世の中・・広いようで、狭い・・・

 7月3日(日) 先週の日曜日
「剣山登山と源流ツアー」なるものに参加してきた。
このツアーは、剣山観光推進協議会というところが主催していて、ボランティアガイドが案内してくれる無料のツアー。

 剣山は、子供のころ・・小学4年ぐらいの時に親戚のおじさん一家に連れられて登ったことがあって、先月ネット内をあっちこっちしていたら、ふとこのツアーが眼にとまり懐かしくその当時の情景がちらりと頭をよぎり、ちょっと行ってみるかという気分になり申し込んだのである。

 ツアーは現地集合。登山リフトのある見越に朝9時である。
例年この時期は、梅雨真っ只中なので・・・申し込むときにどうかな?・・とは思ったものの、夏休みに入って人が増えてるときに行くのも、あまり好きじゃなかったのでこの日にしたのだが・・・。朝出かける時の天気予報が曇りのち雨で・・・。

 剣山は四国第2の高さを誇る山で、標高1955メートル。今は登山リフトで1750メートルまで行ける。昔小学生のころ・・・もう50年も前の話であるけど・・その頃は・・たしか・・国民宿舎に泊まって、登ったような記憶があり・・・その連れてってもらったおじさんも親父と同じ年に亡くなった。ま、ホームページで見つけたのも何かの縁だろうと・・そういう思いもあって・・・、ちょっとした過去をさかのぼる思いにも耽ってみたかったのである。。

 6時過ぎに家を出る。うちからは貞光側からも大歩危経由でも行けるのだが・・50年まえと同じ同じように貞光側から入ることにして高速へ。土日1000円も終わっているせいか、徳島自動車道はガラガラ。前も後ろもいないありさまで・・・・。美馬ICで降り貞光を経て国道438線へ。昔も今も対して変わってないような感じの国道で・・・やたら狭いくねくねした道だった記憶があり今もその印象がぬぐえないぐらいの道。とはいっても完全舗装だし、昔より道は広くなってるのだろうけど・・・・。
 集合時間にはだいぶ早いので、途中 人っ子ひとりいない「鳴滝」で ボーつと休憩。。

 曲がりくねった道をトロトロ車を走らせて、見越に着いたのが 8時半過ぎ。リフト乗り場には無料の広い駐車場があり、リフトはまだ動いてないものの周りのみやげ物屋はすでに開いていた。

このころから、ポロいポロリと雨が・・・・。
源流ツアーの参加者は、11人だったが・・9時半まで待ったが1人来ず結局10人。
 参加者は本州方面からの参加もあり、老若男女さまざま。若い女の子の二人づれ、今はやりの山ガールと言ったところか・・・。同じく若いアベック。二人の小学生づれの4人家族と私と私より少し年配らしきおじさんの10人。
 待合室ではしゃぐ元気のいい小学生の兄妹を見て・・
 ああ・・おれもこのくらいの年だったのかなあ・・と、

 ボランティアガイドは、ここの頂上ヒュッテのオーナーのおじさん。72歳だというけどとてもとてもその年には見えない。。爺さんと呼ぶには失礼かも・・・。

記念撮影をして、出発。登山リフトでリフト終点まで15分。標高1750メートルまで見越の1420メートルから一気に330メートル上がる。リフトに乗ったころから、パラパラ雨が・・・。 
 ボランティアツアーということなのか、頂上までの道のりは一番緩やかな道を選択してくれたのであるが・・・。なにせ上りは全く苦手な私にはそれでもしんどく、結局私一人だけ途中で休ませてもらうという体たらく。。皆が私を待ってくれて頂上へ。
 が、あいにく雨模様の霧がかりで最悪。

こんな状態で・・・・
 ただ驚いたのは、頂上ヒュッテから山頂まで板張りの道ができていた。昔来た時は普通の登山道を歩いたような記憶があったんだけど・・・。リフトができ観光客が増えて、登山道と頂上の三角点辺りが荒らされるので、こうなったらしい・・。まあ板の道の方が上りやすいけど・・趣はなくなったなあ・・と。
 その後、昼食をはさんで一の森、源流を周って帰ってきたのであるが、リフト乗り場に下りるころになって日差しが見えるようになり・・・。まあ山行きなんてこんなもの。。

 途中、ちょっと面白い光景を目にした。


 犬に登山服を着せて上っている男女に会った。その仕草が何ともいえず思わず吹き出してしまった。。最近、犬を連れての登山を禁止するというところもチラホラ出てきているみたいなのだけど・・・なんとも・・・。

 ▲ 本題は、世の中は広いようでびっくりするぐらい狭いというお話。

朝、リフト乗り場の建物の中で受付があり、受付して参加者の集合を待ってたところ、私より少し年上のおじさんがボランティアガイドと何やら少し長い話をしていてて、その後私の横で出発を待ってたところ。その人が話かけてきて
 「この源流ツアー、帰りのここ到着が3時半でしょう?私バスできてまして・・・そのバスの時間が3時10分なんで・・今ガイドにそれより早く帰りがなりませんかねえ?と聞いてたんですが・・保証はできない、と言われましてねえ。。途中から帰ってもいいですか?と聞いてたんです」と。
 「どちらからおいでたんですか?」と聞くと
 「愛媛の松山です。」と言うので
 「ああ、そうですか・・・私も愛媛だから・・・それなら帰りに近くの駅まで乗せてってあげましょうか?それならバスの時間気にしなくても・・・」
「でも、・・・今晩私、大歩危に宿とってまして・・・」
「・・大歩危・・ねえ・・じゃあ、そっち周って帰ってもいいですよ、距離的にはどっちから帰っても同じぐらいですから。来る時、貞光側から来たから・・」
「えー・・・じゃあ・・・」
ということになって、このおじさんを乗せて帰ることになった。

 公共交通機関の田舎での便は、歩き遍路をしているときにも痛切に感じたのだが、とにかく悪い。日に一本なんてのはざらで、まして山などは聞きしに勝る。おじさんに聞いて、まだ剣山には、バスが走ってたのか?と驚いたぐらいで・・。

 昼飯を食べてる時、いろいろ話をしてたら、なんとこのおじさん、私の通ってる大学病院に勤めているので、びっくり。その上、移植した時大変お世話になった看護師さんとも、一時期同じ部署で働いてた
というからもっとびっくり!。

 参加者10名の徳島県の剣山のボランティアツアー中で、その中の参加者2名が愛媛で、あまり年が違わなくて、かたや大学病院に勤めていて、かたやその病院に通っているという・・・こんなこともあるんですねえ・・・。。そして、そのおじさんを大歩危の温泉ホテルまでのせて帰った・・・という。。

 ホント、世の中広いようで狭い! ということを実感した次第。

定期診察

 木曜日16日、定期診察に行ってきた。
梅雨前線の影響で、前夜から雨、明け方から激しい雨に変わり、高速道路の視界も悪かった。事故でも起きなければいいが・・・と思ってたら。。
 案の定、大学病院のあるインター手前で、事故のため渋滞にぶつかる。約2キロ手前。9時前、だいたいいつもこのぐらいにここを通過するのだけど・・・・。大きな事故だったようで、ちっとも動かず・・・・インターにたどり着くまで2時間もかかり、病院に入ったのは、ゆうに11時を回っていた。今までもう7年近く通っているけど初めて。

 心身とも相当疲れて入ったのに、血液検査の値は、ほぼ良好。
・・・道中疲れても、あまり数値には影響せんのか?・・・と、?。

これがねえ、なんとびっくりザイロリックからユリノームに変えたら、尿酸値が激変してた。
先月の尿酸値の値は、12.1 だったのが なんと 4.8。
 ほぼ三分の一になっているのだ!。担当医も少し驚いているみたいで
「これは、これで・・・いいでしょう・・・」と
私もホントのところは、半信半疑で・・・ユリノームの方が効きはゆるいけど、アレルギーは多分あまり出ないだろうから・・・ということでかえたのだけど・・・こっちの方がザイロリックより効いているから・・・何とも不思議。
 やはり、体質によって薬の効く効かないということは、あり!なのかもしれないねえ。とかなんとか言いながら、来月また上がってたりして・・・。
 尿酸値が良くなったとなれば、当然少しながらクレアチニンも改善してるわけで・・・

▲血液検査の結果
白血球 10300 cre 1.48 尿酸値 4.8 BUN 26
ただカルシウム値が 10.8 まで上がってたのが・・ちょっと・・

 湿疹の方は、薬を変えたせいかほぼでなくなっている。帰りがけに寄った調剤薬局でも、おばさんが
「出なくなってよかったねえ・・・。でも、ザイロリック長い間飲んでたでしょう?それが急に出るなんてねえ・・?、そんなこともあるのねえ・・」と言ってた。

というわけで眼科へ入ったのは1時近くになってた。視野検査をする。
何年振りだろうか?。近くの病院では4.5年やってなかったからなあ・・

やはり、右目の視野は極端に落ちていて 検査結果を見るとほとんど真っ黒。真中から十字に伸びる戦場は白い程度で・・・
「右目は、白内障もひどいしねえ・・・これ以上悪くならないような治療するしか方法はないけど・・緑内障のことも聞いてるよね?向こうの病院で?。・・・ぶどう膜炎を起こした後強い炎症が出てこうなってるのだろうけど・・以前のことが分からないからねえ、どうにもこれだけで判断はつかないからなあ。・・・まあ。様子見ながらやっていきましょう。」と、。

近くの病院の眼科医は、紹介状は書いたものの大したデータは入れてなかったようで・・・。大した検査もしてないから、添付するデータなどないのだろうけど・・。

左目の方は、まだましで視野検査もそこそこに出てたので、少しほっとする。

でこの日、病院を出たのは3時を回っていた。

アレルギー性接触皮膚炎・・?

 結局、湿疹はまたタオルを普通のタオルに変えて軽くこする程度にしたら、あっという間に収まった。
 なんじゃこれ?・・とあまりの収束の速さに再びびっくり。

 担当医が言ってたように、アレルギー性接触皮膚炎 なのかもしれない。多分そうなんだろう。皮膚科にもいかず判断をするのは早計であぶないのだけど・・。
 こう顕著に、それが出てしまうとそうなんだろうなあ・・・。
どちらにせよ、タオルは普通のものを使うしかないねえ。。

「あんたねえ・・この間、この粗い目のタオルはいかん!これで、たぶんなったんやから・・・というて、使わんようにしたんと違うんか?」とかみさんにガイに怒られる。
 「あれとまた違う目の粗いやつ、今度ちょっとつこうてみたんじゃけど・・・また出てしもうた・・・」とか細く答えたら
 「アホ!」の一言。。

 ▲昨日、店に来たお客さん。20代後半ぐらいの男のお客さんなのだけど、飾ってある遍路の写真と、菅笠金剛杖を見て
「お遍路、いかれてるんです?歩きで?」というので
「ええ、去年の暮 結願しました。」
「へえ、そうなんですが?大変だったでしょう」
「まあ・・・区切りだったから・・通し打ちじゃなかったから・・」
「うちのばあちゃん家の前、歩き遍路さんがよく通るんですわ!遍路道やから」
「えっ?どこですか?」
「足摺岬の手前・・・」と言ったかと思うと壁に張っている四国全図のところへつかつかと歩み寄って、足摺岬の手前を指さす。
「ええっ?この道路工事してたところの県道あたりですか?」
「そうなんですよ!もう少し手前ですけど・・もう今は・・・4年前、ばあちゃんが亡くなってしまって止めたんだけど、それまでは ばあちゃん、家の前を通るお遍路さんにお茶のお接待をしてたんですよ。 私も 小さいころから ばあちゃん家へ遊びに行ったときは、お遍路さんにお茶なんかだしてお接待の手伝いさせられてましたよ。ばあちゃんなんか、布団まで用意してたんですよ。」
「そうなんですか・・・私も以布利遍路道を上がったところで老夫婦の方にお接待受けたんですよ・・・あのあたりでお接待受けるのは大変ありがたいですよ。もう少しで足摺なんだけどだんだら坂が続くでしょう?ちょうどしんどい時だから。。」
「そうなんですよね・・・以布利・・歩かれたんですか?あの海岸沿いの道、わかりにくかったでしょう?・・あれでも、地区の人たちが、わかりにくくならないようにいつも道を掃除してるんですよ。」
「そうですか・・・でもあそこは、海岸からの登り口がわからなくて右往左往しましたよ・・・」
「あの遍路道の沖で、子供のころは魚ついてよく遊んでましたが・・」
「そうなんですか・・」
と、いろいろ昔の話などをして、懐かしそうに以布利遍路道の写真をみて帰って行った。

 彼は、土佐清水に実家があるのだけどあまりいい仕事先がないのでここに移り住んできてるそうだ。過疎が進んで、近いうちに市から町に格下げになるのではないだろうか?と言っていた。それを聞いて、私がお接待をうけた老夫婦もそういうようなことを言ってさびしそうな顔をしていたのを思い出した。
 

また湿疹・・・?

 昨日の昼あたりから、また湿疹がポツポツポツとお腹周りに出始める。。

 なんなんだよう・・! といらつく。

 昨日の朝シャワーを浴びる時、また粗めのタオルを使ってみたのが・・・いけなかったのか?
以前使ってたやつとは、メーカーも質も変えたんだけどなあ・・。
 なんか柔らかめのタオルだと、使っててシャキッとしないんだよなあ・・体が。。こすりがいもないしなあ・・・。

 で、今朝も痒い!。。まだ、前ほどにはなってないけど・・

相性

  昔から、相性という言葉で人とのかかわりを表現しますが・・・いつも行っている病院の眼科医とは、結局相性の悪いまま おさらばすることになりました。

 昨日、週一日の診察日になってしまった眼科へ、大学病院への紹介状を書いてもらいに行ってきた。
 いつものごとくあまり話さない眼科医に
「先週大学病院の内科に診察に行ったついでに、眼科でも診てもらったんですが・・」と話を切り出すと
「眼科?」
「ええ、こっちの診察も去年から週一になったし、どうせ毎月内科で行ってるから話して診てもらったら・・できればこっちの紹介状もらってきてほしいと言われたので・・・書いてもらえませんか?」というと、少し沈黙があって
「月 何回行ってるの?」
「1回、その時に診てもらおうかと思ってるんですが・・・」と答えると
また少し沈黙があって、書いてくれるという。

 最後に、今の目の症状について聞いてみた。
「結局、私のはぶどう膜炎ですかねえ?」
「光彩炎だけど、光彩炎もぶどう膜炎の中の一種!」と語気を荒げて言うので
「先生の専門は、ぶどう膜炎ですよよね?」と聞いてみたら
「そうです!」とパソコンのキーボードをバチバチ音を立てながらと言っていた。
 今のネット社会では、この病院の上流の大学病院のホームページを見れば、所属医の専門とか経歴とかが見れるから、だいぶ以前からこの眼科医の専門が何か?私は知っていたのだけど・・今までを見る限り、とても専門がぶどう膜炎とは思えない。
 この眼科医が4年も前からここで診察をしているが、私は視力検査も視野検査も受けたことがない。毎回しているのは眼圧の検査だけ。。
 まあ去年の四月からは、週一の診察になって患者多くなってまともに検査などできるはずはなかっただろうが・・・。

 そういう意味では、彼は私にとっては、最も相性が悪い医者だったといえる。ただ、多分それは私だけではなかったのだろう。昨日、看護師に 先生に話があるから後ろの方で来るから と言って、受付だけすまして一度帰ってきて 12時前に行ったところ待合室には患者が一人しかいなかった。去年の暮近くから患者は減り続けていて、ついに12時前には診察が終わるようになっているのだ。
 去年の4月に週一になって2.3カ月は、病院の正規の受付時間は11時半までだったのに、患者が多くて診察できないからと、10時半前には受付をやめてしまう無茶苦茶なやり方をしていた。そんなことで患者が我慢するわけもなく一人減り二人減りと少なくなっていったようだ。
 それでもこの眼科医がとびきり優秀であれば、減ることもないのだろうが、まともに患者の質問に答えない、知りたい事にはろくに答えない。自分はわかってるんだから患者の私などが詳しく知ったところで・・という考え方なんだろうか?・・・という風に思えなくもない態度で。
 私も最初この眼科医が赴任してきた頃、何ヶ月か質問を多くしたが・・・これといってこっちが満足するような回答を得られた覚えがないから・・ついには質問をするのをやめてしまった。大学病院から派遣されてきた医者だから、すぐ代わることが多いので、代わるまでまってもいいや・・と思ってたんだが・・・あにはからんや、本体の病院の方の体制が危なくなってたから、何をかいわんやで・・・・。
 眼科医が代わるどころが、診療日が激減してしまったのだろうから・・・待つどころか患者の方で対応するしかなくなった次第。。
 現代の医者は、患者からの質問にちゃんと答え、きちんと説明できなければいけない。それができないような医者は、医者とは言えないのではないだろうか?。。。
 まあ私以外にもそう感じていた患者が多かったかもしれないが・・・

 もし再びこの病院の眼科で診もらうことになるようなことになっても、もうこの眼科医はいないだろうから。。

 でもねえ、自分の体を託す医者というのは、本来自分と相性がいい方が良いにきまってるから・・・こういう具合に地方、特に田舎の医療が縮小していくと問題も多くなってくるなあ・・・