歩き遍路 春編 その3

 17日(土)急遽、歩き遍路に出る。ここ最近定番の日帰りあるきである。
この一週間は、天候不順で雨もしくはどんよりした曇り。前夜土日の天気を見ていたら、土曜は完全に晴れみたいなので急遽行くことにした。雨の中歩くのは、あまり得意じゃないし、嫌い・・・。知人に声をかけると「急には行けないよ~」ということで、一人で行くことに。まあ、ホントはそのほうが気楽。

 今回は、前回53番円明寺を打ち終えたので、円明寺から 今治へということになるのだけど、円明寺のある伊予和気駅は特急が止まらないから、便が悪い。
地図と時刻表をじーと眺めていたら、今治からまわったほうが都合がいいのでは?・・・と、思いつき・・。
 で・・・性懲りもなく、またまた禁断の逆打ちで行こうと・・・・。距離的にみて、55番南光坊54番延命寺を打ち53番円明寺まで、40キロ余り・・これなら歩けるだろう・・大半平地だし、迷うこともないだろう・・・と思い逆打ちで行くことにした。

 例によって、朝一の特急に乗り今治へ。7時過ぎに到着。快晴
駅にほど近い55番南光坊へ。
四国88か所で、寺の名がつかないのは、南光坊 ここだけ、その上、本堂も鉄筋コンクリート造り・・もここだけ・・というちょっと・・素人考えでは変わり種・・。
朝早いのにすでに団体客がお参りをしていた。大師堂が改修工事をしているので、本堂が大師堂を兼用している。・・・へんなの・・

54番延命寺の道すがら、多くの桜を見る。散りかけなのだが、まだまだ健在で、この時期まで見たという記憶はあまりなく、嬉しいような・・・はたまた地球の異常さを嘆くべきなのか・・

延命寺へは、逆打ちのせいか大きな霊園の中を突き切るように歩く。霊園の中で例のごとく迷いおばちゃんに遍路道のとっつきまで案内してもらう。

この日は、天気も良く暖かいからお参りに来ている人も多く、延命寺も参拝客が絶えない。

9時過ぎに、延命寺を出て 一路 和気を目指す。
大西町の星の浦海浜公園で 一休み。私の場合、特に平地を歩いた時には、1時間半から2時間の間に一度休憩をとると、足には丁度よく、調子がいいみたい。

大西町のはずれの県道の歩道沿いに、ずーとチューリップが植えられており・・・綺麗。

菊間を通り抜け、瀬戸内海をしばらく見ながら歩き、北条へは浅海というところから山越えで入るように遍路地図を見るとなっている。ところが、というかやはりというか・・・山の逆打ちは・・・・迷うのだ・・。
結局、山道でも車の通る道を歩いたのだが、下りになって、あろうことか・・・遍路道らしき道を降りてしまった。・・・それがすごい遠回りで、降りてきてがっくり。

↑遍路道がわからず、車道の山道を上がる。

 北条の中心辺りに入ったのが3時過ぎ。
5時前、堀江の入る手前の海岸で、夕日に照らされながら貝堀りのようなことをしていたので休憩がてら道路の上から眺める。

 和気に入って道に迷う・・・。幹線道らしきものもなく、方向感が定まらず・・町の人に道を聞くも、ややこしい説明ばかりで・・一時、反対側(松山側)に出てしまい、閉口。。円明寺辺りまで、やっと戻り、近くで遊んでいた小学生に道を聞き、円明寺に辿り着く。
当然、山門は閉じられており、前回打っててよかったなあ・・・と。

天気も良く、暖かく風もなく絶好の歩き日よりでした。が、やはり 禁断の逆打ちでした。迷うし、難しい・・・。

歩いた距離、40キロオーバー・・か?  GPS不調のため、推測値・・

▲gps 電池をエネループに変えてみたが、やはり北条あたりでプッツン・・・。
何か対策を・・・考えねば・・
55番南光坊 54番延命寺 53番円明寺 逆打ちgpsログ
 

定期診察

 昨日、定期診察。
一昨日、またすごい寝汗をかく。診察前日だったので、タイミングはベスト。
担当医が、「変わったことは?」と聞くので、
寝汗のことを、赫々云々と状況を説明すると
「うーん・・・・、血液データには、これこれというような変化はあまり見られないし、触診でも解るようなものはないねえ・・。熱あった?、・・」
「いえ、計ってませんから」と答えると、体温計を差し出される。計るも平温。
「寝汗は、リンパ腫の症状の中でも特徴的に出てくるものなんだけどね・・・、ただ・・発熱も伴うものだからねえ・・、ちょっと気になるなあ・・・気管支のリンパ節の腫れは、ずっとあるから・・・、PETで診るとよくわかるんだけど、まだ試験運転中なんで、5月から・・」
「じゃあ、4.5日すごい寝汗が続いたら来ましょうか?」
「・・・・うーん、気にはなるけどね・・2.3週間様子見てもいいんじゃないかなあ・・」
担当医の言うことは、よくわかる。リンパ腫は、対処療法しかないから・・・
「その間に、発熱を伴うものが続くようであれば・・・来てください・・」
ということで、少し不安は抱きつつも帰ってくる。

▲血液検査の結果
 白血球7000 LDH 153  cre 1.58  尿酸 8.6

歩き遍路・・・春編 その二

寝汗は、冬布団をかぶって寝ていたせい・・・というのに、やっと気づき・・苦笑い。
ならば、気候のいい時に遍路に行かねば・・と 4月3日(土)、11日(日)、歩きに行ってきた。
 四国に住んでいる者にとっては、実質値上げの民主党の高速道路の新料金には、開いた口がふさがらないが、・・いまさら呆れても仕様がないけど・・地方の公共交通機関の減便や廃止は年々ひどくなって・・、前回打ち終えた久万の大宝寺へ行くのに、思案投げ首。。
 結局、朝早く子供に松山のjrのバス停まで、jrバスの始発に間に合うように車で送ってもらう。
 大宝寺をスタートしたのが8時前。いい天気で、前回打ち終わったときと比べれば雲泥の差。ただ前夜零下まで気温が下がってたせいか、少し寒い。大宝寺の裏山の遍路道を越え、一度県道に出て、再び遍路道に入る。

45番岩屋寺へは、県道沿いの国民宿舎古岩屋荘際を通る道と八丁坂遍路道を通る道があり、
まあ王道を行くほうがよかろうと八丁坂を選択したのだが・・・・。これがなんと想像以上のきつい道で・・・・

少し前に積雪があったということもあり、急坂の遍路道は所々で小川のように水が流れてきていて歩きにくいわ、坂できついわ、倒木ありで・・・、八丁坂の尾根に着いたときは、息の荒いことこの上もなく・・・・茶屋跡の標もあり・なるほどなあ・・と。

この遍路道は、岩屋寺の上に出るから、八丁坂を登りきったところから標高760メートルの尾根伝いに岩屋寺の上に出て標高差約80メートルぐらい下ると岩屋寺に出る。下る途中に 白山行場、逼割禅定・鎖禅定があったのだが、年配のお遍路が果敢に挑まれていたので、ちらりと拝見するにとどめ、さらに下って本堂へ。

来る1週間ほど前に、年配の遍路が梯子から落ちて亡くなった、という出来事を新聞やニュースで知ってたので梯子を登るのをパス。
 八丁坂で思わぬ時間を食ったので、県道をひたすら歩く。
 途中で、野宿で周っているお遍路と名古屋から来たというお年寄りの遍路と一緒に浄瑠璃寺まで歩く。
 桜が満開でとてもきれい。

八坂寺へは、一人で脱兎のごとく。。

八坂寺を出たのがは、4時をとっくに回ってたのだが・・・、48番西林寺まで行けるかどうか?・・と思いながら、速足で歩く。
 途中、札始大師堂を道路越しにちらりと見ながら歩く。衛門三郎がお参りを始めたというところだそうで・・・。

↑札始大師堂

 腕時計を見るともうすぐ5時。重信川の中間から結局走りはじめる。なんともまあ菅笠姿の遍路が走るというのもねえ・・・
 あまりやりたくなかったスタンプラリー・・なんだけど。つい・・
西林寺山門をやっとのことでくぐり、むにゃむにゃと御経を唱え、一目散に納経所へ。
ぎりぎりセーフ。
御朱印をもらい、再び本堂へ。ゆっくり御経を唱え西林寺を後にする。

日が長くなったので、歩いてても気が楽。。
もう時間を気にせず、それからぷらぷら伊予鉄久米駅まで歩き、今日の歩き終わりとした。

▲gpsロガーの調子が悪い。岩屋寺ヘのログ
確かに新品の電池を入れてるのに、すぐに切れている。
今日の歩いた距離 37.8キロぐらいか?・・

☆☆☆4月11日(日)
前前から知人に、
 「一度歩いてみたいから、行くときには誘って!」と言われていたんだけど、何せ南予から久万辺りの道中は、人を誘って行けるような道ではないから、黙ってこそっと行ってたんだけど・・・。あまり、無しのつぶても悪いから、もう平地に入ったから大丈夫だろうと今回誘ってみた。
「日曜日、天気があまり良くないみたいなんですけど行きますか?」と。

とまあこういうわけで、少し雲行きの怪しかろうと思われた日曜日、朝早く2人して電車に乗った。伊予西条からバスで新久米へ。先週歩き終えた久米から2人で歩きはじめる。
 2人で歩くのは、最初始めた頃以来である。
 歩き始めは、快晴に近く知人は 「暑い暑い!」とすぐ上着を脱ぐありさま。知人は2回ほど車で周っており、2年ほど前リタイアをして、歩き遍路用の地図まで買って機会を窺っていたんだとか・・。車道のお寺への道はよく知っているのだけど、いざ一緒に歩きはじめると、だいぶ感覚が違ったみたいで、
 「車で来るのとでは、全然道の感じが違うねえ・・・」と感心ひとしきりの様子。

 順調に49番浄土寺から50番繁多寺へ。繁多寺で参拝を済ませたところでお接待を受ける。パンをいただいたのだけど、知人はいたく感激して
「ええ・・、こんなことしてくれるの?」と私に聞く。
「まあねえ・・車や団体で来る人には、お接待しようなんて思う人はいないよね。歩き遍路だけだね、してくれるの・・」と私。


↑49番浄土寺

 ↑50番繁多寺

 51番石手寺あたりから 少し雲行きが怪しくなる。
2人で歩くと、いつも一人で歩いているのと比べるとだいぶ勝手が違うののでしっくりこない。


↑ 衛門三郎の再生の石を貸してる(?)という案内・・なのかねえ・・ちょっと首をかしげる・・。
 石手寺を出て道後を抜け、さあどちらへ行こうか?と知人が言うので
「一草庵を見てみたいから・・」と私の希望で護国神社側の道を行く。
護国神社を通り過ぎてすぐ、一草庵

寝汗・・

 一昨日と昨日・・というか今朝なのか・・2日続いて、すごい量の寝汗をかく。。
気分がよくない。体調もすっきりしないのだが、それ以上に不安のほうが強い。

「気になるなら、病院へ行ってきたら?」とかみさん。
悪性リンパ腫を最初に発症した時も、再発した時も、すごい量の寝汗を4.5日続いてかいたから、そのイメージが強烈で・・・ひょっとしてという不安感が脳裏をチラチラ。かみさんも同じ思いなのか・・心配そうに言うんだけど・・。
 「うーん、もうちょっと様子を見てから・・・」と私。
こういう時、どうしても躊躇してしまう。行けばあっさり白黒はっきりするんだけど・・。
どうしても後ずさりしてしまう・・。

 ただ単なる疲れかもしれないし・・と

今度は、歩き遍路・・・ 春編その一

 28日 日曜日
 先週の連休にあきらめた歩き遍路に行く。先週は 2泊3日の予定を立てたのだけど、今回は日帰り。
 さて、2泊3日で歩く予定だった 内子⇒久万⇒松山市内 を日帰りでどう区切るか・・さんざん頭を悩ました末 出た結論は 夜中から歩いて 久万44番大宝寺まで行く。というものでした。2つの峠越えがあり、上りの苦手な私には、このルートは人一倍時間がかかるから・・・納経ぎりぎりまでにたどりつくことを目標にすると、約37.8キロを12時間、休憩を入れて14時間ぐらい・・・とみると午前3時。このぐらいの時間にでれば、行けるのじゃないか?と・・。

 というわけで、懐中電灯片手に午前3時チョイ過ぎ、内子駅をスタート。

平地はお手の物・・真っ暗な車も通らぬ国道を大瀬まで約10キロひたすら歩く、途中内子町営バスのバス停で一度休憩。真っ暗闇の中での休憩というのも・・なんとも・・微妙に不可思議。
 6時前、薄明るくなり始めたころ大瀬の街あたりに来る。大瀬の街へ渡る橋の手前で散歩中の老人を見つけ、大江健三郎の生家はどこかと聞くと詳しく教えてくれる。教えられたとおりに、ぷらぷらとよく整備された古い街並みを見ながら歩いていたら、教えてくれた老人が生家の前で待ってくれた。
「ここですよ!ここ」とわざわざ先回りしてくれてたのである。びっくりしたものの丁寧にお礼を言って頭を下げた。ホントびっくりした。

 下の左から2番目が生家

 内子町営バスのバス停は、綺麗な山小屋風の待合所になっている。こういう待合所が整備されているから歩き遍路にはもってこいの休憩所になる。お遍路休憩所をバス停にしたのかとさえ思う。

大瀬の街を出て最初のバス停で一服したのだが、IPHONEが通じたのは、ここまでであった。・・・・次に通じたのは、久万高原町の平地に下りた街中目前で、その間ずーっと圏外表示・・・・まったく・・・なんとかならんのか!ソフトバンク!

この待合所を出て少し行ったところに、曽我兄弟の仇打ちで有名な曽我十郎の首塚の案内板があった。ふーん、こんなところにあるのか・・と少々驚く。
 時間があれば行ってみたいところだが・・・

砥部と小田への分岐点国道379号、380号に着いたのが7時半前、ここまで約15キロ。大体予定通り。歩き遍路はここから379号沿いに下坂場峠、ひわた峠を経て久万高原町に入るのが一般的。地図上で見ると 大宝寺に向けて一直線のルートである。
分岐点の菜の花は、満開・・

この近くの遍路宿に泊まっていたと思われる歩き遍路の人たちの歩き始めとほぼ一緒になり、歩く。
 この時間だと、遅いスタートなんだろうけど・・なにはともあれ、一日分は追いついたわけになるか・・・・と。。ほっとしていたら、すぐ離された。

 晴れるかな?と思っていた空の雲行きが少し怪しい・・・・。

下坂場峠に向かう道で、先に歩いているお遍路さんを今朝の分岐点以降はじめて見る。


 先のお遍路さんを見たせいか、どっと疲れが出てきて小休止。休んでいると通りがかった地元のおじさんたちが
「下坂場峠を越えるなら、遍路道行ったほうがいいよ。県道歩いたら4倍も距離が違うからな・・ほんで次も、ひわた峠越えたほうがキツイけど近いからよ・・」と教えてくれた。
 ふーん4倍もやはり違うのか・・

下坂場峠を含めて ここからの遍路道を、ひわた峠遍路道というみたいだなあ。。

今まで歩いてきた峠越えの遍路道と比べて、この遍路道はずいぶん整備された歩きやすい道ではあるが、登りばっかりで少々きつい。

下坂場峠に着いたのは、11時ぐらい。
分岐点から約14キロぐらいあるから、3時間半でここまで来たというわけで、上々の出来。

この下坂場峠をいったん麓の村まで下って、それから ひわた峠へ向かう。
空の雲行きは怪しくなり 少しパラッとくる。ふもとの村からの遍路道は、一直線にひわた峠に向かっているのじゃないかと思うほどきつい。それでも午後1時前には標高800mの ひわた峠にたどり着く。

ここからの下りがまたすごい。久万高原町の役場に向かって直線距離で急坂を下りていく。
右ひざがガクガク・・・。
 久万高原町の街に入り 大宝寺山門に来たのが2時前

ついに大粒の雨が降りだす。今朝から寒かったけど、この雨で体が震うし、大宝寺の参道の勾配が意外にきつく閉口。相当こたえる。
 大宝寺に着いたのは、2時過ぎ。内子駅を出て 約11時間の歩きでした。思わぬ速さで、自分でもびっくりしている。ずいぶん元気になったものだと・・・。
 88か所参り、やはりご利益があるんだなあ・・・

3時前に寺を出るも、まさか岩屋寺まではもう歩こうとは思わず、帰途に就く。
 このころになり、雨は上がる。山の天気は・・・。
 ここ最近の山間僻地の公共交通機関の便の悪さには、あきれるばかり。
 松山市内に出るまでのバス便待ち、2時間余り・・・家に帰りついたのは午後8時をまわっていました。

これで44番大宝寺まで打ち終わったわけで、丁度半分周り終えたことになり・・・満願成就も少し見えてきたなあ。

 次は岩屋寺から・・・。ルートまた頭悩ますなあ。。

gpsロガーのデータ

ひわた峠手前で、電池切れ。それから大宝寺を打つまで気がつかず。
ひわた峠手前までで、沿面歩行距離43キロを超えているから、本日歩いた距離は、ゆうに
40キロは超えている筈。

 まあ軽くといえないまでも、40キロは守備範囲になったなあ。。