土佐街道

 「龍馬伝」の放送をきっかけに、昨日近くの図書館で 土佐藩の参勤交代に関する郷土史家が書いた本を借りてきて読んでいたら、かみさんが
「ばあちゃんは、立川から歩いて嫁に来たというとったし、ちょくちょく里へ帰るのに歩いて帰ってたというで!」というので、聞いてビックリ。
 立川というのは、土佐藩の関所で立川番所のあるところ。土佐藩主が参勤交代で使った土佐街道の関所である。テレビドラマでは、龍馬たちが難なく通過できた土佐藩の国境側の最後の番所である。
 「ほんまか?・・・あれ、笹ヶ峰越えで?」
 ばあちゃんというのは、かみさんの父の母である。かみさんの爺さんところへ高知の大豊の立川から、歩いて嫁に来たんだそうな。義父の父の在所は伊予 川之江の山沿いの村であるから、どう少なく見積もっても35.6キロはある・・・。あの凄い山道を朝出て、夕方には着いたと言う話で・・・。
 この街道、標高1000メートルの笹ヶ峰峠を通って川之江側なり立川側に下りるから・・相当きつい道だと思うんだけど・・一日で行き来していたそうだ。義父も歩いて遊びに行ったことがあるそうだから・・当時の人の足の達者さというのには、感心させられる。ばあちゃんが嫁に来てたかだか100年ぐらいしか経ってないのに、この世の中の変わり方・・・。

 私などは、歩き遍路をし始めて やっと最近1日 40キロ歩けれるようになったのに、それも平坦地だからねえ・・。
当時土佐藩の参勤交代の本陣は、立川の次は川之江で、これは街中にあるから、大雑把に見積もっても50キロはある。土佐藩の行列は最盛期、2500人ぐらいいたと言われているから、あの山越えてきたとは・・自分の足から考えるととてもとても信じられるような話ではないのだけれど、実際はそうなのだから凄いとしか言いようがないし、龍馬もまたこのきつい道を、平気な顔をして駆け抜けていったのだろうか・・・。

 なんかこの歳になってはじめて、ちょっと前の時代に興味を持ち始めた・・・。
 歳なのかなあ・・・・