右目の話

  ついにやってきた運転免許の更新。
5年更新の日が来月にやってきて、更新の案内のはがきがついにやってきた。
眼の健常な人には、なーんだ!と思うかもしれないが、右目の視力が極端に落ち緑内障と白内障を抱えている私には、ここ2.3年でも最も憂鬱で不安な事柄で、今年は更新できないかもしれないという危惧を抱いていたので、誕生日にはまだだいぶ間があったのだが早速、警察署へ行ってきた。
 大学病院の医師は、
「更新の規定の視力は矯正視力でクリアしているから、ちゃんとメガネを合わせていけば、大丈夫だと思うけど・・・。」と言ってくれてはいたのだけど・・・。

 実際、免許の更新ができなければ不便極まりないので・・・。

 結局、更新時の視力検査は、医師が言ったとおり きちっとメガネを合わせたので何とか右目もOKがでて、万々歳。
 ここ2.3年の胸のつかえが取れたようでほっとした。
 やれやれ。。

定期診察

 8月11日木、定期診察に行ってきた。

 PETCT 気管支の左右のリンパ節の腫れが、前回の時よりだいぶ強く光っているので、少し腫れが大きくなっているのではないか?ということだった。
 これが再びリンパ腫が再発しかかっているのかどうかは、まだグレー。ということで、より注意深く見ていく必要があるということであった。
 またこの腫れは、サルコイドーシスの可能性がないわけでもない、ということなのだけど、血液データの数値には表れてないから・・・??
「どっちにしても、依然としてすっきりはしないけどねえ・・・」と担当医。
 腫瘍マーカーも、ずっと1000を超えているので、あてにならないとはいえ?? というところはあるみたいで、毎回すっきりとはしない。
 結局、注意深く様子を見ていくしかないということであった。

 尿酸値は、再び11.3の大台。フェブリク錠 半錠では全然効果なしで、1錠ずつに増量。
▲血液検査の結果
 白血球 10100 cre 1.59 bun 27

 ☆眼科の方は、あまり変化がなかった。

 
◎ ところで、例年行ってきた 特定疾患の更新を今回は取りやめた。
保険所から恒例のごとく6月に更新手続きの書類が送られてきてたのだが、今年は眼科も大学病院に移ったので、更新を自分ではやめるつもりで書類も出さずにほおっていたら、今週の月曜日に、保険所から手続きをしてないみたいですが?と電話がかかってきたので これこれしかじかと説明したが
 「とりあえず大学病院に話して、受療医療機関に加えてもらってそれから担当の医師に問診票を書いてもらうように言ってみてください」と言われた。

 しかし、悪性リンパ腫で治療しているのに、サルコイドーシスの特定疾患の受療医療機関登録など、普通に考えてできるわけはない。サルコイドーシスのデータもないし、そもそも 今の大学病院で移植するときに こちらからサルコイドーシスがあるからと言ったら、それがあると治療方法を変えないといけないかもしれないからと検査したんだけど、なかった事実があるので、言っても気まずくなるだけなので話したくはなかったのだが・・・・。
 仕方なく診察の時に内科と眼科に言ったら、それは書けない と案の定断られた。
 それを 電話で保険所に伝えたら
「これはどうしても申請しなければいけないというものではなくて・・・・」なんてことをぬかしやがる。役人は自分の職責を果たせばいいわけで、こっちの気なんか関係ない。で、結局更新はやめた。

 大体 サルコイドーシスという認定を下した医者は、当時今まで私が行ってた病院にいた医者なのだが、血液データ上で微妙な段階で彼はサルコイドーシスを認定したのである。もう17.8年前のことです。当時私は 仕事がむちゃくちゃ忙しくて、本来このサルコイドーシスを確定するには肺かどこかの細胞を採って調べないといけないので、この病院の系列の大学病院で検査しないといけないのだが2.3日入院しないといけないし、多少危険なところもあると言われたので、それはしたくないと断ったら、この医者は良かれと思って、サルコイドーシスと認定したのである。まさか、医者は私が そののち悪性リンパ腫なんかになるとは思ってなかったろうから、安直に考えたのかもしれない。結局それが、いままでずーと尾を引いて 大学病院まで行っても気まずい思いをせねばならなくなっているわけ。

 大学病院の患者仲間は
「特定疾患というのは、一生治らない病気のことだろう? それが更新なんていうことがあるの?」
 と不思議そうに言ったのだが、確かに本来はその通りのはずなのだが・・・現実は、毎年更新手続きがあり 安直な医者が安直につけた病気の名前のせいで苦しむ私のような患者が出てくるのである。
 たぶんそういう状況に置かれて人は、私以外にも多々おられるのではないかと思うのだが・・・・。

 この病名を私に着けた医者は、付けて2.3年後 この町で開業医になっている。
 

 

PET CT

 先週の木曜日、8月4日 久しぶりのPET CT に病院へ行く。
11時からということだったのだが、高速の通勤割引を利用するためいつもどおりに家を出る。
 当然いつも通りの時間に着く・・・・・。だから目茶、待ち時間ができる・・・当然。

 無駄だとはわかってはいるけど、受付で言ってみる。
 「相当早いんだけど・・・」
「・・・・そうですねえ・・相当早いですねえ・・。この薬、予定通りにしか出ないから・・・申し訳ないですが、時間まで待ってもらわないといけないんですよ・・・」と気の毒そうに受付嬢。
「図書室でも言ってこられたらどうですか?時間になったら呼びに行きますけど・・・」と親切に言ってくれる。
・・・そういや図書室ができたと剣山で会った人が言ってたことを思い出し
「いや、その時間に戻ってきますよ」と言って暇つぶしに図書室に寄ってみることにした。

図書室は「陽だまりの里」という名で、運営している。場所は病院のタリーズコーヒーの前。
行ってみると、オフィス風の部屋でちゃんと受付嬢もいて
「初めてですか?」と聞かれ、パンフレットと利用のしかたをざっと説明してくれる。医学専門書ばかりであるが、結構平易なものあり、その中から 眼に関するものを選んで読む。
 椅子も最近の図書館にあるような座り心地のよいもので、落ち着いて読める。
緑内障と白内障とぶどう膜炎の項を読み終えると、大体11時近くになったので、放射線科に行く。

 一年3カ月ぶりとはいえ、前回のことは歳のせいかうろ覚えになっており、
「前にもやってるから、大体のことはわかりますよね?」と看護師が言うが
「いやあ、ボケてきてるから・・・」と詳しく説明してもらう。。

 聞くうちに、ほんとだいぶ自分が結構忘れているのに気づく。あぶないねえ・・・・。
前回まで何回かPETCTをしたのだけど、検査薬の被ばく量など全然気にしなかったのだけど、2~3ミリシーベルトあると少しドキッとする・・・。

 検査は前回と同じく3時間弱で終わり帰ってきた。

 検査結果は定期診察の時に聞くことになる。。

定期診察

 昨日、7月14日(木)定期診察。
 前回より少しクレアチニンの数値が上がっていたみたいで・・・、
 ・・・何故?上がったか? は大体わかってんだけど・・ねえ・・・

「尿酸値は、いいんだけどねえ・・・腎臓がねえ・・」と担当医。
「何か変わったことは?」と聞かれたけど、ふにゃふにゃ・・と答える。
 

「新薬でフェブリク錠というのがでたので、ちょっとユリノームをこれに変えてみましょう・・。」
ということで、ザイロリックより副作用がないらしいのでフェブリック錠に。

 14日分しか出せないということで、20mmを14日分 半錠にして毎日飲むということになった。
 自分で半分にして飲む、なーんてことは不器用な自分には出来そうもないので調剤薬局に頼んでしてもらった。

 ▲血液検査の結果
白血球 10400 cre 1.69 bun 27 尿酸値 5.6

 前回PETをして 1年余り経過したので 8月に入ってすぐ検査することになった。

 眼科では、今日の目の調子が良かったのか、矯正視力で 右 0.8 左 1.0 という結果で自分でもびっくり。ただこれは眼を細めたり、ちょっと上目づかいで見たりとありとあらゆる手を使ってだから・・・。
 でも右は相当視野が狭くなってて白内障も進んでることから考えても、上出来も上出来の数値で、ここ数年のうちでは記憶にないくらいよく見えたというのは自分でも感じた。

「これなら、免許の書き換え、大丈夫ですよ!」と 眼科医に言われて、ウハウハ顔で帰ってきた。

世の中・・広いようで、狭い・・・

 7月3日(日) 先週の日曜日
「剣山登山と源流ツアー」なるものに参加してきた。
このツアーは、剣山観光推進協議会というところが主催していて、ボランティアガイドが案内してくれる無料のツアー。

 剣山は、子供のころ・・小学4年ぐらいの時に親戚のおじさん一家に連れられて登ったことがあって、先月ネット内をあっちこっちしていたら、ふとこのツアーが眼にとまり懐かしくその当時の情景がちらりと頭をよぎり、ちょっと行ってみるかという気分になり申し込んだのである。

 ツアーは現地集合。登山リフトのある見越に朝9時である。
例年この時期は、梅雨真っ只中なので・・・申し込むときにどうかな?・・とは思ったものの、夏休みに入って人が増えてるときに行くのも、あまり好きじゃなかったのでこの日にしたのだが・・・。朝出かける時の天気予報が曇りのち雨で・・・。

 剣山は四国第2の高さを誇る山で、標高1955メートル。今は登山リフトで1750メートルまで行ける。昔小学生のころ・・・もう50年も前の話であるけど・・その頃は・・たしか・・国民宿舎に泊まって、登ったような記憶があり・・・その連れてってもらったおじさんも親父と同じ年に亡くなった。ま、ホームページで見つけたのも何かの縁だろうと・・そういう思いもあって・・・、ちょっとした過去をさかのぼる思いにも耽ってみたかったのである。。

 6時過ぎに家を出る。うちからは貞光側からも大歩危経由でも行けるのだが・・50年まえと同じ同じように貞光側から入ることにして高速へ。土日1000円も終わっているせいか、徳島自動車道はガラガラ。前も後ろもいないありさまで・・・・。美馬ICで降り貞光を経て国道438線へ。昔も今も対して変わってないような感じの国道で・・・やたら狭いくねくねした道だった記憶があり今もその印象がぬぐえないぐらいの道。とはいっても完全舗装だし、昔より道は広くなってるのだろうけど・・・・。
 集合時間にはだいぶ早いので、途中 人っ子ひとりいない「鳴滝」で ボーつと休憩。。

 曲がりくねった道をトロトロ車を走らせて、見越に着いたのが 8時半過ぎ。リフト乗り場には無料の広い駐車場があり、リフトはまだ動いてないものの周りのみやげ物屋はすでに開いていた。

このころから、ポロいポロリと雨が・・・・。
源流ツアーの参加者は、11人だったが・・9時半まで待ったが1人来ず結局10人。
 参加者は本州方面からの参加もあり、老若男女さまざま。若い女の子の二人づれ、今はやりの山ガールと言ったところか・・・。同じく若いアベック。二人の小学生づれの4人家族と私と私より少し年配らしきおじさんの10人。
 待合室ではしゃぐ元気のいい小学生の兄妹を見て・・
 ああ・・おれもこのくらいの年だったのかなあ・・と、

 ボランティアガイドは、ここの頂上ヒュッテのオーナーのおじさん。72歳だというけどとてもとてもその年には見えない。。爺さんと呼ぶには失礼かも・・・。

記念撮影をして、出発。登山リフトでリフト終点まで15分。標高1750メートルまで見越の1420メートルから一気に330メートル上がる。リフトに乗ったころから、パラパラ雨が・・・。 
 ボランティアツアーということなのか、頂上までの道のりは一番緩やかな道を選択してくれたのであるが・・・。なにせ上りは全く苦手な私にはそれでもしんどく、結局私一人だけ途中で休ませてもらうという体たらく。。皆が私を待ってくれて頂上へ。
 が、あいにく雨模様の霧がかりで最悪。

こんな状態で・・・・
 ただ驚いたのは、頂上ヒュッテから山頂まで板張りの道ができていた。昔来た時は普通の登山道を歩いたような記憶があったんだけど・・・。リフトができ観光客が増えて、登山道と頂上の三角点辺りが荒らされるので、こうなったらしい・・。まあ板の道の方が上りやすいけど・・趣はなくなったなあ・・と。
 その後、昼食をはさんで一の森、源流を周って帰ってきたのであるが、リフト乗り場に下りるころになって日差しが見えるようになり・・・。まあ山行きなんてこんなもの。。

 途中、ちょっと面白い光景を目にした。


 犬に登山服を着せて上っている男女に会った。その仕草が何ともいえず思わず吹き出してしまった。。最近、犬を連れての登山を禁止するというところもチラホラ出てきているみたいなのだけど・・・なんとも・・・。

 ▲ 本題は、世の中は広いようでびっくりするぐらい狭いというお話。

朝、リフト乗り場の建物の中で受付があり、受付して参加者の集合を待ってたところ、私より少し年上のおじさんがボランティアガイドと何やら少し長い話をしていてて、その後私の横で出発を待ってたところ。その人が話かけてきて
 「この源流ツアー、帰りのここ到着が3時半でしょう?私バスできてまして・・・そのバスの時間が3時10分なんで・・今ガイドにそれより早く帰りがなりませんかねえ?と聞いてたんですが・・保証はできない、と言われましてねえ。。途中から帰ってもいいですか?と聞いてたんです」と。
 「どちらからおいでたんですか?」と聞くと
 「愛媛の松山です。」と言うので
 「ああ、そうですか・・・私も愛媛だから・・・それなら帰りに近くの駅まで乗せてってあげましょうか?それならバスの時間気にしなくても・・・」
「でも、・・・今晩私、大歩危に宿とってまして・・・」
「・・大歩危・・ねえ・・じゃあ、そっち周って帰ってもいいですよ、距離的にはどっちから帰っても同じぐらいですから。来る時、貞光側から来たから・・」
「えー・・・じゃあ・・・」
ということになって、このおじさんを乗せて帰ることになった。

 公共交通機関の田舎での便は、歩き遍路をしているときにも痛切に感じたのだが、とにかく悪い。日に一本なんてのはざらで、まして山などは聞きしに勝る。おじさんに聞いて、まだ剣山には、バスが走ってたのか?と驚いたぐらいで・・。

 昼飯を食べてる時、いろいろ話をしてたら、なんとこのおじさん、私の通ってる大学病院に勤めているので、びっくり。その上、移植した時大変お世話になった看護師さんとも、一時期同じ部署で働いてた
というからもっとびっくり!。

 参加者10名の徳島県の剣山のボランティアツアー中で、その中の参加者2名が愛媛で、あまり年が違わなくて、かたや大学病院に勤めていて、かたやその病院に通っているという・・・こんなこともあるんですねえ・・・。。そして、そのおじさんを大歩危の温泉ホテルまでのせて帰った・・・という。。

 ホント、世の中広いようで狭い! ということを実感した次第。