で、結局 肺の影は?

去年の11月に近くの総合病院で撮ったCTにうっすらと影があった。本人はさして心配もしてないのだけど、担当医がしきりにCT撮影をすすめるので、このコロナ禍にありながらCT撮影した。

 結果はなんと影が消えてしまってた。担当は首をかしげながら「消えてますねえ・・・・??」と腑に落ちない様子。それは、そうだろう・・第一、本人に自覚症状がないわけだし、11月の時点で従来している血液検査の数値にもたいして変化がなかったわけで、今回もほぼ大した数値の変化もないわけだからねえ。前回は、機械かなんかのノイズじゃないの?とも言えず・・黙っていたら・・

「カビだったかもしれないから、それの検査にまわしておきます」と依然腑に落ちない様子で担当医がいうので「お願いします」と言って診察室を出てきた。

《カビ・ねえ・・??》

 

 

うーん、定期診察

3か月ぶりの定期診察。

血液検査の結果は、前回より良好な数値。が、担当医は前回のCTの肺の影が気になるらしく、大学病院への紹介状の話ばかりする。

本人にしてみれば、自覚症状もなく血液検査の数値も良いのだから気乗りしない。のだが5月にCT撮影をして、その結果を見て紹介状・・・という話になった。

う・・・・ん・・・なんだかなあ・・・

肺に小さな影・・

地元の病院に帰ってきて、ほぼ8か月。可もなく不可もなくのんべんだらりと日常を送る毎日でした。

 昨日、久しぶりの診察とCT撮影をしたら、肺に小さな影があると言われた。転院する前に愛大から持って帰ってきたCT画像と比較しながら、担当医師が詳しく説明してくれるのだけど、しっくりこない。素人目で見て、画像の鮮明度が違うように見えて・・・。

実際、血液検査の精度も出て来るデータの数値が、愛大の時と比べて 白血球の数値だと1000前後、クレアチニンの数値だと 0.1は違う。他のすべてのデータもこのぐらいの誤差がある。これは 2月に転院してきてすぐの数値から このポイント1ぐらいの乖離があるから・・・ どんなんだろう?ここの検査精度は?と・・不可思議に思っている。そんなんで いきなり「影がある」と言われても・・・・・。

別に 血液検査の数値も その誤差を除けば ほとんど変わりもなく、咳も出たり微熱も出てるわけではないので・・にわかには認めづらい。。

で、少し様子見することにした。

平成最終日

1年以上のブランク後の投稿。

今年の2月22日 愛媛大学病院の血液内科 お払い箱になりました。2003年夏に地元の病院から転入院後 2004年6月自家造血幹細胞移植をして14年あまり通院してきましたが、3代目の担当医が転勤することになり「もう15年も診たから・・いいでしょう?」と言われ、地元の病院に帰ることになりました。平成の幕とともに一区切りということでしょうか・・・。まあ 65歳もすぎ 年金ももらう年になったので、現役バリバリに体を維持する必要もなくなったということもあるかもわかりませんが。

といっても 現在のところ 眼科と脳外科は 愛大に通院してますから 何とも言えないところではあります。結局 平成の半分は愛大へ通院していたことになりますから 永いといえば永かったのかなあ・・と。

去年の9月、2003年私が入院にして以来 同じ病棟で闘病し、2004年のほぼ同時期に移植した Gさん が亡くなられて気落ちしました。移植から14年・・お互い退院して最初 7.8年のころは、私の2代目の担当医とGさんの担当医が同じだったので、よく病院で会って 近況を話し合いながらお互いの無事を確認しながら励みにしていたのですが、3代目の担当医がお互い違うようになって、彼は携帯を持たない主義だったので あまり会う機会もなくなり、年賀状のやり取りだけになっていましたが、元気に過ごしているのだろうと思ってました。何しろ 移植前の大量抗がん剤投与の時も、それに至る前の化学治療の時も ケロッとしてて、患者仲間では 不死身じゃないか?と思われるぐらいの強さでしたので、奥さんから知らせを受けた時は 耳を疑うほどの驚きでした。お葬式には間に合わなかったのですが、お線香をあげに あの豪雨災害明けの 大洲の少し山渕にある家に行きました。祭壇には 移植し退院した後 お互い病院で経過観察で再開した時 私が撮影してあげたGさんのちょっとはにかんだ顔の写真が遺影として飾られてました。奥さんが言うには 「いつも持っている鞄の中にいれてて・・あまり写真撮られるのが好きじゃない人だったから、なかなか正面から写しているのがなくて この写真 本人も気に入ってたみたいで・・」と。Gさんは白血病でしたが、その再発は結局なかったのですが、3年ほど前 舌癌を発症 ここ2年は 本当にしんどい思いをしたと 奥さんから聞かされて・・年賀状の「元気にしている」と書かれていたのを思い出して胸の痛くなる思いがしました。私には あの当時の戦友が亡くなってしまったという思いが強く寂寥感が半端ではありませんでした。

 そして今年の4月3日 うちの店を最もひいきしてくれてた Tさんが亡くなりました。本当にショックでした。76歳でした。4月4日 昼前に少し見覚えのある女のお客さんが入ってきて「1枚写真にプリントしてください」というのです。

 実は私は しがない写真屋でして・・・。もう絶命寸前の店ですが・・・。で、スマホの画像を見るとTさんと2人写しの写真でしたので、焼いているとプリンターのある所まで入ってきて、少し涙ぐみながら「お父さん・・昨日亡くなったんです・・・」と言ったので、「えっ・・」とびっくりして「な、なんで?・・・事故?」と聞いたら「心筋梗塞・・・」。突然だったそうで・・奥さんが一緒に出掛けようと部屋に呼びに行ったら ベッドに倒れてたそうで・・緊急搬送したけど・・。

うちが店を開いて今年で39年目。開店当初から現在まで欠かすことなく2.3か月一度は必ず来てくれたお客さんは、Tさん ひとりです。本当に御贔屓にしていただきました。娘さんたちもお嫁に行くまでずっと贔屓にしてくれました。この2月にも パスポートが切れるからと 更新の写真を撮影したばかりでしたので、私のショックは大きかったです。ソフトボールも現役で出場していましたし健康に不安があるなどとても傍からは見えませんでした。人の命はわからないものですね、あんなに元気だった人が、あっという間に逝ってしまう・・。かとおもえば、15年前に「もう無理かもしれない」と地元の担当医にかみさんが言われた『悪性リンパ腫』の 私がいまだにこうして生きている、生かされている・・・わからんもんです。人の命は。

平成最後の日に、久しぶりに 一文 したためてみました。

 

 

ちょっとなあ・・・・血液検査の数値が・・・・

昨日、定期診察で大学病院へ行ったのだけど・・・。

血液検査の数値が・・・・

可溶性IL-2レセプター がなんと 1735 と示され・・・

他の血液検査の数値に大幅な変化がないので・・・・一応様子見で帰ってきたのだが、ちょっと不安・・どころか かなり不安・・である。