というらしく、一般的には 土佐北街道と呼ばれてるらしい。この立川と川之江の土佐本陣の位置関係が妙に気になり、google earthでちょいとその距離感を見てみたところ、下の立体図のようになった。

やっぱり、これを見てみると 立川番所から川之江の本陣までは相当な距離があり、高低差のある山をだいぶ越えないといけないのだが、これを一日で、 それも2500人もの行列が歩いて通ったとは信じがたい話ではあるが・・・史実はそうなんだから・・・人の足とは凄いものだとあらためて思うねえ。

土佐街道

 「龍馬伝」の放送をきっかけに、昨日近くの図書館で 土佐藩の参勤交代に関する郷土史家が書いた本を借りてきて読んでいたら、かみさんが
「ばあちゃんは、立川から歩いて嫁に来たというとったし、ちょくちょく里へ帰るのに歩いて帰ってたというで!」というので、聞いてビックリ。
 立川というのは、土佐藩の関所で立川番所のあるところ。土佐藩主が参勤交代で使った土佐街道の関所である。テレビドラマでは、龍馬たちが難なく通過できた土佐藩の国境側の最後の番所である。
 「ほんまか?・・・あれ、笹ヶ峰越えで?」
 ばあちゃんというのは、かみさんの父の母である。かみさんの爺さんところへ高知の大豊の立川から、歩いて嫁に来たんだそうな。義父の父の在所は伊予 川之江の山沿いの村であるから、どう少なく見積もっても35.6キロはある・・・。あの凄い山道を朝出て、夕方には着いたと言う話で・・・。
 この街道、標高1000メートルの笹ヶ峰峠を通って川之江側なり立川側に下りるから・・相当きつい道だと思うんだけど・・一日で行き来していたそうだ。義父も歩いて遊びに行ったことがあるそうだから・・当時の人の足の達者さというのには、感心させられる。ばあちゃんが嫁に来てたかだか100年ぐらいしか経ってないのに、この世の中の変わり方・・・。

 私などは、歩き遍路をし始めて やっと最近1日 40キロ歩けれるようになったのに、それも平坦地だからねえ・・。
当時土佐藩の参勤交代の本陣は、立川の次は川之江で、これは街中にあるから、大雑把に見積もっても50キロはある。土佐藩の行列は最盛期、2500人ぐらいいたと言われているから、あの山越えてきたとは・・自分の足から考えるととてもとても信じられるような話ではないのだけれど、実際はそうなのだから凄いとしか言いようがないし、龍馬もまたこのきつい道を、平気な顔をして駆け抜けていったのだろうか・・・。

 なんかこの歳になってはじめて、ちょっと前の時代に興味を持ち始めた・・・。
 歳なのかなあ・・・・