12月5日 柏坂へんろ道

 12月5日(土) 天気予報では曇り雨。また雨の中の歩きかよ・・・と空を見ながら朝7時前に、観自在寺近くの宿を出発。まだ薄暗い。
  8時ぐらい前から急に空が晴れてきて一安心。
国道56号線の歩道は歩きやすく、結構アップダウンのある道なのだけど、順調に足は動く。
柏手前の室手海岸に出ると視界がバーンと広がり爽快。

9時半過ぎに 柏の交番前から 柏坂へんろ道へ入る。順打ちは 矢印が手前にあるから、迷うこともなく楽。

で、ここからが段だらだらだら上りがずーと続くのである。
このへんろ道には、野口雨情の歌碑が頂上へ行くまで、この上りの山道の苦しさを和らげようとたてられてある。
 峠の清水大師までに8つあった。その中で

松の並木のあの柏坂 幾度涙で越えたやら   野口雨情

 この歌がほんとこのきつい段だら坂を現してていい。
ただ 松の並木というほどの松ではないので、当時はもっと松並木がこのへんろ道にあったのかもしれないなあと思いながら、上がっていったのだけどなかなか頂上までたどり着かず閉口。

清水大師を抜け、見晴らしのよい展望台に出たのが、12時ぐらい。登り始めて 約4キロを2時間半。のぼりの苦手な私には、まずまずか・・・・。

室手海岸で見た景色を、上から見てるという感じ。この頃から雲ゆきが怪しくなる。

で、ここからの下りがまただんだら坂で、石が多いし山水で真ん中がえぐられた道ときているから歩きにくい。それが延々4キロぐらい続く。そのうちパラパラと降りだしたから、滑りやすいから閉口。
民家の見える平地に下りたのが1時過ぎ。歩きにくいといいながらも下りはやはり早い。この頃になり雨も上がる。

それから川沿いに歩き、国道56号線を渡り、整備された舗装のへんろ道を歩く。ほぼ自転車道かと思われるほどきれい。
 岩松の大畑旅館に着いたのは、4時前。今日は早い。冬場の歩きはこのぐらいに着くのが理想なんだけど・・・。
 この大畑旅館は、獅子文六が 「てんやわんや」 を執筆したところとして知られているので、一見してみたいと投宿。

さすがに、当時の面影を残すだけに古いのは否めないが風情はある。

ロビーに獅子文六の写真が飾ってあった。でその横にある色紙は 大リーガーの岩村選手のサイン。
 なんと 彼の公式ブログによると この12月15日から お遍路に出るとのこと。ん?明日じゃないか・・。奇しき縁・・・

というわけで 逆うちから順打ちへの2日目でした。

▲柏坂のログ
またもやスイッチ入れ忘れの途中電池切れ、柏坂のぼりで気づくという・・あいも変わらずのいい加減さ・・・この物忘れのひどさを解決せにゃ・・



本日の歩行距離 約28キロぐらい

43番明石寺 逆打ち顛末記

 12月4日(金)から6日(日)までの3日間で、前回打ち終えた 40番観自在寺から43番明石寺まで 63キロの道のりの歩き遍路に行ってきた。
 この距離感だと 2日かなあ?という雰囲気もあるのだけれど、いろいろ調べたり聞いたりしてみると 御荘町から津島町への峠 柏坂が結構きついらしいとの事だったので、3日間とした。
 40番観自在寺は 1番霊山寺からは1番遠い位置にあるとされている。ということは、私のうちからも交通の便は悪いわけで、散々考えた挙句
 「43番から、逆打ちをしよう」と決めた。
 初日、卯之町 43番明石寺 42番仏木寺 41番龍光寺 を回って 宇和島どまり。2日目は岩松どまり、3日目は柏坂越えで観自在寺、という予定を組んだのだが・・・・・いざ歩き始めてみるとこれが大変な落とし穴が待っていたのであった。

 12月4日 朝9時過ぎ 卯之町駅に到着。卯之町の昔ながらの街並みを縫うように歩くと 高野長英の隠れ家があった。
 「へええ、こんなところに隠れてたのか?」とちょっと驚く。

この頃の南予は歴史の表舞台にちらちらと顔を見せていたのか・・・と思わせるなあ。
この路地を抜けて 聾学校の横の小路を上がっていくと 43番明石寺。

 まだ多少紅葉がのこり・・・・・

寺について、GPSロガーの電源を入れてないのに気づく。このポカが多いなあ。

参拝を済ませ、いざ42番仏木寺へ歩き始めたのはよいのだけど、参道を下りたとたん道標らしきものがない。はて、困ったぞ!とこの辺りからいやな予感。
 高速道路の工事に伴い、大きい道路がバンバンできているものの、道標が見つからない。たまたま通りがかった電力の叔父さんに聞く。親切に教えてくれるものの、実際歩いたことがないから(まあ普通の人はそうだねえ)小路に関してはあやふや。少し先までの道はわかるというのでその辺りまで教えてもらい歩く。
 12月に入ってるから、極端に歩きへんろの人は減ってるし、まだ午前中だから来る歩き遍路には会わないから、聞くことすらできない。
 しばらく歩いて宇和球場に出たところで迷う。たまたま通りかかった地元のおばさんにへんろ道に出る路地を教えてもらい、ほっとする。

宇和球場沿いの土手にあるへんろ道の道標
で、民家の間を縫って県道へ。
 宇和町下川の県道31号線の橋を渡ってからが・・・・大変だった。
橋を渡ってしばらく行くと 歯長峠へんろ道への入り口なのだが、ここで道路の擁壁工事もあって入り口がはっきりわからなかった。最初入った道は20分ぐらいあがったところで行き止まりになり、引返して元のところへ戻り現場の人に聞き
 「ああ、へんろの人ならあそこからようおりてくるわなあ」と指差す小橋から入ったものの、この中の道しるべが見つからず、この山の中で 小一時間ほど迷ってしまい途方にくれてた時、やっと順打ちのお遍路の姿を木陰越しの眼下に見つけ、ほっとして道を教えてもらう。
 「逆うちですか?」と問い聞かれ
「そうです・・初めてで逆うちで迷ってしまいました・・・」と苦笑いすると
「ええっ・・・・それは・・・」と呆れてました。
ーーたぶん、無謀な・・・・という言葉がでかかったのでしょうが・・・・

 これが、その時のログ 明石寺から逆打ち 
この山の中での迷走ぶり・・・・後から見ればぞっ!とする。

 その日に泊まる宿は、大体昼ぐらいに予約するのだけれど、今日は山の中をさまよってたから今からなのだが、すでに2時をまわってる。あいも変わらずIPHONEは圏外。その上、この逆うちで、へたすりゃ道に迷って・・・・よくニュースで山菜取りで遭難なんて耳にしてたのだが、まさか自分がこんなところで道に迷うなんてこと思いもよらなかったし、あそこで白装束見なかったら・・・てことになるかも知れないという不安感が募り、思い切って宇和島まで歩き、駅前か、便と宿があれば御荘町まで行き順うちに戻ることにしよう!と決め、足早に仏木寺へ。

 ここから 仏木寺の道も凄く、逆うちでくだりになるのだけれど、順打ちだと相当きつい上り、何しろ鎖がある急勾配。やっと仏木寺にたどり着いたのは 3時過ぎ。

 仏木寺には、七福神の石像があり
  「へえ・・・」と驚くばかり。お寺に 七福神ねえ・・

平地に下りてきてやっと IPHONE 始動。
御荘町 40番観自在寺の門前の宿がとれる。宇和島駅まで歩いて、最終バスでこれなら行ける。

 境内で女のお遍路さんに、歯長峠への道を聞かれあれこれ話をしているうちに、寺を出たのは4時ぐらい。
 41番龍光寺までは 2.6キロ。5時までに入らないと御朱印をもらえないから足早に歩く。今が一番陽が短く、歩道沿いにはコスモスがズーッと植えられているのだけど、時計と睨めっこで気もそぞろ。

 ところがここでも、逆うちを選んだ浅はかさが出る。龍光寺への入り口がわからない。通行人も見当たらず、看板探しながらうろうろするも道しるべはなし。そうこうしてたら、下校中の男の中学生に会い、懇切丁寧に道を教えてもらい、事なきをえる。宿毛でもそうだったんだけど、結構男のこの方がこういう場合役に立つ。
 龍光寺に入ったのは、4時40分ぐらい、ぎりぎりセーフ。

必死で歩いてきたので、凄い格好。

 お寺で県道へ出る道を聞き、出たのは5時ぐらい。あっという間に陽は落ち、周りは真っ暗。
57号線をひたすら宇和島駅を目指して歩く。
 前々回足摺岬から打戻りで久百々まで歩いた時も真っ暗だったなあ・・・と思いながら歩く。
逆うちは、ちょっと・・・という思いが何とか宇和島駅まで足を持たせた。
 宇和
島駅に着いたのは8時前。平城札所前にバスで着いたのは9時過ぎであった。

    GPSロガー最後の方電池切れ・・安物は・・
 
今日の歩行距離 約30キロあまり (迷走分含む)
          ・・・・・・・・つづく

40番観自在寺・・愛媛入り

 10月25日 朝起きて足の裏を見る。
まあ。一晩で治るわけもなく、豆はつぶれ皮が捲れてる状態は変わらず。
包帯でテーピングして足の裏を締める。
もう宇和島は無理だろうから、せめて40番までは・・・・と、7時前に出発。
空は今にも降り出しそうな雰囲気。

遍路道は、宿毛の街を出てすぐ山に入り松尾峠をめざすのだが、道自体は狭いほんとの山道で登りはそうでもないのだが、少しでも下りになると足の裏に小石が当たり痛い。登りの中ほどまではみかん畑などもあり、のどかなのだが、それ以降はぐっときつい登りばかりになり、相当堪える。
遍路道入り口から見た宿毛
遍路道入り口より宿毛の街を見る

松尾峠上り口の番所あと

松尾峠上り口

松尾峠中腹より 宇和海が見える

峠の頂上にさしかかる辺りで、パラパラと雨が降り出す。
なんか台風が来てるとか・・・・というのをテレビの天気予報で言ってたけど、・・・よりによってなあ・・。とぶつぶつ言いながら登る。

9時前 松尾峠に到着。県境である。
「やっときたか!」と思わず声が出た。高知県抜けるのに、なんと丸10ヶ月。
まあ、区切りうちだからねえ・・・。と言っても 私の場合 こま切れうちかもしれないけど・・・。昨日、ちょっと一緒に歩いた女の人ともそういって笑ったけど・・・。

松尾峠大師堂一夜庵前にて
松尾峠大師堂一夜庵

県境
県境

風の音と雨脚が強くなり、伊予へ駆け下りる。
なんてうまくはいかず・・・・下りだから足の裏に負担がかかり痛いの何の・・・・

ところで高知県側と愛媛側では ポンと違うことがひとつ。。
愛媛県側の遍路道
↑ これが愛媛県側の松尾峠から一本松町へ降りる遍路道である。ずーっと下りきるまでこれであった。遍路道というより遊歩道というほうがふさわしいような・・・・。宿毛から一本松まで約3時間ほど一人にも会わなかったけど、この道である。一日何人が通るんだろうか・・遍路を入れても片手か、ヤマ両手までだろうなあ・・・。
某首長以来、南予へは相当な公共事業費をつぎ込んでいると聞くが、こんなところにもそれをみてとれるなあ。。

一本松町の56号の交差点の駐在所で、道を聞く
年配のおまわりさんがわざわざ外に出てきて教えてくれる。
「40番への遍路道は、国道を渡ってまっすぐ道なりに・・・・、歩きよいのは左の国道をまっすぐだなあ・・」
「国道、歩道ありますか?」
「ずっと、続いてるから大丈夫だよ」
というので、国道を歩き始める。雨はパラパラ。
国道の歩道は、40番観自在寺の 上り口まで続いていた。たぶんその先も続いているんだろうけど・・・高知県の国道とは大違い。まあその分 公共事業費目いっぱいつぎ込んでるからなあ・・・。それがよいか悪いかは別にして、歩きやすいのは歩きやすい。

15分ぐらい歩いた頃、歩き遍路の同い年ぐらいの男の人に追いつかれる。
今回初めて、追いつかれ追い越される。見るからに足取り軽やか。。
 私の視界から消えるのも、そう時間はかからず、何とか追いつこうとするもこちらはもうすでに、とぼとぼ歩き。
 やっと40番観自在寺に着いたのが、1時前。着く前辺りから本降りになる。

観自在寺の納経所は、本堂の中にある。
今まで周って来たお寺のなかで、本堂の中にあった記憶がなく、珍しい。
本堂の中にしばらくいたのだが、参拝者の様子が見え実に面白かった。
長々と本格的にお経を読み納経帳を差し出す人もいれば、来ると手を合わせるだけで書いてもらうのが目的とそそくさと出て行く人もいる。まあどちらかといえば、というより圧倒的に後者のほうが多いけどね。。

 帰りがけ ご住職に 
「その色いいですね!目だって」と雨合羽の色をほめられる。
この上の写真の右端の緑色のカッパである。
・・雨合羽の色ほめられるというのもなあ・・・と、妙。

結局このお寺の前の 平城札所前から バスに乗り今回はここで打ち止め、帰ってきた。


    歩き遍路、雨の三日に、音をあげ
                          蹄鉄


 10月25日 宿毛~松尾峠~40番観自在寺

今日もGPSロガーの電源入れ忘れ、途中で電池切れ。
次からは、万全を期したいなあ。。


            本日の歩行距離 約18キロ

10月24日歩き遍路 39番延光寺へ

 昨夜、ぱらぱら降ってた雨は、依然として降ったり止んだり。
民宿の朝食でいっしょになった女の人と顔を見合わせながら
「まだ降ってるの?」と女将さんに聞くも、よい返事なし。
 女の人も、打戻で延光寺へ行くとのこと。お互い6時半の朝食である。
「私、足が遅いから・・早立ちしないと。。どっちから入るの?」と女の人
「どっち?」「真念庵まわり?県道ですか?」「ああ、もちろん県道。真念庵なんてとてもとても。」
というと
「私も県道。。向こうのほうが少し短いらしいけど、こちらのほうが歩きやすいというから」と笑顔。
 準備をして表へ。
女将さんが見送りがてら、空を見
「ぱらぱら降ってますね。これは・・本格的に降るかも・・・」と、困った顔をしながら
「お気をつけて。」と送り出してくれた。彼女のほうは、少し先に出発している。
民宿を出て5分もしないうちに大粒の雨が・・・・。

 今回、出てくる前に天気予報など調べて、最悪曇り一時雨程度の予報だったので、雨に対して本格的な準備はしてきておらず、持ってるのは簡易レインコートのみ。レインコートといっても腰辺りまでしかない奴。
 それでも着ないと・・・・とあわてて着る。リュックと軸は丸出し。
歩き始めると下ノ加江方向からの歩きお遍路さんと次々とすれ違う。皆合羽を着ている。
「おはようございます」と掛け声だけ威勢がいい。朝だから・・そのぐらいは・・。
そうこうするうち、土砂降り。
 下ノ加江川の手前を左に山側に5分ほど登って行った所に作業小屋がありその軒先にベンチがあったので、ずっと心配だったリュックを何とかせねばと休憩。菅笠からは滝のように水が落ちて・・・ズボンもほとんどぬれ足にまとわりつく始末。
 靴の中は水がはね、ピチピチチャブチャブランランラン状態・・・。
リュックの中はびしょぬれ。まだ泳ぐところまで入っておらず中のタオルが水を吸ってくれてるようで・・・。納経帳は万一を考えいつもナイロン袋に入れてるのでセーフ。めぼしいものをレジ袋にいれ、再び背負い、無理やりリュックの上から雨具を着る。当然短いからお腹のところが出る。仕方がない。服の中にレジ袋を破り広げて巻き込む。
 そうこうしているうち、先に出発した女の人が前を通る。
「あれえ~」と大きな声で彼女。先に行ってと手を振ると重装備の彼女はうなづいて足早に歩いていった。
 どこかで、重装備に着替えたんだなあ、彼女は。。
 
 空を見上げるも止みそうもない雲行き。あきらめて道路へ・・・出るとたんに菅笠を雨が叩く。
前かがみになり、金剛杖を持ち足早に歩く。

 県道21号線に合流、山越えして三原村へ向かう。足早に歩くも先行した女の人の姿は見えない。
そうこうするうち道は、県道なのに軽四一台が通れるぐらいの幅に狭まっていく。その上登り。
ほとんど車は通らない、というより通る気配がない。まして人など・・・・。
 ・・あってるのかよ?・・と不安になる。雨が降ってるから地図も取り出せない。標識もない。そのうち周りは林や木々の中に入っていき、真上を見ても空がわずかに見えるだけ。
 だんだん足早になる。7時前に歩き始め2時間ちょっと完全に山の中。雨も降ってる。

・・・しもたなあ・・先週来るんだった・・先週なら晴れてたのになあ・・修業の道場かあ・・・とぶつぶつ言いながら歩く。たまに会う車。すれ違うのに路肩やちょっと広くなった木の根元に退避するにも往生する。
 だいぶあきらめ加減で歩き始めた頃、狭い曲がりくねった道を曲がる時チラッとピンクのカッパを見つける。ほっとする。少し元気が出る。こういうとき人影を見つけると沸々と安心感が湧き上がってくる。
 「やっと、追いつきましたよ・・」と私が言うと
「私、10キロぐらいからペースが落ちるから、いつも朝のうちに稼げるだけ稼ごうと歩くんですけどね。今日はこの雨ですしね・・・・」と彼女。
それから、前後しながら2キロ歩くと通常の道路幅の道に出た。ただ、ずっと遍路小屋もなく・・・彼女の足はだんだん遅くなるので、私は先に行くことにした。そのころになって、雨も小降りに。


 山間の小集落で、背の高い男の人を追い越す。
「今朝は、どこから出たんですか?」と男の人
「久百々のいさりび」「僕は、安宿」
安宿か・・・前回私がお世話になった下ノ加江の宿だ。あんしゅくと言う。
少し話しながら歩くが、私のほうが早いみたいなので先を行く。
 それから30分ほど歩いたら、やっと三原村入り口の竹内商店という雑貨屋にたどり着いた。道を隔てた所に休憩所があり、そこで一休み。必死になって歩いたせいか、靴の中の水はなくなりズボンは半乾きになってきていた。雨は、時たまパラパラ降るぐらいになっていた。休んでいるとすぐ背の高い男の人が追い越して行き、15分ぐらい経ったころ、彼女が現れた。
 「あそこでね結局、道路際に座り込んでやすんでたのよ。」
「あの、大きい家のところですか?」
「そうよ、ずーっと歩きぱなしだったから・・・・」
「今日は、何処まで?」と私。「延光寺の嶋屋」
「まだ昼になってないし、それなら大丈夫ですよ」と私。
「あなたは?」「駅前」「平田駅?」「いや、宿毛駅」
「ええ?じゃあだいぶあるわね。」
「そうですね。先ほど聞いたんですが、この道を道なりに15.6キロ行って突き当たりの信号を左に曲がって、1キロほど行ったら右に折れる延光寺の参道が現れるそうですから・・」
と言って、先に休憩所をでた。
 あるき遍路用の地図はわかりやすいようでわかりにくい。歩きの道を強調するあまり距離感が正確じゃないので、最近は人に聞くことにしている。その方がわかりやすく教えてくれる場合が多い。

三原村役場近くで、男の人に追いつく。
「何処泊まりですか?僕は嶋屋」と彼。
大体、歩きで会うと大概質問は2つ。何処から来たか?何処へ泊まる?
どちらかである。
「駅前・・・といっても宿毛」
「えっ?じゃあ まだだいぶあるじゃないですか?」
「はあ・・・では、お先」と、足早に歩き始める。

 雨で靴の中がぐちゃぐちゃになって足がふやけたところに歩くペースを上げて過ぎてきたせいか、足の裏が痛み出してきた。若干痛みを引きずりながら、三原村の工業団地前の道路を歩いていたら、古い軽四に乗ったおじいさんが寄ってきて、
 「お遍路さん

歩き遍路・・・40番観自在寺・・やっと愛媛入り

 10月23日(金)~25日(日)まで 歩き遍路に行ってきた。
今回の歩きは、天気がこちらが予想してたのとは全く違う大荒れになり、3日目途中リタイアという憂き目になりましたが、何とか念願の愛媛入りをはたし、嬉しいかぎり・・・。
 高知県を抜けるのになんと10ヶ月を要したことになりましたが・・・・・ほんと永かった・・道のりでした。高知県には、たった16しか、お寺がないのにその間距離が400キロ近くあるわけで・・・、特に高知県南西部への道のり 36番青龍寺から岩本寺、足摺岬の金剛福寺、39番延光寺までの4つのお寺の距離が約200キロあり、これが特にきつい。修行の道場と言われるのが最もわかるところでもある。そして今回それを痛切に感じた歩きでもありました。

 23日朝早く土佐中村駅までJRででる。前回 盆開けのくそ暑い中を歩いて熱中症と脚の痛みに往生して、38番金剛福寺でリタイアしたので、今回は金剛福寺から40番観自在寺を経て宇和島ぐらいまで行きたいと思ってたのです。それで先ず出発点の足摺岬へ向かうとて中村へ。


 土佐中村駅 10:33 高知県南西交通バスの路線バスで 足摺岬へ向かう。
前回足摺岬から帰るときも、このルートを通ったのであるが・・土佐清水から西回りとはいえバスで1時間40分あまりかかるから、とおいちゃあ遠い・・。

 ビックリしたのがこの路線バス、結構人が乗っててねえ・・・・、鉄道がないからかなあ。
 昔懐かしい、子供の頃乗ったバスで荷物いっぱい持ったおばさんたちが乗ってた・・あれそのままの風景が・・・あって。

足摺岬に到着したのが、12時過ぎ。
今回から携帯をiphoneに替えてもってきたのだけど、なんと圏外。前回着たときドコモだったんだけど、通じたし周り見てもメール打ってる姿もちらほら。仕方がないから土産物屋に入ってお姉さんに聞く。
「公衆電話ありませんか?」と。お姉さん、私の片手を見ながら
「携帯壊れたんですか?・・山門はいったところにありますよ。」
そうだろうな?普通は壊れたと思うわな・・

金剛福寺の門をくぐると、右手に公衆電話があったので、家に連絡する。
最近、公衆電話使った記憶がない。
こりゃあ、ひょっとして今回苦労するかも知れんなあ・・・と嫌な予感。

太子堂を打って、今回の歩き出発。
前回熱中症でふらふらしてたので灯台も見ず、即帰ったので・・・灯台を見て出発する。

このあたりから すこし、曇りがちになる。
結局 39番延光寺へのルートは、打戻 三原村経由で行くことにし、下ノ加江へUターンすることにした。自分の足と相談すると、やはりこのルートになるなあ。。それでも 約55キロある。

昼食をとって歩き始めたのが、午後1時半過ぎ。
今夜の宿、久百々の民宿いさりびまで 約20キロ、半日では少々きつい距離なので、勢いつけて歩き出す。
3キロほど戻った大谷というところで、やっとiphoneつながる。がすぐ途切れ途切れになりこの先不安になる。
窪津漁港を過ぎる頃から雲行きが怪しくなり・・・空を見ながら脚を急ぐ。

「あっ、電池・・・」GPSロガーの電池切れに、やっとこの頃気づく。出がけに入れ替えてこなかったもんだから・・電池切れ。

以布利あたりに差し掛かり、前回通った遍路道をパス。あれは何ぼなんでも、今回はパス!と右目で無視。県道を歩く。
だんだん空模様が怪しくなり、あせる。

 大岐浜にさしかかる頃には日も暮れかかり・・・8月とは打って変わった日の暮れの速さ・・・。ますますあせり、大岐浜にも下りず急ぐ。

蟻崎辺りでは、もう真っ暗になり路肩を歩くも、歩道がない、当然街灯もないから、後ろからビュンビュン来る車を感じながら歩くから怖い。その上、ぽろぽろ雨が降り始める。
 結局、真っ暗な中を30分あまり歩き、6時過ぎに久百々の民宿いさりびにつく。

▲今日の歩行距離 約20キロ
時間がなかったためほとんど、県道と国道を歩いた。さすがに寝付きもよかったのか GPSロガーの電源を入れたままで寝たので、夜中の2時ぐらいまでカウントされててお粗末。

              
 10月23日 足摺岬 38番金剛福寺~39番延光寺 下ノ加江・三原村 打戻りルート 久百々 民宿いさりび まで

途切れてるところが電池切れ、民宿についた後ずっと動いてるのがおかしい。

ーーーー 歩き1日目 終わりーーー