10月24日歩き遍路 39番延光寺へ

 昨夜、ぱらぱら降ってた雨は、依然として降ったり止んだり。
民宿の朝食でいっしょになった女の人と顔を見合わせながら
「まだ降ってるの?」と女将さんに聞くも、よい返事なし。
 女の人も、打戻で延光寺へ行くとのこと。お互い6時半の朝食である。
「私、足が遅いから・・早立ちしないと。。どっちから入るの?」と女の人
「どっち?」「真念庵まわり?県道ですか?」「ああ、もちろん県道。真念庵なんてとてもとても。」
というと
「私も県道。。向こうのほうが少し短いらしいけど、こちらのほうが歩きやすいというから」と笑顔。
 準備をして表へ。
女将さんが見送りがてら、空を見
「ぱらぱら降ってますね。これは・・本格的に降るかも・・・」と、困った顔をしながら
「お気をつけて。」と送り出してくれた。彼女のほうは、少し先に出発している。
民宿を出て5分もしないうちに大粒の雨が・・・・。

 今回、出てくる前に天気予報など調べて、最悪曇り一時雨程度の予報だったので、雨に対して本格的な準備はしてきておらず、持ってるのは簡易レインコートのみ。レインコートといっても腰辺りまでしかない奴。
 それでも着ないと・・・・とあわてて着る。リュックと軸は丸出し。
歩き始めると下ノ加江方向からの歩きお遍路さんと次々とすれ違う。皆合羽を着ている。
「おはようございます」と掛け声だけ威勢がいい。朝だから・・そのぐらいは・・。
そうこうするうち、土砂降り。
 下ノ加江川の手前を左に山側に5分ほど登って行った所に作業小屋がありその軒先にベンチがあったので、ずっと心配だったリュックを何とかせねばと休憩。菅笠からは滝のように水が落ちて・・・ズボンもほとんどぬれ足にまとわりつく始末。
 靴の中は水がはね、ピチピチチャブチャブランランラン状態・・・。
リュックの中はびしょぬれ。まだ泳ぐところまで入っておらず中のタオルが水を吸ってくれてるようで・・・。納経帳は万一を考えいつもナイロン袋に入れてるのでセーフ。めぼしいものをレジ袋にいれ、再び背負い、無理やりリュックの上から雨具を着る。当然短いからお腹のところが出る。仕方がない。服の中にレジ袋を破り広げて巻き込む。
 そうこうしているうち、先に出発した女の人が前を通る。
「あれえ~」と大きな声で彼女。先に行ってと手を振ると重装備の彼女はうなづいて足早に歩いていった。
 どこかで、重装備に着替えたんだなあ、彼女は。。
 
 空を見上げるも止みそうもない雲行き。あきらめて道路へ・・・出るとたんに菅笠を雨が叩く。
前かがみになり、金剛杖を持ち足早に歩く。

 県道21号線に合流、山越えして三原村へ向かう。足早に歩くも先行した女の人の姿は見えない。
そうこうするうち道は、県道なのに軽四一台が通れるぐらいの幅に狭まっていく。その上登り。
ほとんど車は通らない、というより通る気配がない。まして人など・・・・。
 ・・あってるのかよ?・・と不安になる。雨が降ってるから地図も取り出せない。標識もない。そのうち周りは林や木々の中に入っていき、真上を見ても空がわずかに見えるだけ。
 だんだん足早になる。7時前に歩き始め2時間ちょっと完全に山の中。雨も降ってる。

・・・しもたなあ・・先週来るんだった・・先週なら晴れてたのになあ・・修業の道場かあ・・・とぶつぶつ言いながら歩く。たまに会う車。すれ違うのに路肩やちょっと広くなった木の根元に退避するにも往生する。
 だいぶあきらめ加減で歩き始めた頃、狭い曲がりくねった道を曲がる時チラッとピンクのカッパを見つける。ほっとする。少し元気が出る。こういうとき人影を見つけると沸々と安心感が湧き上がってくる。
 「やっと、追いつきましたよ・・」と私が言うと
「私、10キロぐらいからペースが落ちるから、いつも朝のうちに稼げるだけ稼ごうと歩くんですけどね。今日はこの雨ですしね・・・・」と彼女。
それから、前後しながら2キロ歩くと通常の道路幅の道に出た。ただ、ずっと遍路小屋もなく・・・彼女の足はだんだん遅くなるので、私は先に行くことにした。そのころになって、雨も小降りに。


 山間の小集落で、背の高い男の人を追い越す。
「今朝は、どこから出たんですか?」と男の人
「久百々のいさりび」「僕は、安宿」
安宿か・・・前回私がお世話になった下ノ加江の宿だ。あんしゅくと言う。
少し話しながら歩くが、私のほうが早いみたいなので先を行く。
 それから30分ほど歩いたら、やっと三原村入り口の竹内商店という雑貨屋にたどり着いた。道を隔てた所に休憩所があり、そこで一休み。必死になって歩いたせいか、靴の中の水はなくなりズボンは半乾きになってきていた。雨は、時たまパラパラ降るぐらいになっていた。休んでいるとすぐ背の高い男の人が追い越して行き、15分ぐらい経ったころ、彼女が現れた。
 「あそこでね結局、道路際に座り込んでやすんでたのよ。」
「あの、大きい家のところですか?」
「そうよ、ずーっと歩きぱなしだったから・・・・」
「今日は、何処まで?」と私。「延光寺の嶋屋」
「まだ昼になってないし、それなら大丈夫ですよ」と私。
「あなたは?」「駅前」「平田駅?」「いや、宿毛駅」
「ええ?じゃあだいぶあるわね。」
「そうですね。先ほど聞いたんですが、この道を道なりに15.6キロ行って突き当たりの信号を左に曲がって、1キロほど行ったら右に折れる延光寺の参道が現れるそうですから・・」
と言って、先に休憩所をでた。
 あるき遍路用の地図はわかりやすいようでわかりにくい。歩きの道を強調するあまり距離感が正確じゃないので、最近は人に聞くことにしている。その方がわかりやすく教えてくれる場合が多い。

三原村役場近くで、男の人に追いつく。
「何処泊まりですか?僕は嶋屋」と彼。
大体、歩きで会うと大概質問は2つ。何処から来たか?何処へ泊まる?
どちらかである。
「駅前・・・といっても宿毛」
「えっ?じゃあ まだだいぶあるじゃないですか?」
「はあ・・・では、お先」と、足早に歩き始める。

 雨で靴の中がぐちゃぐちゃになって足がふやけたところに歩くペースを上げて過ぎてきたせいか、足の裏が痛み出してきた。若干痛みを引きずりながら、三原村の工業団地前の道路を歩いていたら、古い軽四に乗ったおじいさんが寄ってきて、
 「お遍路さん

歩き遍路・・・40番観自在寺・・やっと愛媛入り

 10月23日(金)~25日(日)まで 歩き遍路に行ってきた。
今回の歩きは、天気がこちらが予想してたのとは全く違う大荒れになり、3日目途中リタイアという憂き目になりましたが、何とか念願の愛媛入りをはたし、嬉しいかぎり・・・。
 高知県を抜けるのになんと10ヶ月を要したことになりましたが・・・・・ほんと永かった・・道のりでした。高知県には、たった16しか、お寺がないのにその間距離が400キロ近くあるわけで・・・、特に高知県南西部への道のり 36番青龍寺から岩本寺、足摺岬の金剛福寺、39番延光寺までの4つのお寺の距離が約200キロあり、これが特にきつい。修行の道場と言われるのが最もわかるところでもある。そして今回それを痛切に感じた歩きでもありました。

 23日朝早く土佐中村駅までJRででる。前回 盆開けのくそ暑い中を歩いて熱中症と脚の痛みに往生して、38番金剛福寺でリタイアしたので、今回は金剛福寺から40番観自在寺を経て宇和島ぐらいまで行きたいと思ってたのです。それで先ず出発点の足摺岬へ向かうとて中村へ。


 土佐中村駅 10:33 高知県南西交通バスの路線バスで 足摺岬へ向かう。
前回足摺岬から帰るときも、このルートを通ったのであるが・・土佐清水から西回りとはいえバスで1時間40分あまりかかるから、とおいちゃあ遠い・・。

 ビックリしたのがこの路線バス、結構人が乗っててねえ・・・・、鉄道がないからかなあ。
 昔懐かしい、子供の頃乗ったバスで荷物いっぱい持ったおばさんたちが乗ってた・・あれそのままの風景が・・・あって。

足摺岬に到着したのが、12時過ぎ。
今回から携帯をiphoneに替えてもってきたのだけど、なんと圏外。前回着たときドコモだったんだけど、通じたし周り見てもメール打ってる姿もちらほら。仕方がないから土産物屋に入ってお姉さんに聞く。
「公衆電話ありませんか?」と。お姉さん、私の片手を見ながら
「携帯壊れたんですか?・・山門はいったところにありますよ。」
そうだろうな?普通は壊れたと思うわな・・

金剛福寺の門をくぐると、右手に公衆電話があったので、家に連絡する。
最近、公衆電話使った記憶がない。
こりゃあ、ひょっとして今回苦労するかも知れんなあ・・・と嫌な予感。

太子堂を打って、今回の歩き出発。
前回熱中症でふらふらしてたので灯台も見ず、即帰ったので・・・灯台を見て出発する。

このあたりから すこし、曇りがちになる。
結局 39番延光寺へのルートは、打戻 三原村経由で行くことにし、下ノ加江へUターンすることにした。自分の足と相談すると、やはりこのルートになるなあ。。それでも 約55キロある。

昼食をとって歩き始めたのが、午後1時半過ぎ。
今夜の宿、久百々の民宿いさりびまで 約20キロ、半日では少々きつい距離なので、勢いつけて歩き出す。
3キロほど戻った大谷というところで、やっとiphoneつながる。がすぐ途切れ途切れになりこの先不安になる。
窪津漁港を過ぎる頃から雲行きが怪しくなり・・・空を見ながら脚を急ぐ。

「あっ、電池・・・」GPSロガーの電池切れに、やっとこの頃気づく。出がけに入れ替えてこなかったもんだから・・電池切れ。

以布利あたりに差し掛かり、前回通った遍路道をパス。あれは何ぼなんでも、今回はパス!と右目で無視。県道を歩く。
だんだん空模様が怪しくなり、あせる。

 大岐浜にさしかかる頃には日も暮れかかり・・・8月とは打って変わった日の暮れの速さ・・・。ますますあせり、大岐浜にも下りず急ぐ。

蟻崎辺りでは、もう真っ暗になり路肩を歩くも、歩道がない、当然街灯もないから、後ろからビュンビュン来る車を感じながら歩くから怖い。その上、ぽろぽろ雨が降り始める。
 結局、真っ暗な中を30分あまり歩き、6時過ぎに久百々の民宿いさりびにつく。

▲今日の歩行距離 約20キロ
時間がなかったためほとんど、県道と国道を歩いた。さすがに寝付きもよかったのか GPSロガーの電源を入れたままで寝たので、夜中の2時ぐらいまでカウントされててお粗末。

              
 10月23日 足摺岬 38番金剛福寺~39番延光寺 下ノ加江・三原村 打戻りルート 久百々 民宿いさりび まで

途切れてるところが電池切れ、民宿についた後ずっと動いてるのがおかしい。

ーーーー 歩き1日目 終わりーーー

新聞見て 驚く・・

 今朝、地元紙 愛媛新聞を見て驚く。
「悪性リンパ腫に新療法」と言うタイトルで、一面に記事が掲載されいるから、驚き食い入るように眼を通した。
 この記事を引用したいのだが、どうもこの地元紙は著作権云々でめんどくさい手続きをしなくてはならないみたいなので、ちょっと引用するのを控えた。こういう記事をリアルタイムで引用できないとと意味はないのだけどね、報道機関の値打ちは・・・。

■要約すると、
ゼヴァリンによるRI標識抗体療法が、20日 四国がんセンターで実施された。
対象は、遅行タイプの 低悪性度B細胞性ホジキンリンパ腫、マントル細胞リンパ腫。
国内臨床実験では、80%の患者の腫瘍が縮小し、64%が寛解した。でその療法を実施し始めた。
というのが要約なんだけど・・・・こういう記事は、申請しなくても 引用ぐらいさせてほしいよなあ・・・じゃないと正確なことが伝わらない。

▲悪性リンパ腫 患者会・家族連絡会 NPOグループ・ネクサスのHPにゼヴァリンに関するページがありますので、一部分引用すると

2008年に国内承認および薬価収載された、放射性免疫療法薬ゼヴァリン(ゼバリン)とその治療についての情報です。

1)ゼヴァリン(ゼバリン)とは

ゼヴァリン(一般名:イブリツモマブチウキセタン)は、マウス-ヒトキメラ型抗CD20抗体に放射性物質90Y(イットリウム)あるいは111In(インジウム)を結合させた放射性免疫療法薬です。2001年に国内承認された抗体療法薬リツキサン(リツキシマブ)は、正常なB細胞および大半のB細胞性リンパ腫細胞に発現しているCD20抗原を標的として作用を発現する薬剤ですが、ゼヴァリンは標的を発現している腫瘍細胞のみならず、隣接する腫瘍細胞に対しても放射性物質が作用することにより抗腫瘍効果が現れることが期待される薬剤です。

海外では40カ国以上にて承認されていましたが、国内では2005年10月の厚生労働省未承認薬使用問題検討会議にて、「国内にて早期に承認申請がなされることが望ましい薬剤」との報告がなされ、2008年1月に「ゼヴァリンイットリウム(90Y)静注用セット」および「ゼヴァリンインジウム(111In)静注用セット」が国内臨床試験の結果を基に国内承認、2008年6月に薬価収載されました。

ゼヴァリンの保険適用は、CD20陽性の再発または難治性の
・低悪性度B細胞性非ホジキンリンパ腫
・マントル細胞リンパ腫
になります。

なお、ゼヴァリンは国内での治験症例が極めて限られていることから、製造販売後、一定数の症例に係るデータが集積されるまでは、ゼヴァリンの投与を受けた全ての患者さんを対象に使用成績調査を実施することにより、ゼヴァリンの投与を受けた患者さんの背景情報を把握するととともに、ゼヴァリンの安全性及び有効性に関するデータを収集して、ゼヴァリンの適正使用に必要な措置を講じるために、全例調査を行うことが国内承認条件とされています。

2)ゼヴァリンの治療スケジュール

ゼヴァリンによる治療は、(1)生体内分布の事前の確認を行う「ゼヴァリンインジウム」の投与と、その約1週間後に行われる(2)ベータ線照射による治療目的での「ゼヴァリンイットリウム」の投与の2回の投与によって行われます。「ゼヴァリンインジウム」および「ゼヴァリンイットリウム」のいずれの投与においても、まずリツキサンを投与し、正常なB細胞の表面にわずかに発現しているCD20抗原を覆うことで、正常な細胞にゼヴァリンが結合してしまうリスクを下げます。

「ゼヴァリンインジウム」の投与では、リツキサンの投与終了後に、ゼヴァリンインジウムを投与し、およそ48時間後にシンチグラム検査(放射性物質を用いて、体内での集積を調べる検査。例:ガリウムシンチ検査など)を行い、ゼヴァリンインジウムが発するガンマ線を体外からモニターすることで、ゼヴァリンインジウムの体内での分布を調べ、異常な集積がみられないかを検査します。

ゼヴァリンインジウムの検査で、骨髄などに異常な集積が認められた場合には、この後のゼヴァリンイットリウムの投与によって、重篤な骨髄抑制などの副作用が生じる可能性がありますので、ゼヴァリンイットリウムの投与による治療は中止となります。ゼヴァリンインジウムの検査で異常が認められなければ、検査から7~9日後に再度リツキサンを投与し、リツキサンの投与終了後にゼヴァリンイットリウムを投与して治療を行います。なお、ゼヴァリンの抗体部分と放射性物質[イットリウム(90Y)およびインジウム(111In)]との結合(標識調整)は、投与を行う直前に医療機関で行われます。

放射性物質であるイットリウム90およびインジウム111の半減期が、それぞれ約64時間および67時間と短いために、これらの放射性物質は海外の工場にて受注生産された後に、日本に空輸され、速やかに患者さんに投与される必要があります。2004年より行われたゼヴァリンの国内臨床第2相試験では、火曜日に海外工場にて生産された薬剤が金曜日に日本に到着していたために、薬剤の投与が医療機関の人員が少なくなる土曜日または日曜日となってしまう、という問題が指摘されていました。

そのために、国内承認後の日本での薬剤提供にあたっては、海外工場において日本向け専用の製造を委託することにより、上記の問題点を改善できるように検討中のようです。放射性物質を取り扱うために、国内での販売および輸送に際しては、バイエル薬品株式会社と冨士フイルムRIファーマ株式会社が共同で取り扱うこととなっています。

3)ゼヴァリンの治療を受けられる医療機関

厚生労働省第6回未承認薬使用問題検討会議(2005年10月)においても指摘がある通り、骨髄抑制が強く出るなどの副作用が生じる可能性があり、放射性物質を抱合するという薬剤の性格上取り扱いも難しく、血液腫瘍内科医と核医学専門医、薬剤師などの全面的な連携が必要となるために、ゼヴァリンの投薬を受けられる医療機関は限られてくることが予想されます。

ゼヴァリンの調剤(標識調製)にあたっては、放射性物質を取り扱うために放射線管理区域内での調剤が必要となるとともに、取り扱う医療者は日本アイソトープ協会と日本血液学会、日本核医学会、日本医学放射線学会、日本腫瘍放射線学会が主催する講習会をあらかじめ受講する必要があります。講習会は2008年1月のゼヴァリン国内承認以降、6月までに2回開催されており、販売後の使用の準備が順次進められているようです。

日本は被爆国であるとい

先週

先週の木曜日、 定期診察に行く。
9月は、ほとんど何もしないで、ぶらぶらしていたから血液検査の数値もいいだろうとタカをくくってたら、あにはからんや・・・・・クレアチニンも尿酸値も前より悪く・・・

 あまり無理しないように適当に無理をしないと体というのは、バランスとれないのかなあと馬鹿な考えをしたりして・・・・

診察を終えて、コーヒー屋に行ったら、ばったり 般若心経入りのバスタオルをいただいた戦友に会いびっくり。。何しろ2年あまり会ってなかったこともさることながら、その前に診察室の待合で、またまた超久々に美人薬剤師に出くわし、たまたま彼の話が出て、私が
「〇〇さん、通院してるの?最近?。それとも上にいるの?」と聞いたところ
「どうなんだろう?・・」と知らない顔されたので、会った時ホントビックリした。
こういうのを、無意識の予感というのだろうかなあ。。

▲血液検査の結果
CRE 1.6  尿酸値 8.7  BUN27

「毎日、ちゃんと飲んでるよねえ?」と疑いの眼差しの担当医
「はあ・・・・一応は・・・」と私
「腎臓のこともあるから・・・薬増やすのも・・チョイと・・」

と言うわけで、現状維持ということで帰ってきた。

なんかねえ・・・・・

 ブログ妙なことになってしまった・・・・。レンタルサーバーを借りてるんだけど、ロリポップというところなんだけどね・・・・・。ブログサービスをJugemに移行する とか何とかそのような通知を受けて、今のブログをJugemに移行したい人は、移行ツールを提供します。なんて言われて それに乗ったらこの始末。。
 なんで有料でロリポップしてるのか?まったく疑問・・・・・・ jugemのこのブログ無料なんだぜ・・すべての人相手に・・・・それをなんで わざわざ金払って利用させられるのよ? 気分悪いたらありゃしない。
かといって、すぐに閉鎖するわけにも行かず・・・・。ああ、くそおもしろくもない。。またレイアウト 一からやり直しかよ・・・・・・それに、イラン物もいっぱいひっついてるしなあ・・・
早急に対策ねらなあかんのだけど・・・・野暮用いっぱいで。。

とまあこういうわけで、妙なブランクがあいてしまいました。

▲9月の末に なんと右足の薬指の爪が皮ごとはがれました、ビックリ。。
夏の歩きで、両足の薬指がこすれて爪が真っ黒になり死んでいたのですねえ・・・・・。死んでるかどうかに関して 私は無頓着で、痛みは帰ってきて 1週間ほどで 治まっていたので、別に気にしなかったのですが・・・・なんとその日右足の薬指がむずがゆいので見ると 薬指と皮膚が同化した上に、若干それが浮き気味になってるではないか・・・!。かみさんにいうと
「そりゃのけんといかん!」と言うので、恐る恐る挑戦・・・こういうの嫌いなんだけど・・・かみさんに言われると嫌とも言えず・・
 すると いともかんたんにぽっかりのきました。

同化してのいた爪

← これがのいた 皮膚と同化した爪


のいた後

 ←のいたあと。

 ひどいもんですねえ・・・・・
 歩き・・・恐るべし・・

それはそうと・・・・なんとかせにゃならんなああ・・・・このブログ。。