仕上げ

 12月23日、遍路の仕上げに高野山へ行ってきました。
 年内でどうしても区切りをつけたかったので、あわただしく・・・行った次第。
歩きではなく、フェリーと電車で行ってきました。
 初めての高野山でしたが、朝早いわ、この寒さのうえ、お山は少し小雨模様で参拝客も観光客もまばらで、静寂の中を参拝して帰ってきました。
歩きではなかったので、多くを語る必要もなし・・・・と。

 奥の院の納経所では、あまり参拝客もいなかったからか、軸ともに丁寧に書いてくださいました。シーズンオフに行くのもいいかもしれない・・・。

 金剛峯寺でも参拝客はまばらでゆっくり。。

 とまあお遍路の仕上げをしたわけでして、年内で一応の区切りをつけられてよかったなあ。。

 ▲やはり高野山は、高野山町石道を慈尊院から歩くべきなんだろうなあ・・・。
 次回、機会があればなんとか挑戦したい。。

臍帯血移植

 昨日(20日)の夕方、何気なくTBS系列のニュース番組 Nスタ を見ていたら、聞き覚えある声がしたので、テレビの画面をよく見ると、かつて私の幹細胞移植をしてくれた元の主治医だった。
  驚きと懐かしさも相まって、食い入るように番組をずーっと見ていた。この先生のおかげで今もこのように生きていられるのだから、じーっと見ないはずはないし見てると感謝の念が湧きおこってきて・・・。

 ニュース番組は、臍帯血移植に必要な臍帯血が、来年から不足していくのではないのか?という懸念を示す番組内容で、環境省のエコチル調査が重大な影響を与えているから、臍帯血が不足にならないように環境省に対応してほしいというものだったのだが・・・。

 環境省のエコチル調査のHP

主旨はよくわかるんだけど、先生が言ってたように
「それによって、臍帯血移植に必要な臍帯血が不足するような事態になってもらっては困る」というのは、私のような血液疾患の患者からすれば当然のこと。

 どうみたって「エコチル調査」なんていうのは・・『調査』というレベルのもの・・・でしかないんじゃないの?。

 臍帯血移植というのは、血液疾患の患者にとっては、臍帯血移植という『生』への希望の手段であるのに、ニュース番組に出てきた環境省の役人は、

「私には、そう切羽詰まっているような問題には思えない!」

といとも簡単に言ってのけている。同じレベルで論じられることにすら、私などには怒りを覚える。
 この人には、生と死のはざまで闘病している人間の気持ちなど、爪の先のかけらほどもわからないからこういう言葉を吐いてしまうのだろうけど、この程度の知識と認識しかない役人をこういうプロジェクトの担当にするというのもどうかと思うし、厚労省との連携もないみたいだから、こんなプロジェクトを環境省にやらせること自体、まちがってると思うけどなあ。。。

 ともかく、臍帯血移植に不足に生じないことを祈るし、環境省も厚労省も努力してほしい。

 ▲日本さい帯血バンクネットワークのHP

定期診察

 昨日16日(木)、急に寒くなり出かけていくのもおっくうになりそうな天気だったけど、大学病院へ。
 寒いので、温泉に寄っていく。こういう日はあったまっていいねえ。。

 「調子いいみたいだねえ」と、数値を見ながら担当医。

 クレアチニンも前回と変わらず、ほっと一息。

ここ一カ月、ほとんど毎週のように歩きに出かけてたから、意外にその効果がいいのかもしれない・・・。

 「まあ、この調子でいけばいい・・・」という担当医の言葉を聞いて帰ってくる。

▲血液検査の結果
 白血球 8000  cre 1.44   bun 23   尿酸 7.5

 白血球が落ちてきたのでほっとする。

 夏場 12000越えてたからなあ・・・

歩き遍路 冬編 結願

 12月12日(日)
 最後の歩き遍路の行程、大窪寺の道を歩いてきた。
天気予報の予測とは大違いの快晴、気温も高めの冬にしては最高の日より。

朝一、観音寺駅始発で高松。ここから高徳線で八栗口へ。
高松で、歩き遍路の人と偶然乗り合わせる。私より少し年上の人。この人も区切り打ち。前回讃岐牟礼駅まで歩いたそうで、今回はそこから88番大窪寺までの結願の旅。

 「私も前回、八栗を打った後、讃岐牟礼まで歩くつもりだったんですが、道を尋ねたら、琴電六万寺の方が近いと言われたので、そちらでやめたんですよ・・。一度六万寺へ引き返していくので・・・」というと。
「いやあ、私も長尾寺で女房と落ち合うことにしてるんですよ。最後の道は一緒に歩いてあげるというもので・・・だから、いずれ追いつかれますよ。」
「へえ、それはうらやましいですね。」
 結願の道を夫婦で歩くというのも、おつなもんだねえ。。

この人は、高松の人で今年の春から歩き遍路で回りだしたとかで、半年で結願。
「区切りだと、早い方じゃないですかねえ。。私なぞは2年八か月かかりましたよ」というと
「へえ・・、じゃあ私は、うまい具合に休みがとれたほうですねえ・・」と少し驚いていた。

 7時過ぎ八栗口で下り、GPSロガーのログに記録されているとおり、すぐ六万寺に引き返す。そのまま踵を返し、志度寺を目指す。
 昔から、あまりそうは思わなかったんだけど、歩き遍路をはじめて
「ひょっとして、俺は、方向音痴ではないのか?」
 と思い始めてきたんだけどねえ、このごろ。

 志度寺目指して歩いていたら、途中で散歩の人にお遍路さん、お遍路さんと声をかけられ
「道ね、旧道行った方がまっすぐお寺の山門に行けるし、途中で平賀源内の家も見えますから」
 と教えてもらい、旧道に入る。

なんかねえ・・・この志度寺への道は、源内通りと命名されているみたいで・・
この家からほどなく行くと志度寺山門。

8時半ごろ到着。着いたら、高松の人が出て行くところでした。やはり二駅半の違いは目に見えてわかるなあ。。

金剛杖の帽子も擦り切れて杖が見えて今にも破れてしまいそうになってきました。

志度寺から長尾寺へは、一直線に南下します。

 10時半ごろ長尾寺到着。またもや高松の人が出て行くところ。
「女房がまだなんで・・・。ちょっと早く来すぎた・・」と言って山門を出て行った。

長尾寺を出たのが11時前。一目散で前山遍路サロンを目指す。

 リンパ腫になり、再発して幹細胞移植して、もし運よく退院できたなれば、歩き遍路に出たい、と思ったのが始まりで・・四国に居ながら、ついぞ今まで遍路だ寺だ、などにぜーんぜん興味がなかったのだけど、ベットに寝てたら不思議とそんな気になって・・周り始めたのが2年八か月前。やっとあと一つとなって俄然足に力がこもる。。

 前山ダムを左に見て前山お遍路交流サロンに着いたのが12時前。

ここで、歩き遍路の人達だけに発行している 歩き遍路完歩証明書をもらう。
NPOの ループ88四国、遍路おもてなしネットワーク、さぬき市お遍路交流サロン、国際ロータリークラブの4者で発行している。
 遍路道中、今まで出会った歩き遍路の人達に、
「大窪寺へ行く前には、必ずここへ寄ってもらっておいでよ」
と言われてたので、もらってほっとする。

 このサロンの館長に
「大窪寺の最終のコミュニティーバスに乗りたいのですが、どのルートで行けばいいですか?」と尋ねたら
「今から?・・旧遍路道ルートだったら3時間ぐらいで行けるから・・」と言われ
旧遍路道へ行く。できれば多和神社横を通って女体山越えをしたかったのだけど・・。
 コミュニティーバスの最終は15時51分なので・・多分そちらの方の道ではむりということなんだろう。。

で旧遍路道へ入ったら、すぐに「花折れ山遍路道」の道しるべがあったので、私はてっきりこの道だと思いこれを入った。
 あとで高松の人にコミュニティーバスを待つ間に聞いたところ
「あっちは行ってはだめ・・とても今は女の人を連れて歩ける状態じゃないからと私は館長に言われたんだけど・・」と言われ、
 「やっぱり!・・ほんととてつもない道で・・ウソだろーと何度も思いましたから」
と返事をしたのだけど、私の勘違いでそこを入ったのでした。

まあこの花折れ山遍路道。かって明石寺から仏木寺へ逆打ちした際、歯長峠遍路道で迷った道の焼き直し版みたいな道で、それが2キロもあって・・・。案の定途中で道を間違いかけました。

ほぼここからが下りなんだけど、枯葉がいっぱいで登りより下りの方が木立がいっぱいあって道がわかりにくく、そうこうするうち下りの少しこう配のある道で枯葉の中にある木に足をひっかけ前にもんどり打って前へ転がってしまった。幸い枯葉だらけだったので怪我はしなかったのだが、起きてそこから下に降りようとしたら茨だらけで前へ進めない。そこでふと気がついた。

 「まてよ、これはお大師さんが道まちがっとるぞ!と教えてくれてるのではなかろうか・・・」と思って転ぶ前の少し高い所まで戻ってみたら、全然違うところに下りる道があった。GPSログをズームアップしてみれば一目了然・・・なのよねえ、道間違ったことが・・。

 「やっぱり・・・」と思いこの上り下りを何度も繰り返す花折れ山遍路道を出た。
ところが、またここで道を間違ってしまった。出たのは舗装道路で本来左へ行かねばならなかったのだけど、ずっと山登りをしてきたから、左を見たら登りで右を見たら下りだったから右を行ってしまった。ほんと方向音痴だねえ・

歩き遍路 冬編 その壱

12月4日
 前日まで大荒れだった天気も回復しそうだったので、例のごとく日帰り歩き遍路へ。前回 白峰、根来が大誤算だったので、今回は余裕を持って出かけることにした。
84番屋島寺までは絶対行くのだけど、それから先は足任せで・・という心づもりで家を出た。

 いつも通り朝一の電車で、前回のつなぎ地点 鬼無駅へ向かう。
鬼無駅は、このあたりに伝わる桃太郎伝説の地名駅、ホームに桃太郎の可愛らしいモニュメントがある。

ここを8時過ぎに出る。天気は快晴、気温もちょうどいいぐらいで・・・・。
一宮寺へは、香東川をわたり住宅街の中の細道をくねくね歩いて行く。

83番一宮寺に着いたのが 10時前。天気がいいのか団体のお遍路さんがいっぱい。

俳句の同好会らしきご婦人たちも、境内を闊歩していて・・・

一宮から屋島寺へは 高松市街を歩くのだけど、琴電三条駅あたりまでは歩道があまりないので歩きにくい。
 やっと屋島の特徴ある台形の形をした山を目の前にしたのは、1時前。

屋島の遍路道は、すげえ急坂。。遍路道に入ってすぐぐらいから、普通車がぎりぎり通れる道の両側に車がけっこう駐車していて・・なんだろう?といぶかしく思いながらあるいていたら、ちょうど今しがた停めた車があって、その中から二人の子供を連れたの若いお母さんが下りてきた。
 「こんちわ」とあいさつを交わして、休憩がてら様子を見ているとなんとびっくり。
この若いお母さんが、ザックに2.3歳の女の子を入れ担ぎ、5.6歳ぐらいの男の子を歩かせてこの遍路道を歩くではないか・・・
「登るんですか?」
「はい、・・・でもお寺じゃないですよ。水族館へいくんです。」とにこやかに笑いながら言って私より先に歩き始めた。
 
 屋島の頂上に、水族館があるのは知ってるし、私も子供のころ親に連れられて来た記憶がある。その頃はケーブルカーが走っていた。今はもうない。有料道路を利用するかシャトルバスを利用するかなのだが・・・歩いていくとはねえ・・と感心したのだが。。

「そこに、どんぐり・・・」なんて、男の子と言葉を交わしながら登っていくこの親子に、最後まで私は追いつけませんでした・・・。

 ただ、これはこの親子に限ったことではないんだなあ・・と登る途中でわかりました。なんと下りてくる人の大半が親子連れで・・・・。皆さんハイキングがてら水族館へ行っているみたい。
 でも、子供を背負って登っていく元気なお母さんにはたまげた。。近頃にはない光景で、さわやかな感動を覚えましたねえ。

 屋島寺の山門に着いたのは 2時前。

さすが屋島は、参拝客が多い。団体やら観光客でいっぱい。

 「さあ・・・これからどうするか・・」と思案。
 ここは標高は300足らずで大したことはないが、この急坂を下り、隣の五剣山の八栗寺まで、また登らなならん・・けど・・どうする?この前みたいに甘く見ていたら・・私の足では五時前までに着けるか?着いたとしても帰りはどうする?
 思案投げ首・・結論は出ず。。下りてみて時計見ながら考えるか?と、とりあえず屋島寺を2時半ごろ出る。

向かいの山の中腹に、八栗寺がある。八栗側に下りながらこの光景を見て、「あそこまでまた登るのか?」と少し気持ちがなえる。 有料道路を横切り遍路道に入ったところで、登ってくる人に出会い
 「八栗さんまでなら、あと4キロぐらい」と言われ少し元気が出る。麓に下りて足早に八栗寺の登り口を目指す。
 「行けんことはないか・・これだったら」と
遍路道は、八栗寺のケーブルカー乗り場の横から入る。ここもケーブルカーがあるように、急坂の道。遍路道を登り始めてちょっと行ったところにあるに露店のおばちゃんに
 「今日は、上でお泊まりかね?」と声をかけられる。
「いえ、下りるつもりですが・・」と答えると、明確な返事が返ってこなかった。
 時計を見ると 3時半を回っていた。微妙な時間かなあ・・と思いつつも、登るしかないから必死で息を切らして登る。
 会うのは下りてくる人ばかり。やっとの思いで八栗寺の山門にたどり着いたのは、4時。
 意外と計算より早く着いて、ほっとする。

冬独特の陽の陰り方が、お寺をつつみはじめるなか足早に寺を出たのが4時半ごろ。
一目散に駆け下りる途中、散歩の途中の犬を連れた女の人に会い、道を尋ねると
「もう薄暗いでしょう?ここからだと、琴電六万寺へ下りたほうが近いから・・家、そっちの方だから・・一緒に近くまで行きましょう」
 と言ってくれ、六万寺駅近くまで案内してくれた。感謝。

 駅で、電車を待つ間に遍路姿の私を見て、初老のおじさんに声をかけられ
「六万寺は、安徳天皇の行在所で八十八か所より由緒ある寺なのに・・・。」
「はあ・・そうなんですか・・」
そういや、下りてきた麓にあったなあ・・お寺。
「平家やったからなあ・・」
とおじさんは、88か所ほど有名ではない!というのをいたく悔しがっていました。

 かくいう私も、聞くまで知りませんでした・・から。

屋島、八栗寺へのログ
やはりあの登り下りがあったので、沿面距離で約40キロは歩いている。

 これで85番まで歩いたことになった。
 あと少し!