アベノマスクと藍染ハンカチ交換

アベノマスクと藍染ハンカチを交換していただきました。

安倍首相のマスク姿をTVで見るたびに、「うちに届いたらどうしようか・・・・」と思ってたところ、5月の中頃だったかNHKのローカルニュースで「徳島の民間会社が アベノマスクと自社で染めた藍染ハンカチと交換している」と言うニュースが流されまして。ローカルニュースといっても、普通は私のところは徳島とは県境をまたぐので流れないのですが、今般のコロナ禍で四国4県のコロナ関連のニュースがローカルニュースで流されるようになり知ることとなりました。それで、すぐネットで探したら(株)ボン・アーム という会社がしているという記事を見つけ、HPにアクセスしたら 郵送でも受け付けてくれるということが記載してあり、限定2000枚 6月20日までという期限でした。集まったマスクは、必要な医療機関に届けるということだし、(株)ボン・アーム さんは調剤薬局を展開しているとのことでしたので安心して委託できるなあと思い、早めにアベノマスクが来るようだったら、送るつもりでいました。

すると 6月3日(水)に アベノマスクが届きました。

 

現物を見ると・・やはり給食マスク感満載。これではつける気がしない。

で家人に了解を得て 4日(木)に(株)ボン・アーム 宛に投函。

 そして昨日何気なしに(株)ボン・アームのHP見に行ったら、「藍染ハンカチ2000枚 予定数に達しましたので 5日に アベノマスクの交換受付終了しました」という旨の記事が掲載されていました。

 「あら〜、遅かったか・・・」と思いましたが、家人ともともとアベノマスク来たら、どこかに寄付しようと話し合ってたので「まあ仕方ないな、使ってくれればいいや・・」と思ってたところ・・

 午後 郵便受けを見たら 何と「藍染ハンカチ」と礼状が届いていました。

ギリセーフ!だったんですねえ! 40cm四方の綺麗なハンカチです。

(株)ボン・アーム さん 有難うございました。

アベノマスク交換 bon-arm

 

くま

前に飼っていた柴の雑種の「ふく」が死んで、3年余り。娘がそろそろ飼おうと言い出し、友人関係のつてで子犬を見つけてきた。話があったのは生まれて間もなくの1月末。柴の雑種ということで、それならと飼うことにした。

 生まれて50日以上たってから引き取った方が良いということで、引き取ったのが3月下旬。前の犬の ふく は比較的おとなしかったので 今回もそのつもりでいたのだが、これがなんとまあ やんちゃでガザ助。メスなのだが、そんな素振りは少しもなく、あまりの想像外に絶句。顔の雰囲気が 熊に似ているということで 「くま」と娘が命名。うちに来てはや3か月目になろうとするも、素行は来た当時とあまり変わらず・・。

くま 2020/3/22 来家

最近は、朝がとてつもなく早く午前五時前に散歩に出る。約30分で近所を一回りしてくるのが日課になっている。

おかげで私の体調も少し良くなっているような気がする。

今朝の血圧 137-79  ただし薬は飲んでる。

 

 

うーん、定期診察

3か月ぶりの定期診察。

血液検査の結果は、前回より良好な数値。が、担当医は前回のCTの肺の影が気になるらしく、大学病院への紹介状の話ばかりする。

本人にしてみれば、自覚症状もなく血液検査の数値も良いのだから気乗りしない。のだが5月にCT撮影をして、その結果を見て紹介状・・・という話になった。

う・・・・ん・・・なんだかなあ・・・

肺に小さな影・・

地元の病院に帰ってきて、ほぼ8か月。可もなく不可もなくのんべんだらりと日常を送る毎日でした。

 昨日、久しぶりの診察とCT撮影をしたら、肺に小さな影があると言われた。転院する前に愛大から持って帰ってきたCT画像と比較しながら、担当医師が詳しく説明してくれるのだけど、しっくりこない。素人目で見て、画像の鮮明度が違うように見えて・・・。

実際、血液検査の精度も出て来るデータの数値が、愛大の時と比べて 白血球の数値だと1000前後、クレアチニンの数値だと 0.1は違う。他のすべてのデータもこのぐらいの誤差がある。これは 2月に転院してきてすぐの数値から このポイント1ぐらいの乖離があるから・・・ どんなんだろう?ここの検査精度は?と・・不可思議に思っている。そんなんで いきなり「影がある」と言われても・・・・・。

別に 血液検査の数値も その誤差を除けば ほとんど変わりもなく、咳も出たり微熱も出てるわけではないので・・にわかには認めづらい。。

で、少し様子見することにした。

平成最終日

1年以上のブランク後の投稿。

今年の2月22日 愛媛大学病院の血液内科 お払い箱になりました。2003年夏に地元の病院から転入院後 2004年6月自家造血幹細胞移植をして14年あまり通院してきましたが、3代目の担当医が転勤することになり「もう15年も診たから・・いいでしょう?」と言われ、地元の病院に帰ることになりました。平成の幕とともに一区切りということでしょうか・・・。まあ 65歳もすぎ 年金ももらう年になったので、現役バリバリに体を維持する必要もなくなったということもあるかもわかりませんが。

といっても 現在のところ 眼科と脳外科は 愛大に通院してますから 何とも言えないところではあります。結局 平成の半分は愛大へ通院していたことになりますから 永いといえば永かったのかなあ・・と。

去年の9月、2003年私が入院にして以来 同じ病棟で闘病し、2004年のほぼ同時期に移植した Gさん が亡くなられて気落ちしました。移植から14年・・お互い退院して最初 7.8年のころは、私の2代目の担当医とGさんの担当医が同じだったので、よく病院で会って 近況を話し合いながらお互いの無事を確認しながら励みにしていたのですが、3代目の担当医がお互い違うようになって、彼は携帯を持たない主義だったので あまり会う機会もなくなり、年賀状のやり取りだけになっていましたが、元気に過ごしているのだろうと思ってました。何しろ 移植前の大量抗がん剤投与の時も、それに至る前の化学治療の時も ケロッとしてて、患者仲間では 不死身じゃないか?と思われるぐらいの強さでしたので、奥さんから知らせを受けた時は 耳を疑うほどの驚きでした。お葬式には間に合わなかったのですが、お線香をあげに あの豪雨災害明けの 大洲の少し山渕にある家に行きました。祭壇には 移植し退院した後 お互い病院で経過観察で再開した時 私が撮影してあげたGさんのちょっとはにかんだ顔の写真が遺影として飾られてました。奥さんが言うには 「いつも持っている鞄の中にいれてて・・あまり写真撮られるのが好きじゃない人だったから、なかなか正面から写しているのがなくて この写真 本人も気に入ってたみたいで・・」と。Gさんは白血病でしたが、その再発は結局なかったのですが、3年ほど前 舌癌を発症 ここ2年は 本当にしんどい思いをしたと 奥さんから聞かされて・・年賀状の「元気にしている」と書かれていたのを思い出して胸の痛くなる思いがしました。私には あの当時の戦友が亡くなってしまったという思いが強く寂寥感が半端ではありませんでした。

 そして今年の4月3日 うちの店を最もひいきしてくれてた Tさんが亡くなりました。本当にショックでした。76歳でした。4月4日 昼前に少し見覚えのある女のお客さんが入ってきて「1枚写真にプリントしてください」というのです。

 実は私は しがない写真屋でして・・・。もう絶命寸前の店ですが・・・。で、スマホの画像を見るとTさんと2人写しの写真でしたので、焼いているとプリンターのある所まで入ってきて、少し涙ぐみながら「お父さん・・昨日亡くなったんです・・・」と言ったので、「えっ・・」とびっくりして「な、なんで?・・・事故?」と聞いたら「心筋梗塞・・・」。突然だったそうで・・奥さんが一緒に出掛けようと部屋に呼びに行ったら ベッドに倒れてたそうで・・緊急搬送したけど・・。

うちが店を開いて今年で39年目。開店当初から現在まで欠かすことなく2.3か月一度は必ず来てくれたお客さんは、Tさん ひとりです。本当に御贔屓にしていただきました。娘さんたちもお嫁に行くまでずっと贔屓にしてくれました。この2月にも パスポートが切れるからと 更新の写真を撮影したばかりでしたので、私のショックは大きかったです。ソフトボールも現役で出場していましたし健康に不安があるなどとても傍からは見えませんでした。人の命はわからないものですね、あんなに元気だった人が、あっという間に逝ってしまう・・。かとおもえば、15年前に「もう無理かもしれない」と地元の担当医にかみさんが言われた『悪性リンパ腫』の 私がいまだにこうして生きている、生かされている・・・わからんもんです。人の命は。

平成最後の日に、久しぶりに 一文 したためてみました。