定期診察

 土砂降りの中、大学病院へ。
白血球が、少し高い。
12200・・・・

 creと尿酸値は安定
「今月は、まじめに薬飲んだみたいだねえ・」と担当医
「やっぱり飲み忘れがないと・・・下がりますね・・」と私。

白血球が上がっている理由が分からず、様子見となる。

帰りは、びっくりするような晴天。この青空を見ると梅雨明けも近いんだろうけど、
私の方は、当分おとなしくしてないとだめみたいだなあ。。

▲血液検査の結果
白血球 12200 cre 1.61  尿酸値7.8 bun 26

はや7月

結局、歩きに出てなきゃすることもなく、ポケーっと一日を過ごすのみで・・あっという間に7月になってしまった。
 ぷらぷらしてたら、だんだん体力に自信がなくなるし、周りの人も
「過信しすぎるから・・」としきりに言うので、秋まで待とうとは思うのだが・・ちょっと長すぎて、退屈極まりない。。
  そんな、退屈な日を送ってたら先日、これから行こうという雲辺寺への遍路道の近く住んでいるおばさんが、お客として来たので、蝮のことをを聞いてみた。この辺りでは、蝮のことをハミというので・・・

「あの曼陀峠への一番古い遍路道は、まむしがよく出るの?」
「ハミはなあ、あんたらが歩いとるような道には、そうそうでんよ。ちょいちょい噛まれた!というとるのはよ、その道からちょっと入って用を足したりしたときにやられとるからな、大体。・・まあほんでも、2、3日前、父さんが捕まえて来とったけどな・・」
「えっ?ほんなら出るんじゃ!・・」
「まだ、ほなにはでんだろ?来月になったら、多いかもな。子産むから、産んだら恐ろしいで!向かってくるからなあ、シャーっと飛びついてくるで!子守ろうとしてな。。まあ、行くんだったら来月は止めとった方がええな、相手は気たっとるからなあ」
 と言って帰って行ったんだけどね、この時6月だったから、今月は危ないからやめろということか・・・。なんか病院も2人分ぐらいしか常時、血清置いてないみたいだし・・

 とまあこの話を聞いて、ますます気持ちがなえてきた。
 10月末まで、モチベーションもつかなああ・・・

定期診察で・・ガーン!

今日、 退院約4週後の定期診察でした。
血液検査の数値、尿酸値とクレアチニンが退院時より悪く、担当医におしかりを受ける。
「歩いたの?」
「はい、17,8キロほど・・・・」
「・・・やっぱりねえ・・当分、自粛したら?腎臓これ以上悪くなったら、運動制限しないとだめになるからねえ!。今のうちに自粛した方がいいよ。歩いても散歩程度にして・・」と、おしかりを受ける。
 今まで見たことのないような眼をする担当医だったので、・・・これは、ほんとに自粛した方がいいかもと感じる。
 ガーン!である。あと23ヶ寺になったのだけど・・・・。とりあえず、10月までは自粛することにした。ガーン!

身から出たさびとはいえ・・・つらいなあ・・・

▲血液検査の結果
cre 1.68  尿酸値11.3 bun 31

7年目、突入

 幹細胞移植後、めでたくも7年目に突入しました。
先月6年目の終わりに、あわや再発か?と心配した出来事もありましたが、なんとか・・・。
 まあ、あれで再発もしないで復活できたということは、だいぶ体もしゃんとしてきてるのかもしれない。腎臓をのぞいてだけど・・・。

 今朝も、少し遍路道を歩いてきた。地元の場合、こういう点が利点だなあ。。

 次は66番雲辺寺。88か所の中で一番高い所にある、標高911m。2番目が焼山寺、3番目が横峰寺、両方とも700m前後だから、100mあまり高い。さて、どうなる事やら。。

歩き遍路・・・春編 その7・・復活

  昨日の日曜日30日、午前中ゴロゴロしてたんだけど・・・・二日酔いの迎え酒ならぬ、迎え歩きなどしたら、体もシャキッ!とするのではなかろうかとふと思い、少し早目の昼飯を食った後かみさんに
 「ちょっと、歩いてみたいからこの間の三角寺の上がり口まで送ってくれ!」と頼んだら
「あのねえ・・・先生に歩くんだったら、朝のうちか夕方に!といわれてたんじゃないの?」
「そりゃそうだけど・・・今、思い立ったんだし・・山だし・・今日はそんなに暑くないから大丈夫だよ」と答えると・・あきれ顔。
「まあ・・・あまり距離歩かないでよ・・水一杯持ってくのよ!」と、言ってもしょうがないか!という顔で、前回の最後の地点まで送ってくれた。

 歩きはじめは、12時前。
さすがの私でも、恐る恐る歩きはじめる。65番三角寺までは、ここから約四キロの登り。
1キロ余り登ると視界が開け、わが町が見渡せる山腹に出る。紫外線とチリが多く遠くはかすんでいる。

ここら辺りまでは、舗装してるのだが・・・ここから少しのぼると昔からの遍路道が現れ、結構きつい坂の山道。さすがに病み上がりの体にはこたえる、大息ばかり・・・。胸の鼓動もひどくなり・・担当医の言葉がちらりと頭をよぎりはじめる。
 すぐ休憩して、茶をがぶ飲み。

↑ぶれまくりの遍路道。この昔ながらの遍路道は、今まであるのを知らなかった。

少し歩き、休憩。少し歩き、休憩。この繰り返しを延延と続ける。
しかし、・・なんというか・・ここまでして88か所続けるかねえ・・自分でも不思議に思う。
 40分余り、この遍路道を歩き三角寺への舗装された道路に出る。この辺りでは、こういう舗装されてない昔ながらの遍路道があるのは、私の記憶にはないので本当は、驚いた。それに、この遍路道で IPHONEが使えたのにも驚いた。IPHONEに変えて 足摺からずーと山の中の遍路道を歩いて来たけど、使えたのは、ここだけ。さすが紙の街・・というところかねえ。。

 三角寺へ着いたのは、1時半前。4キロを1時間半・・・病み上がりとしては上々。。
三角寺は、小・中・高校時代 遠足のコースで、小学校の時の高学年以来、毎年1回は来てたんじゃあないかなあ・・・・でも、それ以降来た記憶はなく、おととし親父が死んでその年の3月の常楽会が三角寺であり、来たのが、ン十年ぶりで、ずいぶんきれいになったなあと思ったものだ。
 三角寺の山門は、鐘がつってあるという一寸珍しいもの。

鐘はどこだろうか?と探さなくていいし、ついて入れるからいい。
本堂の前に、一茶の句がある。遠足に来るたび、国語教師にうんちくを垂れられたのを思い出す。

  是でこそ
 登りがいあり
  山桜        一茶

 遍路道は、平山を経由して 別格 椿堂常福寺 を経て 66番雲辺寺へ続いている。
まあ、担当医に注意されていることもあり、当分の間歩く距離は 1日24.5キロぐらいまでにしようと思っているので、今日は椿堂辺りまでにしようと思っている。

 平山のバス停の手前に、道標というか石碑がある。この遍路道の一部は、土佐北街道と重複している。この石碑は、それを如実に表している興味深いものである。

平山の遍路小屋で休憩した後、ぼちぼち歩く。

棚田の田植えが、ちょうど始まった頃で綺麗

高速の下をくぐり、しばらく歩くと椿堂常福寺。着いたのは4時前。
小さいお寺なんだけど、参拝客は多い。

番外だけど、ここで歩き遍路だけのお接待を受ける。ラッキー!。

国道192号線を境目トンネル方向に、ぼちぼち歩いてたら娘が迎えに来たので、今日は中途半端な地点だけど、ここで打ち止めして、家に帰る。

それでもGPSログを見ると 18キロ余り歩いているし、そんなに歩くスピードも落ちてない。時間3キロ台に落ちてるのかと思ったけど・・・。

▲GPSログ  伊予三島の三角寺登り口から椿堂を経て192号線