はや7月

結局、歩きに出てなきゃすることもなく、ポケーっと一日を過ごすのみで・・あっという間に7月になってしまった。
 ぷらぷらしてたら、だんだん体力に自信がなくなるし、周りの人も
「過信しすぎるから・・」としきりに言うので、秋まで待とうとは思うのだが・・ちょっと長すぎて、退屈極まりない。。
  そんな、退屈な日を送ってたら先日、これから行こうという雲辺寺への遍路道の近く住んでいるおばさんが、お客として来たので、蝮のことをを聞いてみた。この辺りでは、蝮のことをハミというので・・・

「あの曼陀峠への一番古い遍路道は、まむしがよく出るの?」
「ハミはなあ、あんたらが歩いとるような道には、そうそうでんよ。ちょいちょい噛まれた!というとるのはよ、その道からちょっと入って用を足したりしたときにやられとるからな、大体。・・まあほんでも、2、3日前、父さんが捕まえて来とったけどな・・」
「えっ?ほんなら出るんじゃ!・・」
「まだ、ほなにはでんだろ?来月になったら、多いかもな。子産むから、産んだら恐ろしいで!向かってくるからなあ、シャーっと飛びついてくるで!子守ろうとしてな。。まあ、行くんだったら来月は止めとった方がええな、相手は気たっとるからなあ」
 と言って帰って行ったんだけどね、この時6月だったから、今月は危ないからやめろということか・・・。なんか病院も2人分ぐらいしか常時、血清置いてないみたいだし・・

 とまあこの話を聞いて、ますます気持ちがなえてきた。
 10月末まで、モチベーションもつかなああ・・・

宿帳の話・・

 昼、NHKの「龍馬伝」の再放送を見ていたら、LPガス屋が集金に来た。
ヒトがテレビを見ているの見て
「それ見とるとなあ、前になあ・・・、坂本龍馬の名前が宿帳にあった・・と言うのを思い出すわ!」とニヤリとしながらガス屋。
「へえ?・・ほんまか?」
「本陣の元の持ち主がよ・・。だいぶ前だけどな。それを聞いて、うちの息子がよ・・父ちゃん、ほんならうちの前、歩いとったんじゃあ!・・というてな、はしゃいで喜んどったのをおもいだすわ」
「脱藩の前の時の宿帳があるんか?ほんまか?」
「らしいぜ・・」
 とまあ、こういう会話をしてガス屋は帰って行ったんだけどね・・・。
宿帳というのは、どうだか怪しいものだけど。。
 この時代、ここには高杉晋作がこの地から、それも本陣の近くから船で逃げたという話もあるから・・・。

 ちなみに 娘に言われて知ったんだけど、このドラマの題字の書家・紫舟は、この市出身だそうな・・
 で、「書道ガールズ 甲子園」の発祥地でもあるわけか・・・
 お恥ずかしいかぎり・・紙の街に住んでるんだけどねえ・・

 「そんなことも知らないの?」と娘に言われてしまいました・・がははは。。
 

昨日・・・・

 昨日の夕方、
「昨日・・のがしてな!」
と、店に入ってくるなり、鉄砲打ちのおっさん。
「?」
「いのししよ・・いのしし・・」と声を荒げながらしゃべってる。
「昨日昼ごろな、がっこの先生から、電話かかってきてなあ、『はよ来て・・・うらで、猪出た!三頭・・おとろしいけんはよ打ってくれ!』と電話口でがんがん言うてきたんよ!」
「へえ!どこの学校?」
「学校じゃない!、その先生の裏庭よお!」
「どこよ?場所?」
「こないだの、反対側の山際」
「ほんで、行ったん?」
「おおよ、行ってこっちが・・・・お前よ、鉄砲かまえて狙いよったら・・・後ろから先生がよ・・××さーん、もっと右右!とかその横横!とかいうて、やかましいから打ちどころか!・・結局、打てずじまいで逃がしてしもうた・・・」
とがっかりした様子で、その先生のあわてようと興奮した様にあきれ顔。
「ふーん・・ほんなら、あてずっぽうにそこらあたりに打ちまくったらよかったのに!」
と、私が言うと
「ほななことしたら、おおごと!すぐ後ろに手まわるわ!。弾道が確定してなかったら、いまは打てんので!一発も!・・ほんのに、あのせんせがぎゃあ!ぎゃあ!わめくから・・」
といかにも悔しそうな口調で言い捨てて帰って行った。
 おっさんが言うには、この間ズタズタに噛まれたおばあちゃんが、やっとこの2.3日うちに帰ってくるんだそうな。破傷風の恐れもなくなったので、やっと無菌室から出られたそうで・・、よかった!よかった!と。

 
これも、知り合いに聞いた話。
そのばあちゃんの近くに住む50前後のおばさん一家。やはりイノシシが怖くなって、犬を飼い始めたそうな。生まれて2.3か月の子犬をもらってきたんだそうな。そしたら、つい2.3日前、後ろからいきなり
 ガブッ!
と足を噛まれて病院へ・・・
「自分が噛まれてたら、せわないわ・・・」と、そのおばちゃんは言ってるそうな・・

法事

 2日前、父親の三回忌の法事を行った。
親父が死んで、はや丸2年経ったわけである。法事がすんでホッと一段落した気持ち。
去年の法事の時、三回忌までには88か所まわっとくぞ!と意気込んでいたのだが、まだ半分も周れてなくて・・・。できるだけ早く残りを・・・と強く思う。
 三回忌が終わって、なんというかこれからホントの代替わりになるのかな・・と。

 今日来たお客が
 「おひさしぶり・・、ばあちゃんの49日がやっと終わって、ちょっと楽になった」
 とかみさんと話していたけど、私らの年代は、いままさに ほぼその世代に突入しつつあるか、まっただ中であるというのをあらためて感じさせられて・・・、時の流れを思い知る。

 祖母の命日が、親父の命日とあまり離れてなくて、四日しか違わない。
・・親子だから、離れてないのかなあ・・?・・
 と位牌を見るたびに思う。

天気がいいので

 2月3日節分。
子供が小さい時には、喜び勇んで 豆まきをしたんのだが・・・・・・。
 でもよく思いかえしてみると、ほんとにしたのは上の子が、小学2.3年ぐらいまでだったような気がする。上の子が小学校の高学年になったら、塾だ、スポーツ少年団だ部活だとかで全員がそろうのが夜遅くなり・・・そのうち下の子もそういう生活になり、いつしか玄関先に、パラパラとまくだけになって、それもそのうちに神棚に、ちょこんと豆だけをお供えするようになっていったのだが、なぜかそんな短い期間だけだった家族揃っての豆まきの印象だけが強く記憶に残っているから、人間の脳というのは、不思議なもんだなあ・・。

 珍しく今年は、家族全員がそろっているのだけど、今日も、神棚にお供えしている豆だけを食べることになるだろうけど・・・。

 天気がいいので、ふくを連れて散歩に行ってきた。