安田記念・・・

 昨日は 競馬の安田記念

毎年この日が来ると、移植したあげの無菌室で七転八倒しながら薄目でテレビを見ながら、看護師に 結果を聞いたのを思い出す・・私にとっては、何とも言えない記念すべき日で・・・。

 で 移植した記念日6月3日に 知人からお花をいただきました。
 ありがとうございます。感謝感謝!

 これで 移植後9年目に突入。
移植した年の安田記念は、ツルマルボーイが勝ちまして・・薄ら目で見た記憶では泥んこ馬場のような気がしていたのですが、昨日JRAの記録をあらためてみたら やや重 だったんですねえ。。騎手はアンカツでした。
 追い込み一辺倒の不器用な馬でしたが、オールマイティのうまく立ち回れる今の馬より私は好きだったので・・・結果を聞いて苦しいながらも眠りに落ちたような気がします。

 毎年、安田記念が来るたびに かみさんに話しますが、
「あれで 競馬見てたんだから・・・よっぽど気持ち的に余裕があったのか、バカか・・・どっちかだねえ・・」とあきれますが・・・

 また来年も安田記念の日は テレビの前で カンカンガクガクと講釈を垂れたいものです。。

さすがに・・・

 さすがに 「腎臓内科も受診して・・」と言われると、身につまされ・・・。
 やはり そろそろ食事に気をつけてみようか…と。
食事療法 やるの だいぶ遅いんだけどねえ・・・。移植後 少しの間はやってたんだけど・・・。
 せっぱ詰らないと動き出せないのが 私の習性で・・・さすがに今度ばかりは、身を入れて。。

 で、昨日から少し塩分に気を付けて、目いっぱい食べてたのを少しセーブして・・・それに、すこしくるみなどを食べてみて、次の検査日まで試してみようと思っている。
 それと、紅茶は止めにして 水主体に変えてみようと思っている。1日摂取量の目安は2L。

 さて、どうなるか・・・

切り山の生き木地蔵

 今日 定期診察だったのだけど・・・
 紅茶がぶ飲みは全く効果なかったみたいで、クレアチニンは1.81に悪化してた。ガックリ
0.3も前回から悪化。前々回の数値は・・・測り間違いか?アクシデントで急によかっただけなのかねえ・・・。
 胸の気管支あたりの腫れも CT検査の結果から、担当医は
「何年も続いて・・それも移植してずっと腫れはあるんだけど、PETCTで診ても この腫れは多少は大きくなっているようには見えるが、リンパ腫の再発であれば こう何年も同じ大きさにとどまるということは考えにくいからねえ・・。やはり別物・・と考える方がいいかもねえ・・」

 「で。問題は腎臓の方で・・・一度 腎臓内科で見ておいてもらったほうが良いかもしれない・・紹介しておくから来月 腎臓内科も受診して・・」
と言われ。来月 血液内科、腎臓内科、眼科と受診することとなった。
憂鬱だなあ・・・・

▲血液検査の結果
白血球 8500 CRE 1.81  BUN 31  乳酸値 6.1

★ところで 生き木地蔵というのは、ご存じ?・・。

 生き木地蔵というのは、その名のとおり生きた木にお地蔵さんを彫っているのです。
八十八か所の番外に、愛媛県の丹原の11番生き木地蔵という有名なところがあります。私はまだ行ったことがありません。歩き遍路の途中で寄ろうと思えば寄れたのですが・・・今になって思えば、寄っておけばと・・。で、歩き遍路を結願して以後、機会があれば行こうと思ってたところ、もっと近く、住んでいるところの近くに 『生き木地蔵』があると聞いて、先週の日曜日に行ってきました。

 実をいうと去年の年末に一人で行ったのですが、降り口がわからず帰ってきて、周りのみんなに
 「うそー、わからんかった?」
と笑われてしまって・・・・暖かくなったら、かみさんに連れて行ってもらおう・・と。

 で天気も良かったので 日曜日の午後 行ってきました。家から車で15分ぐらいかなあ・・・。
そもそも なんで去年の暮に行こうかと思ったか?と言うと 今年の大河ドラマが平清盛で・・・生き木地蔵のあるところが 平家の落人の里だったので・・始まる前に行ってやろうと思ったのでした。なんで、それと関係あるの?とお思いでしょうが・・・ここには 安徳天皇伝説があるんです。

 とまあ 平清盛を見るつもりで意気込んでたのですが、あまりの画像の悪さに今は見てませんが・・・目が悪くなるとあの映像の汚さは、すごく目に負担になってみるのが疲れてしまうので、2.3回ほど見てやめました。そんなわけで 生き木地蔵熱も冷めてたのですが、最近 知人が 歩き遍路を結願したと報告に来てくれたら、またぞろむくむくと ちょっと見てこようかという虫がおこりまして、行ってきたという次第。

 
↑これが 『生き木地蔵』
 勢力旺盛なi生きた木に彫られているお地蔵さんは、見るとやはり 何故か 圧倒されます。
この 生き木地蔵はカゴノキと言う木に彫られています。
場所は、愛媛県と香川県の境の山の中の谷間。切山という平家の落人の集落。
県道9号線沿いで県境近くの山の頂上近くから少し入ったところですが、去年暮に来たとき、降り口がわからず引っ返してきて、皆に笑われたんですが・・・。

 県道9号の切山地区の分教場跡の近くの山肌に『生き木地蔵』の大きな看板が出ており、その横に由来も掲げられ

 この看板の右の細道を入っていくとほどなく曲がり角があり、そこが少し広がった待避所になっており・・・これが後で聞いたら駐車場だったんだけど・・・この少し先に

と言う道標とかんばんが立っている。年末に来たとき、この看板を見てそのまま、まっすぐ狭い道を走ったので、行きつけなかったわけです。ここはこれから下に、舗装はされているんだけど山道のような狭い道を下れば『生き木地蔵』に行けたのです。今回はたまたまその待避所に地元のおじさんがいて、聞いたら ここから降りるのよ、と教えてくれたので
「ああ、なるほど」とかみさんともども納得。
 やはり 暖かくならないと地元の人も外にはでてきてないわなあ・・・真冬じゃ聞くにも聞けないからねえ、人の影すらないところだから。。

で 待避所に車を置いて ↑ この右を降りていく。久しぶりに ふく も連れてきたので一緒に降りる。坪尻以来だなあ。。
 教えてくれた地元のおじさんが
「いのししがでるかもわからんが、犬つれてりゃ・・」と見送ってくれた。
これが結構急坂で・・・

この坂を降り切ったところに 『生き木地蔵』があります。
 暖かくなって気持ちの良い季節になってきたのか 『生き木地蔵』 というだけあって霊験あらたかなのか こんな山の谷間なのに 上がってくる家族連れとすれ違いました。

白い看板の右の木に彫られてるのが、現在の『生き木地蔵』で、看板の左に見えるのが、およそ300年ほど前 享保の時に彫られた 『生き木地蔵』。この地蔵さんが年月を経るごとに 母樹とともに朽ちてきて、その傷みを少しでも防ごうと母樹ともに小屋掛けしてお守りしているのが左の小屋。
 看板に書かれている由来によると、もともとは弘法大師がご自身で彫った像があったのだけど 洪水により流されたため、享保16年(1730)に仏師により 生きたカゴノキに彫られ、傷みが激しくなり その横の同じカゴノキに昭和54年に復元された。この復元された方の母樹は木の勢いが旺盛で像が隠れ始めたので 平成14年に修復されているそうです。
 母樹とともに生を同じくするゆえ 延命地蔵ともいわれてるんだそうです。

 ↑こちらが 現在の 『生き木地蔵』。

 拝んだ後、享保の『生き木地蔵』も拝もう と隣の小屋へ

 下からは、窓越しで中の像が見えないので 上がって 中の像を見て拝みました。

 朽ちて傷みはひどいですが、300年も前の生きた木に彫られているせいか、胸にズシンと感じるものがありました。これが時の重みというものでしょうか・・・

 この切山は 源平屋島の戦いの少し前、安徳天皇をより安全なところにお連れするため 阿波から山伝いに伊予のこの切山に潜入して、安徳天皇が 半年間お暮しになったといわれている土地で、この生き木地蔵の近くに 安徳天皇の御衣と御念持仏を埋めたという 院の墓 があるのですが、この日は 『生き木地蔵』だけお参りして帰ってきた。

 意外と近かったので、天気の良い日には また行ってもいいなあ。。


より大きな地図で 切山の生きき地蔵 を表示

今日、定期診察

 今日は、天気が良く 道中桜は満開で 気持ち良いドライブ日和でした。
先月から、紅茶がぶ飲み方法を性懲りもなく続けて、待ちに待った診察日でした。が 朝出がけにちょっと野暮用ができ、それを片付けてバタバタしていったものだから、朝の薬を飲み忘れてしまった。。これが血液検査にどう影響したかは、わからないのだけど・・・・

 まず、先月からの比較

  今月 クレアチニン 1.51 尿酸値 6.1
  先月 クレアチニン 1.39 尿酸値 4.1
 先々月 クレアチニン 1.57 尿酸値 6.0

 まあ・・これを見て当然のごとく 担当医は
 「なんか 変わったことしましたか?」と聞くよねえ。

 「別に、大した変化もない生活を・・・」当然のごとく答えましたよねえ。

 ということは、先月は 測り間違い・・というか・・大きな誤差 だったのか・・なあ。

 ちょっと期待外れの結果だったのだけど、もう少し紅茶がぶ飲み方法を続けてみて・・・。

 今日CTもしたんだけれど、結果は来月と言うことで。。

 白血球は 7800 だったので、もうここ半年近く平常値なので、これに関してはちょっと安心している。

 2か月ぶりに眼科も寄ってくる。
 ほとんど変化なし と言うことで帰ってくる。

 眼科に寄るたびに思うのは、依然行っていた家の近くの病院の眼科。
毎月行って
 「まだ炎症があります。来月来てください」と毎回言われて4年近くその医師の言われるままに通ったんだけど・・・・こうも診立てというのは違うものなのか?不思議でたまらない。
 眼なんかは、感覚のものだから自分ではよほど見え方が悪くならない限り、微妙な変化はわからないわけだから、医者の診かたでこちらが判断するしかないから、こんなに違ってしまうとあまり気分の良いものではない。処方されている目薬は全く同じで、さす回数も同じ、なのに 方や
 「まだ炎症があります。」で
 こっちの大学病院では
 「炎症もないようだから・・」
 である。

 一般的には、大学病院の方の診立てを信用するよねえ・・・・。
でも、片や近くの病院の眼科の医師も某国立大学の眼科から派遣されてきているんだから・・・何とも・・北島じゃないけど
 「なんもいえねえ・・」

 実際 どうなんだろうなあ・・・
 僻地の病院に大学から派遣される医師のレベルは、大学病院の外来の診察している医師と同じぐらいなのかね?

 ん?