歩き遍路・・・春編 その7・・復活

  昨日の日曜日30日、午前中ゴロゴロしてたんだけど・・・・二日酔いの迎え酒ならぬ、迎え歩きなどしたら、体もシャキッ!とするのではなかろうかとふと思い、少し早目の昼飯を食った後かみさんに
 「ちょっと、歩いてみたいからこの間の三角寺の上がり口まで送ってくれ!」と頼んだら
「あのねえ・・・先生に歩くんだったら、朝のうちか夕方に!といわれてたんじゃないの?」
「そりゃそうだけど・・・今、思い立ったんだし・・山だし・・今日はそんなに暑くないから大丈夫だよ」と答えると・・あきれ顔。
「まあ・・・あまり距離歩かないでよ・・水一杯持ってくのよ!」と、言ってもしょうがないか!という顔で、前回の最後の地点まで送ってくれた。

 歩きはじめは、12時前。
さすがの私でも、恐る恐る歩きはじめる。65番三角寺までは、ここから約四キロの登り。
1キロ余り登ると視界が開け、わが町が見渡せる山腹に出る。紫外線とチリが多く遠くはかすんでいる。

ここら辺りまでは、舗装してるのだが・・・ここから少しのぼると昔からの遍路道が現れ、結構きつい坂の山道。さすがに病み上がりの体にはこたえる、大息ばかり・・・。胸の鼓動もひどくなり・・担当医の言葉がちらりと頭をよぎりはじめる。
 すぐ休憩して、茶をがぶ飲み。

↑ぶれまくりの遍路道。この昔ながらの遍路道は、今まであるのを知らなかった。

少し歩き、休憩。少し歩き、休憩。この繰り返しを延延と続ける。
しかし、・・なんというか・・ここまでして88か所続けるかねえ・・自分でも不思議に思う。
 40分余り、この遍路道を歩き三角寺への舗装された道路に出る。この辺りでは、こういう舗装されてない昔ながらの遍路道があるのは、私の記憶にはないので本当は、驚いた。それに、この遍路道で IPHONEが使えたのにも驚いた。IPHONEに変えて 足摺からずーと山の中の遍路道を歩いて来たけど、使えたのは、ここだけ。さすが紙の街・・というところかねえ。。

 三角寺へ着いたのは、1時半前。4キロを1時間半・・・病み上がりとしては上々。。
三角寺は、小・中・高校時代 遠足のコースで、小学校の時の高学年以来、毎年1回は来てたんじゃあないかなあ・・・・でも、それ以降来た記憶はなく、おととし親父が死んでその年の3月の常楽会が三角寺であり、来たのが、ン十年ぶりで、ずいぶんきれいになったなあと思ったものだ。
 三角寺の山門は、鐘がつってあるという一寸珍しいもの。

鐘はどこだろうか?と探さなくていいし、ついて入れるからいい。
本堂の前に、一茶の句がある。遠足に来るたび、国語教師にうんちくを垂れられたのを思い出す。

  是でこそ
 登りがいあり
  山桜        一茶

 遍路道は、平山を経由して 別格 椿堂常福寺 を経て 66番雲辺寺へ続いている。
まあ、担当医に注意されていることもあり、当分の間歩く距離は 1日24.5キロぐらいまでにしようと思っているので、今日は椿堂辺りまでにしようと思っている。

 平山のバス停の手前に、道標というか石碑がある。この遍路道の一部は、土佐北街道と重複している。この石碑は、それを如実に表している興味深いものである。

平山の遍路小屋で休憩した後、ぼちぼち歩く。

棚田の田植えが、ちょうど始まった頃で綺麗

高速の下をくぐり、しばらく歩くと椿堂常福寺。着いたのは4時前。
小さいお寺なんだけど、参拝客は多い。

番外だけど、ここで歩き遍路だけのお接待を受ける。ラッキー!。

国道192号線を境目トンネル方向に、ぼちぼち歩いてたら娘が迎えに来たので、今日は中途半端な地点だけど、ここで打ち止めして、家に帰る。

それでもGPSログを見ると 18キロ余り歩いているし、そんなに歩くスピードも落ちてない。時間3キロ台に落ちてるのかと思ったけど・・・。

▲GPSログ  伊予三島の三角寺登り口から椿堂を経て192号線

徐々に回復

 先週の木曜日、20日に大学病院を退院して家に帰ってきました。
やっと昨日あたりから、体調も戻りつつありホッとしている。

結局のところ、5月8日(土)の歩きが滅茶苦茶な歩きだったみたいで、熱中症と脱水症をおこしてダウン。あまりのしんどさに、悪性リンパ腫の再発か?と心配して大学病院へ転院したのだけど、幸い再発してなかったので・・・肺炎も少し良くなり体調が戻りはじめたので退院した。

 なにしろ歩きすぎで脱水症という、ずいぶん前から、何度も何度も注意されてたことで入院したので、恰好悪さもあり、再発してないのならとそそくさと退院した次第。
 帰ってきてGPSログ見たら、沿面距離で 51キロあまり歩いていた・・・ホントバカだねえ・・。病院では40キロぐらいと口を濁したんだけど・・・・50キロ余りとは本人も思ってみなかったから・・・ねえ。

帰ってきて、ある人いわく
「同行二人で、弘法大師が一緒についてるんだろ?それで、そんなになるのかよ?おまえ、なんか悪さしながら歩いてんじゃねえのかよ?」と、いぶかしがられるし・・・娘には
「父ちゃん、もうこうなると修行じゃなくて苦行だねえ・・・」とあきれられるし・・・・散々。

 まあ・・今回、リンパ腫も再発してなかったので、半分笑い話ですんだからよかったものの・・・当分、歩きは自粛。
 しようかなあ・・・・けど・・あと少しなんだけど・・ね。。

肺炎と貧血

肺炎と貧血みたいで、少しほっとする。少しずつ、体調は、上向きになってきたが、まだ立つとクラクラする。寝汗のことも気になるので、petを撮った後判断すると担当医の見解でした。でも、ホンと肩の力がだいぶ抜けた。

クラッシュ

8日土曜日、知人が行けないと言うので一人で歩きに、行ったのが大きな敗因だった。
ベースが、ひとりゆえ思ったよりもはやくなったことと暑くて紫外線がつよかったことが、
想像以上のダメージをこうむり、めちゃバテしてしまった。
64番前神寺を打ち、西条,新居浜、伊予三島の三角寺の上り口までの40キロあまりを歩いたわけで・・そんなに距離が長過ぎるとは、思わなかったのだが・・
帰るとすぐに、疲れが出始めふとんに潜りこんだもののトイレに立つのもままならず、日曜日にはなお酷くなり、地元の綜合病院へ。熱中症と脱水症状。白血球36000.cre35というむちゃくちゃな数字、
すぐ、入院して治療を! と言われたんだけど、カクカクしかじかと説明したら、大学病院に電話をしてくれた。今は、ベットの空きがないので月曜日に、連絡をするということになり、今日転院してきた。
携帯で書いてるので、書き辛い、・・でも、当分続くだろうなあ

眼科

 今朝も、寝汗が続く・・・

昨日、眼科へ行く。
4月から、週3日、それも半日診療になったせいで、滅茶滅茶込んでいる。私の記憶では、リンパ腫を発症する前に、一度か2度あったような記憶があるだけで・・それ以来で、びっくり。
 遂に、わが地区もへき地医療の仲間入りか・・・と実感したものの・・この患者の多さにはまいった。減った減ったとはいえ、週3日の半日診療にすればいくらなんでも、混むわなあ・・。
 だけど・・これも一過性になるかもしれない。なにしろ、この3日とも、大学病院からの派遣で医者が違うから・・。はたして、患者はついてくるのかいな?と、他人事のように首をかしげる。開業医もまあまああるからなあ・・。いまだに来ている患者の大半は、準公立という看板の信頼度だけで来ているようなもんだからねえ・・。かくいう私も、そのひとりなんだけど。。
 
 何でもそうなんだけど、なってみないとその実感はわからないもんで・・。
これで、改善の見込みでも出てくりゃいいのだけど、現在のもろもろの状況を見れば、地域医療はもっともっと縮小していくかもしれないねえ。。開業医は、相変わらず増えてるみたいだけど・・