帯状疱瘡

まさか今頃なるか?というのが本音。。
移植後 散々気を使い用心してたのだが・・・なんのこっちゃ、親父の葬式でなるとはなあ・・・
これ 想像以上に痛い。
特に私の場合、顔の右半分に出てしまったから最悪。。
昔懐かしい特撮ヒーロー キカイダー如く 右の顔と左の顔が全然違うという有様で、その上ものすごく痛い。当然ライン上の頭の天辺はもっと痛い。身動きでもした日にゃつま先まで ピキピキと電流が走ったようなショックを受ける。
1週間入院していれば直ると皮膚科の医者言うんだけれど・・・
入院した病院は、私が最初 悪性リンパ腫の診断を受け、脾臓を摘出 今じゃ前近代的となったCHOP療法で治療を受けた 血液など専門医のいない ごく普通の田舎の総合病院。
いまだにネットもできず、以前どおりの病室には、それでもふと懐かしさを覚える。
今いる部屋の真向かいの4人部屋が 悪性リンパ腫の闘病のスタートだった。
そう・・・2002年7月の暑い夏の日・・・ここからだった。
その当時、看護婦でもあり病棟の担当ををしていた女の子は、この病棟の師長になっていた。(この子は 昔から店へお客さんとしてきてくれていた・・・)
笑いながら
 「師長の〇〇です」と言われた時には 正直びっくりしたけどね。
 彼女達も 私が大学病院へ送られていく時、正直 生きて帰ってくるとは思ってなかっただろうから・・
 「また、舞い戻ってきたなあ・・・」というと
 「でも あれじゃないからいいじゃない・・今度はわがままばかり言わないでよ!」と釘を刺されてしまったけれど
 早速わがままを言って、チョロット帰宅して パソコンの前に座っている。
 大学病院には高度な医療の、田舎の病院には田舎の病院のよさがある・・・
 ただし、それは助かっているからいえることなんだけど。。
 それにしても痛いし、右目の損傷が激しくその方が心配。。