今日、特定疾患の更新に保健所へ行く。
毎年行っている保健所は、古い建物で、あの独特の暗い感じが漂っているから 何回来てもここの雰囲気には なじめない。。
職員たちが机を並べて仕事をしている部屋の、ちょっと片隅のかろうじて座れる丸いすと小さな机があるところで、毎回 ぼそぼそと話をするというスタイル・・。どう見ても明るさのかけらもない雰囲気なので、いつもこちらのお尻は浮き加減で・・・
年々提出書類が増えて、揃えるのに結構手間がかかる。なんで、毎年提出書類が増えるのか?理解に苦しむ。。
「書類も全部揃っているみたいなので・・これで結構ですよ」とあまり抑揚のない声で係りの女の人が私を見る。
「はあ・・、それではよろしくお願いします」と、軽く会釈して帰ってくる。このなんともいえない会話が、何年続いてきたことか・・・・。
この特定疾患の更新手続きをする度、釈然としない気持ちが毎回持ち上がるのだけど・・・現実に、視力がこう落ちてくると、その気持ちもやや萎えてきつつある。
眼科の医者と話する事柄もほとんどなくなり、毎回目薬を貰うのが関の山。。
右目の視力は年々酷くなっていて、帯状疱疹の痺れがいまだに右目の上に残り・・この見えにくさを毎年更新時期になると痛烈に感じてしまう。
でも、まだ見えてるから良しとするか・・・・・。
「経過観察日記」カテゴリーアーカイブ
定期診察
この木曜日に、定期診察に行ってきた。
来る度に、病院の中は工事中で、ここ2.3年工事してない時はないのじゃないのかなあ?と。
先月には、会計も機械化されて待つ時間もうんと短縮されて、あまり待たなくなったのはありがたいのだけど・・機械化機械化が進んで・・・まさかそのうち医者も・・・なんて世の中にはならないで欲しいけどね。。
今朝は、高速もガラガラで、その上 温泉から大学病院まで、一度も信号に引っかかることもなく来れ、自動受付でも待つことなく、血液検査の受付カウンターにも患者はいなくて、今日はついてると小躍りしたんだけど・・・・まさか!というところで落とし穴に・・・。
受付のお姉さんが
「検査の予定が入ってないのですが・・・」と端末を見ながら言う。
「えっ?」と驚く
「診察の予定は、入ってますが血液検査の予定が入ってないんですよ・・。いつも診察の前に血液検査して・・・・ますよねえ・・?。・・・先生、入れ忘れたのでしょうかね・・」
「げげ・・・」と声にも出せず、ポカン・・。そのうちぞくぞくと患者が私の後ろに・・並ぶし・・。
「えーと尿検査も毎回してますよね・・・じゃあとりあえず、尿を取ってもらって・・・少し待っててもらえますか・・先生に聞いてみますから・・・」と画面を見ながら言う。
「はあ・・」と尿検査のコップを受け取りながら私。
・・全然ついてないじゃないか・・・と一気に気分を壊す。
尿を取り終え、カウンターに戻ってくると
「まだ先生いらしてないみたいなんです。用意でき次第すぐしてもらいますから、少し待っていただけますか・・」とお姉さん。
「げげ」と近くのいすへ。
結局30分以上待って、血液検査。
で、ほとんどいつもと変わらない時間で待合室へ行く。
まあ往々にしてこんなもので、物事は大体最後で辻褄が合うものである。
もう5年も経ったせいか、担当医もリンパ腫はさらりと流し、creと尿酸値の話がもっぱらで、その話ばっかりして戻ってくる。
creは、ほぼ変わらず、尿酸値は薬を飲んでもあまり改善傾向になく、結局のところ、肉とビールは止めなさいと言われ、
・・・なんや、今日はついてないじゃないか・・・とガックリ
帰ってかみさんに言うと
「ほれみてみ・・・まえから野菜食べ、食べと言うとったろ!」と笑われる。
・・・・今日はついてないなあ・・・・
血液検査の結果
CRE 1.6 UA 9.1 BUN25
▲満5年の2.3日たったある日、
般若心経入りのバスタオル。
大学病院で同じように闘病されてた人から
「満5年、おめでとう」とプレゼントされました。
遍路に持っていくには丁度よく、感謝感謝。
満5年・・・
昼、店に来た知人に言われて、初めて気がつく・・
「そうだ・・・今日で満5年経つのか・・・ころっと忘れてた。。」と、頭をかく。
2004年自家末梢血幹細胞移植をしてから、丁度5年。今日がその日であった。
一時はどうなるかと思ったけど、なんやかんやといいながら無事、ひとつの節目を迎えました。感謝。
お医者さん、看護師、励ましてくれた方々、そして家族のみんなのおかげで、5年と言う月日を無事通過することができました。ありがとうございました。感謝の念にたえません。
生きてみれば、長いようで早い月日でした。
この頃は、カレンダーを見て
「あれから何日経った・・・」と思うことも少なくなりました。
いつも頭のどこかにその思いはあるのでしょうが、だんだん気にもならなくなり、自然に日常生活を送るようになっているのを、今日知人の「今日何の日?」とたずねる言葉で、あらためて病気になる前の生活に戻りつあるのを自覚しました。
願わくば、再再発をせずに、また次の節目を迎えたいものです。。
知人から、思っても見なかった 満5周年のプレゼントをいただきました。
・・感謝・・
▲ホント、ころっと忘れてた・・・。常々意識は、相当してたんだけど・・。
それをころっと忘れるとは、まさかボケはじめたというわけでは・・・なんて・・。。
ちょっと心配。。
定期診察
定期診察。
どうも他の事に、気を取られているとというか・・・なんというかちょっと気を緩めると、血液検査の数値は正直なもので・・それを如実に表す・・・
「数値悪くなってるね・・」と担当医。
尿酸値 10 cre 1.7
なにをかいわんや・・・である。
・・・学習能力ないなあ・・と反省するも後のまつり。。
当然薬増える・・
がっくりして帰ってくる。
あーーあーーー
歩き遍路 回顧 その3
翌週の3月29日日曜日、再び歩きに行く。
高知は、ここ2.3日が桜のピークだろうと思い、今歩き遍路してないと何のための春?と・・少し天気が悪そうだったけど、出かけた。
31番竹林寺から33番まで雪蹊寺までの予定。市内なので距離的には近い。
34番種間寺まで行ければ行きたかったのだけど・・・・帰りの公共機関がない。種間寺の近くには春野役場があるのだけど、バス会社に問い合わせたところ土日祭日は路線バスが走ってないとのことで・・うそーと思ったけど、路線バス会社の疲弊を考えれば当たり前かもしれない。逆に平日にまだ走っているほうが凄いのかもしれない。。
ということで雪蹊寺のほうは、近くの長浜まで便があるということで、雪蹊寺まで歩くことにした。
例のごとく始発の土讃線に乗る。
大歩危駅の桜が綺麗だったので、パチリ。
しつこく新改駅で、最後尾の車両より
土佐一宮駅から南下、五台山中腹の竹林寺に向けて歩き出す。
遍路道はメイン道から1本東側を上る。細い道にさしかかろうとしたところ、上のほうから大きな声が・・
「お遍路さん、お遍路さん!」と、振り向いて上を見ると、道側の二階家の二階のベランダで洗濯物を干してたおばさん。
「道わかる?」
「いえ・・・」
「突き当りを左だから、・・左」
と大きな声で教えてくれる。
歩いてて困るのは、大きな道から小路へ入るときで、これが一番迷いやすい。視界が無くなるから・・。教えてくれるとホント助かる。
この五台山の遍路道、曇り空だけど桜と市街が見えて綺麗である。
で、遍路道を登っていると途中で
「ここから先は、私有地につき通り抜けを禁じる。お遍路は許可」というようなことを書いた立て札があって驚いた。この立て札を撮影してないのが残念なのであるが・・・。この道は牧野植物園の中を通るようになっており、植物園の中をぶらぶら見ながら竹林寺へ。竹林寺は牧野植物園の正門前であるから、いわば中を突き抜けてくるわけである。
竹林寺の五重塔は、高知県唯一だそうで・・・ひとつしかないと、団体の先達が言ってたのを聞いてちょっとびっくり。
竹林寺から32番禅師峰寺へは、小高いひとやまを越え、直前から遍路道を真上に上がる。
境内は比較的狭い。
33番雪蹊寺へは、西に向かってほぼ一直線に歩く。浦戸大橋を渡るルートもあるけど、やはりここは種崎の渡しだろうなあ、やっぱり。1時間に1本なので、それにあわせて早足早足。
渡しといっても小さいフェリーなのだが、「渡し」という響きがいい。無料。
長浜に渡り、古い町並みを突っ切ると雪蹊寺。
ここも隣が神社。
門の横に 「世界遺産・・・」という看板があるのもなんともなあ・・。風情がそがれるよなあ。。
長浜出張所からバスではりまやばしのバスターミナルに戻る。バスターミナルというよりバス停なんだけどね。。
ここでハプニングがあり。。
帰りの高速バスを待ってたら、外人のお遍路姿の夫婦が来て、バスを聞かれてしまった。歩いていると外人のお遍路さんによく会うのだけど、今まで会った人たちは、片言でも日本語を話すんだけど、今回はまったく英語だけで・・。こっちの遍路姿を見て、こいつならわかるだろうと踏んだらしく・・
32番禅師峰寺へ行くには、何番のバスに乗ったらいいのか?らしきことを聞いてくる。さっき行った寺だけど、こっちは地元の人間じゃないから、バス路線のことなどわからず・・・しようがないから近くの地元の人に聞くも、マイナーなバス停など知らないよなあ・・。そのうち高速バスが来たので、地元の人に押し付け帰ってきた。あれで88箇所周っているんだから、外人て、度胸ある・・とかんしん。。
今日歩いた距離20キロ弱。
これからの道中が問題で・・34番種間寺 35番清滝寺 36番朝青龍の青龍寺から 後は 窪川 足摺岬までお寺が飛ぶ。。
どうしようかなあ・・どう行こうか・・思案。