定期診察

 木曜日16日、定期診察に行ってきた。
梅雨前線の影響で、前夜から雨、明け方から激しい雨に変わり、高速道路の視界も悪かった。事故でも起きなければいいが・・・と思ってたら。。
 案の定、大学病院のあるインター手前で、事故のため渋滞にぶつかる。約2キロ手前。9時前、だいたいいつもこのぐらいにここを通過するのだけど・・・・。大きな事故だったようで、ちっとも動かず・・・・インターにたどり着くまで2時間もかかり、病院に入ったのは、ゆうに11時を回っていた。今までもう7年近く通っているけど初めて。

 心身とも相当疲れて入ったのに、血液検査の値は、ほぼ良好。
・・・道中疲れても、あまり数値には影響せんのか?・・・と、?。

これがねえ、なんとびっくりザイロリックからユリノームに変えたら、尿酸値が激変してた。
先月の尿酸値の値は、12.1 だったのが なんと 4.8。
 ほぼ三分の一になっているのだ!。担当医も少し驚いているみたいで
「これは、これで・・・いいでしょう・・・」と
私もホントのところは、半信半疑で・・・ユリノームの方が効きはゆるいけど、アレルギーは多分あまり出ないだろうから・・・ということでかえたのだけど・・・こっちの方がザイロリックより効いているから・・・何とも不思議。
 やはり、体質によって薬の効く効かないということは、あり!なのかもしれないねえ。とかなんとか言いながら、来月また上がってたりして・・・。
 尿酸値が良くなったとなれば、当然少しながらクレアチニンも改善してるわけで・・・

▲血液検査の結果
白血球 10300 cre 1.48 尿酸値 4.8 BUN 26
ただカルシウム値が 10.8 まで上がってたのが・・ちょっと・・

 湿疹の方は、薬を変えたせいかほぼでなくなっている。帰りがけに寄った調剤薬局でも、おばさんが
「出なくなってよかったねえ・・・。でも、ザイロリック長い間飲んでたでしょう?それが急に出るなんてねえ・・?、そんなこともあるのねえ・・」と言ってた。

というわけで眼科へ入ったのは1時近くになってた。視野検査をする。
何年振りだろうか?。近くの病院では4.5年やってなかったからなあ・・

やはり、右目の視野は極端に落ちていて 検査結果を見るとほとんど真っ黒。真中から十字に伸びる戦場は白い程度で・・・
「右目は、白内障もひどいしねえ・・・これ以上悪くならないような治療するしか方法はないけど・・緑内障のことも聞いてるよね?向こうの病院で?。・・・ぶどう膜炎を起こした後強い炎症が出てこうなってるのだろうけど・・以前のことが分からないからねえ、どうにもこれだけで判断はつかないからなあ。・・・まあ。様子見ながらやっていきましょう。」と、。

近くの病院の眼科医は、紹介状は書いたものの大したデータは入れてなかったようで・・・。大した検査もしてないから、添付するデータなどないのだろうけど・・。

左目の方は、まだましで視野検査もそこそこに出てたので、少しほっとする。

でこの日、病院を出たのは3時を回っていた。

アレルギー性接触皮膚炎・・?

 結局、湿疹はまたタオルを普通のタオルに変えて軽くこする程度にしたら、あっという間に収まった。
 なんじゃこれ?・・とあまりの収束の速さに再びびっくり。

 担当医が言ってたように、アレルギー性接触皮膚炎 なのかもしれない。多分そうなんだろう。皮膚科にもいかず判断をするのは早計であぶないのだけど・・。
 こう顕著に、それが出てしまうとそうなんだろうなあ・・・。
どちらにせよ、タオルは普通のものを使うしかないねえ。。

「あんたねえ・・この間、この粗い目のタオルはいかん!これで、たぶんなったんやから・・・というて、使わんようにしたんと違うんか?」とかみさんにガイに怒られる。
 「あれとまた違う目の粗いやつ、今度ちょっとつこうてみたんじゃけど・・・また出てしもうた・・・」とか細く答えたら
 「アホ!」の一言。。

 ▲昨日、店に来たお客さん。20代後半ぐらいの男のお客さんなのだけど、飾ってある遍路の写真と、菅笠金剛杖を見て
「お遍路、いかれてるんです?歩きで?」というので
「ええ、去年の暮 結願しました。」
「へえ、そうなんですが?大変だったでしょう」
「まあ・・・区切りだったから・・通し打ちじゃなかったから・・」
「うちのばあちゃん家の前、歩き遍路さんがよく通るんですわ!遍路道やから」
「えっ?どこですか?」
「足摺岬の手前・・・」と言ったかと思うと壁に張っている四国全図のところへつかつかと歩み寄って、足摺岬の手前を指さす。
「ええっ?この道路工事してたところの県道あたりですか?」
「そうなんですよ!もう少し手前ですけど・・もう今は・・・4年前、ばあちゃんが亡くなってしまって止めたんだけど、それまでは ばあちゃん、家の前を通るお遍路さんにお茶のお接待をしてたんですよ。 私も 小さいころから ばあちゃん家へ遊びに行ったときは、お遍路さんにお茶なんかだしてお接待の手伝いさせられてましたよ。ばあちゃんなんか、布団まで用意してたんですよ。」
「そうなんですか・・・私も以布利遍路道を上がったところで老夫婦の方にお接待受けたんですよ・・・あのあたりでお接待受けるのは大変ありがたいですよ。もう少しで足摺なんだけどだんだら坂が続くでしょう?ちょうどしんどい時だから。。」
「そうなんですよね・・・以布利・・歩かれたんですか?あの海岸沿いの道、わかりにくかったでしょう?・・あれでも、地区の人たちが、わかりにくくならないようにいつも道を掃除してるんですよ。」
「そうですか・・・でもあそこは、海岸からの登り口がわからなくて右往左往しましたよ・・・」
「あの遍路道の沖で、子供のころは魚ついてよく遊んでましたが・・」
「そうなんですか・・」
と、いろいろ昔の話などをして、懐かしそうに以布利遍路道の写真をみて帰って行った。

 彼は、土佐清水に実家があるのだけどあまりいい仕事先がないのでここに移り住んできてるそうだ。過疎が進んで、近いうちに市から町に格下げになるのではないだろうか?と言っていた。それを聞いて、私がお接待をうけた老夫婦もそういうようなことを言ってさびしそうな顔をしていたのを思い出した。