今度は、歩き遍路・・・ 春編その一

 28日 日曜日
 先週の連休にあきらめた歩き遍路に行く。先週は 2泊3日の予定を立てたのだけど、今回は日帰り。
 さて、2泊3日で歩く予定だった 内子⇒久万⇒松山市内 を日帰りでどう区切るか・・さんざん頭を悩ました末 出た結論は 夜中から歩いて 久万44番大宝寺まで行く。というものでした。2つの峠越えがあり、上りの苦手な私には、このルートは人一倍時間がかかるから・・・納経ぎりぎりまでにたどりつくことを目標にすると、約37.8キロを12時間、休憩を入れて14時間ぐらい・・・とみると午前3時。このぐらいの時間にでれば、行けるのじゃないか?と・・。

 というわけで、懐中電灯片手に午前3時チョイ過ぎ、内子駅をスタート。

平地はお手の物・・真っ暗な車も通らぬ国道を大瀬まで約10キロひたすら歩く、途中内子町営バスのバス停で一度休憩。真っ暗闇の中での休憩というのも・・なんとも・・微妙に不可思議。
 6時前、薄明るくなり始めたころ大瀬の街あたりに来る。大瀬の街へ渡る橋の手前で散歩中の老人を見つけ、大江健三郎の生家はどこかと聞くと詳しく教えてくれる。教えられたとおりに、ぷらぷらとよく整備された古い街並みを見ながら歩いていたら、教えてくれた老人が生家の前で待ってくれた。
「ここですよ!ここ」とわざわざ先回りしてくれてたのである。びっくりしたものの丁寧にお礼を言って頭を下げた。ホントびっくりした。

 下の左から2番目が生家

 内子町営バスのバス停は、綺麗な山小屋風の待合所になっている。こういう待合所が整備されているから歩き遍路にはもってこいの休憩所になる。お遍路休憩所をバス停にしたのかとさえ思う。

大瀬の街を出て最初のバス停で一服したのだが、IPHONEが通じたのは、ここまでであった。・・・・次に通じたのは、久万高原町の平地に下りた街中目前で、その間ずーっと圏外表示・・・・まったく・・・なんとかならんのか!ソフトバンク!

この待合所を出て少し行ったところに、曽我兄弟の仇打ちで有名な曽我十郎の首塚の案内板があった。ふーん、こんなところにあるのか・・と少々驚く。
 時間があれば行ってみたいところだが・・・

砥部と小田への分岐点国道379号、380号に着いたのが7時半前、ここまで約15キロ。大体予定通り。歩き遍路はここから379号沿いに下坂場峠、ひわた峠を経て久万高原町に入るのが一般的。地図上で見ると 大宝寺に向けて一直線のルートである。
分岐点の菜の花は、満開・・

この近くの遍路宿に泊まっていたと思われる歩き遍路の人たちの歩き始めとほぼ一緒になり、歩く。
 この時間だと、遅いスタートなんだろうけど・・なにはともあれ、一日分は追いついたわけになるか・・・・と。。ほっとしていたら、すぐ離された。

 晴れるかな?と思っていた空の雲行きが少し怪しい・・・・。

下坂場峠に向かう道で、先に歩いているお遍路さんを今朝の分岐点以降はじめて見る。


 先のお遍路さんを見たせいか、どっと疲れが出てきて小休止。休んでいると通りがかった地元のおじさんたちが
「下坂場峠を越えるなら、遍路道行ったほうがいいよ。県道歩いたら4倍も距離が違うからな・・ほんで次も、ひわた峠越えたほうがキツイけど近いからよ・・」と教えてくれた。
 ふーん4倍もやはり違うのか・・

下坂場峠を含めて ここからの遍路道を、ひわた峠遍路道というみたいだなあ。。

今まで歩いてきた峠越えの遍路道と比べて、この遍路道はずいぶん整備された歩きやすい道ではあるが、登りばっかりで少々きつい。

下坂場峠に着いたのは、11時ぐらい。
分岐点から約14キロぐらいあるから、3時間半でここまで来たというわけで、上々の出来。

この下坂場峠をいったん麓の村まで下って、それから ひわた峠へ向かう。
空の雲行きは怪しくなり 少しパラッとくる。ふもとの村からの遍路道は、一直線にひわた峠に向かっているのじゃないかと思うほどきつい。それでも午後1時前には標高800mの ひわた峠にたどり着く。

ここからの下りがまたすごい。久万高原町の役場に向かって直線距離で急坂を下りていく。
右ひざがガクガク・・・。
 久万高原町の街に入り 大宝寺山門に来たのが2時前

ついに大粒の雨が降りだす。今朝から寒かったけど、この雨で体が震うし、大宝寺の参道の勾配が意外にきつく閉口。相当こたえる。
 大宝寺に着いたのは、2時過ぎ。内子駅を出て 約11時間の歩きでした。思わぬ速さで、自分でもびっくりしている。ずいぶん元気になったものだと・・・。
 88か所参り、やはりご利益があるんだなあ・・・

3時前に寺を出るも、まさか岩屋寺まではもう歩こうとは思わず、帰途に就く。
 このころになり、雨は上がる。山の天気は・・・。
 ここ最近の山間僻地の公共交通機関の便の悪さには、あきれるばかり。
 松山市内に出るまでのバス便待ち、2時間余り・・・家に帰りついたのは午後8時をまわっていました。

これで44番大宝寺まで打ち終わったわけで、丁度半分周り終えたことになり・・・満願成就も少し見えてきたなあ。

 次は岩屋寺から・・・。ルートまた頭悩ますなあ。。

gpsロガーのデータ

ひわた峠手前で、電池切れ。それから大宝寺を打つまで気がつかず。
ひわた峠手前までで、沿面歩行距離43キロを超えているから、本日歩いた距離は、ゆうに
40キロは超えている筈。

 まあ軽くといえないまでも、40キロは守備範囲になったなあ。。

歩き遍路ならぬ・・・

 18日(木)定期診察
4月にPETCTの検査を・・・と言っていたのだけど、まだ稼働してないみたいで・・5月になるとのこと。そんなにあわてなくてもいいぐらいの状態に体が戻ってきているということなのだろうと解釈。血液検査の数値もほぼ横ばい。creも高めだけど安定傾向。

 ▲血液検査の結果 白血球6800 cre 1.49 尿酸7.5

22日(月)快晴

この連休で、久万を周って松山市内まで歩き遍路・・・と考え行く準備をしていたのだが、あの春の嵐にビビってしまい、あえなく頓挫。内子からの峠越え2つにビビってしまったわけです。
 中止と決めて、墓参りなどしていたのだけど月曜日になるとすることがなくなり 、ポカンと外を見ていると青空だし風もおさまってるし・・・・しまったなあ、やはり行くべきだったかと少し後悔。。ふくと散歩に出、裏山に登って、遠くの海を見ていて急に思い出し、あわてて家に帰り時刻表を見る。
 「うん、なんとか行けそうだ・・・」と頭の中で目まぐるしく計算。
かみさんに
 「ちょっと、櫃石島・・行ってくるわ!・・何とか今からでもいけそうだし・・」と言って、おどろくかみさんを後にカメラだけ掴んで、駅に向かって走る。

 櫃石島というのは、瀬戸大橋がかかっている島。瀬戸大橋は、5つの島の間に橋をかけており、中で大きいのが 与島、岩黒島、櫃石島。で本州に最も近いのが櫃石島。対岸の本州までは 1キロ強 ぐらいしか離れてないはずなのに香川県坂出市・・・。
 なぜこの島に興味があったかというと高速でもJRでも・・特にJRに乗りこの島に差し掛かると上りの場合、右がわに島からまたちょこっととび出た島があり、上から見ると妙に気になるので一度行ってみたい、渡れるものなら渡ってみたいと思ってたので・・(あとから知ったが、歩都島という)
 今のところ天気もいいし風もなきゃ島へいっても今日なら大丈夫だろうと思いついたわけである。

  瀬戸大橋の高速道は中間の与島にパーキングがあり、車で降りられる。が住民が住んでいるところには、道路があるけど入れない。櫃石島もちゃんと降りれるようにインターが付いているけど一般の車は降りられない。住民専用なのである。が路線バスが坂出から岡山県児島まで瀬戸大橋を渡って走っており、この路線バスなら島に降りれるのである。
  瀬戸大橋ができたのが1988年で、このころは児島から坂出と坂出から児島と相互にバス会社が乗り入れてたのだけど、今は途中の与島まで 香川側からコトサンバス、児島からはシモデンバスが乗り入れて乗り継ぐようになっている。

 思い立ったのが10時頃だったので、坂出駅発のバスには12時20分のに、ぎりぎり間に合う。乗客は祭日だからか私一人。運転手さんに乗り継ぎの要領を聞く。
 瀬戸大橋の上り口手前で、若い兄ちゃんが乗ってきて、乗客2人で与島へ向かう。

与島のフィッシャーマンズワーフがバスの乗り継ぎ地点。瀬戸大橋が開通した当時はすごいにぎわいだったのだが、当時の面影など少しも感じさせないぐらいのさびれようで・・・寂しさというより、悲しさを感じる。
 バスの降り際、運転手さんに 乗り継ぎ印を押してもらう。
「向こうのバスで、割り引いてもらえてくれるからね」と言われたのだが、あまり気ねしていなかった・・・・。


 フィッシャーマンズワーフにあるバス乗り場。

 で15分ほどの待ち時間に、おばさん4人連れの乗客が増える。若い兄ちゃんはここで降りたので、私を入れて5人。
 シモデンバスが来たので、乗る。乗るときに
「乗り継ぎやけど、整理券もまたとるの?」と大きな声で聞く。
「そうです!」と運転手さん
一番前の運転手の隣に座ると
「お客さん、どこまで?」
「櫃石島です」
そうこうするうちおばさんたちも、私の真後ろに座る。
「えーと・・・櫃石島まで・・・70円です」
料金表を取り出しながら運転手。
「えっ?本当ですか?」とびっくりして聞き返すわたし
「70円です。ホントです!」と若い運転手さんが大きな声で言う。
後ろでざわついていたおばさんたちのリーダーらしき人もびっくりした様子で
「じゃあ、岩黒島までは?」と聞くと
「20円です」
「ええっ!なんで、なんで そんなに安いの?」とおばさん。
誰だってそう思う。岩黒島は与島の次の小さい島をはさんでその隣、櫃石島は、またその隣・・結構離れてるんだけど・・・。
「この路線バスは、島の住民たちの足として運航しているわけですよ、ですから安い運賃でなければならないから。ただし、この運賃が適用されるには、乗り継ぎを利用して 島に降りる人でないと適用されないのです。」
「でも、やすいわよねえ!今時20円なんてないわよね!やすすぎるわ。」と周りのおばさんたちに言ってる。
 このおばさんたちは、与島から乗って来たはずなんだけどなあ・・・確か・・一般車の駐車場あたりから来たと思ったんだけど・・・
「結構いるんですよ!観光で 路線バスで坂出から児島まで渡って見たいというお客さんたちが・・・でも、その人たちには適用されないんですよ・・島に降りないから。」
と若い運転手さんはこうも話しました。
 びっくりする話でしたねえ・・これも最初に私が
乗り継ぎでも整理券云々 と聞かなければ・・説明してくれてなかったかも・・・
 そのうちに岩黒島のバス停。岩黒島のバス停は瀬戸大橋上にある。
 おばさんたちのリーダーが
「20円でいいのよね・・」と20円と整理券を入れてバスのステップを降りようとした。
「ちょっと!ちょっと!お客さん!乗り継ぎの整理券は?」と少し声が荒くなった若い運転手。
「えっ?乗り継ぎ」?整理券?」
「だから、さっき説明したでしょ?乗り継ぎの整理券のこと」
「ああ~、そういうことなの・・・わかってるようで、わかってなかったのね、私」とおばさん、私のほうをちらっと見る。
「いくら?」
「160円」
「じゃあ・・・あと140円ね・・」と財布の中を探している。後ろでは
「両替してもらわないと・・」とか「160円、160円!」とつぶやきながら探している。
 このおばさんたちのおかげで、だいぶ遅れて出発。
 まあ普通に考えて、なんも無しで20円!・・なんてことことはないだろう? 
 素直に笑ってしまいました。

 「櫃石島は、どこで降りたらべんりなんですかね?」と私
「櫃石には、3つバス停があるん

日帰り歩き遍路 2月28日

  28日。 
2月の最終日の日曜日、朝4時過ぎに目が覚めどうしようかと思い、表に出て空を見る。ぱらぱら降ってる。パソコンを立ち上げウェザーニュースを見る。大洲のピンポイント予想は、9時から先ずーっと快晴マーク・・・。
 ・・・行ってみるか・・3か月ぶりだし・・足慣らしに・・
 迷った挙句、ウエザーニュースのピンポイント予想を信じて行く準備にかかる。去年足摺へ行った時これを信じて・・台風の大雨にあったんだけど・・・。まあれは、出発した次の日ではあったんだけど・・・。ちと不安。。

 予讃線の始発特急で、前回の卯之町駅へ向かう。前回はここから逆打ちをしたのだが、今回は順打ちで内子までの予定。足慣らしとはいえ、ゆうに30キロは超える距離である。
 伊予中山駅を通過したあたりから晴れ上がり、卯之町駅に着いた時には快晴で暖かい。絶好の歩き日日より。ただ始発に乗ってきたとはいえ着いたのは9時10分過ぎだから・・・内子まで行くには、結構きつい。

 遍路道は卯之町の街の中を通っており、古い家並みの中を気持ちよく歩ける。町はずれの家の前でおばちゃんのお接待で飴をいただく。
 「あんたらを見るとなあ・・お大師さんが歩いているように見えてなあ・・」
といって、まじまじと下から菅笠の中をのぞくので、顔が赤くなってしまった。


卯之町の街を突き切る遍路道は、国道56号線と平行に走っていて、横目でチラチラと見ながら歩けるので、道を確認する意味では安心感がある。そのうち遍路道は56号と合流して鳥坂峠へ。
  鳥坂峠に差し掛かったのは昼前で、ここで どちらにしようか? と迷う。遍路道は鳥坂トンネルの真上を超える峠越えである。

いったん遍路道へ針路をとり歩き始めたんだけど、腕時計と目の前の山の高さを見て・・・こりゃあ・・・と、引き返して、国道を歩く。
 ・・・ちょっとなあ・・5キロも山道はなあ・・時間が時間だし・・5キロ、1時間というのは?間違いじゃないのか・・といいわけ。

 注意書きがトンネルに入る前までに、いたるところに張ってある。
「歩道せまし!、歩行者に注意!」と。歩道がなくて、白線だけ。それも狭い。

 鳥坂トンネル

 歩道がなく白線だけ。その幅が狭い上、壁から流れ出る水と泥で所々ですべりやすく、とても歩きにくい。日曜日でもそこそこ車の通行量が多く、ダンプなど平気で横をすり抜けていくから、怖い怖い!。
 平日は・・もっと通行量が多いだろうから・・

時間があれば、遍路道を歩くほうがいいかもなあ。鳥坂番所跡もあるというし・・・。
ただ案内板通り、25分で走破できたが・・・。


トンネルを通り抜けるとずっと下りで少し下ったところにパーキングがあり、その休憩所に国道事務所のアンケートノートがあり、その見開きには、「お遍路さんへ」と題して、トンネルの通行に関しての意見を募ってたから、このトンネルを通る歩き遍路はおおいのだろうなあ・・・実際のところは。

 峠を下る道々には、犬のブリダーズをしているところが結構あるみたいで、歩いている私にワンワンと愛想を振りまく声がやかましいくらいに響くので、これだとイノシシが突如・・・なんてことはないだろうから・・多分安心だろう、ここは。
 下りきるあたりで、高速道の大洲北ICの入口と道が重なりややこしく・・・迷って旧56号線に入ったみたいで、それでも少し低い峠を越えると

目の前が 大洲城でした。


 
肱川を渡り、一目散に十夜ヶ橋へ、向かう。ほぼ一直線だけど意外と距離があった。
 十夜ヶ橋は、大洲icの入口道路があるところで見た目、燦然としている。

ここが、今回の歩きのお目当て、弘法大師が野宿した橋である。高速道路の橋の下に肘川の支流にかかる橋があるのだが、上の写真には高速道路の橋しか見えない。左にあるのが番外 永徳寺十夜ヶ橋大師堂である。

  88か所をお遍路する時、金剛杖を持っていくのだが、橋を渡るとき杖をついてはいけないという決まりがある。これは、

 弘法大師が行脚のおり、この辺りで日が暮れてしまい、泊まるところもなく空腹のまま小川に架けた土橋の下で野宿をされたのですが、一夜限りとはいえ夜明けまでの時間が十夜の長さに感じられ「行きなやむ 浮世の人を渡さずば 一夜も十夜の橋と思ほゆ」と詠ったことからこの橋を、十夜ヶ橋と呼ぶようになったそうです。



それで、お遍路さんは橋の上を通る時、お大師様を上から突かない、音を立てて眠りを妨げてはいけない、ということから、杖をつかないという決まりができたということで、私も最初お遍路をしだしたときには、よく注意されたので、どんなところなんだろうか?ずっと興味津津でしたが・・・時代とともにコンクリート橋の下に、横になったお大師様のレリーフが安置され・・あまりにきれいに整備されてたので意外な思いでした。