petと定期診察

先週の木曜日に、定期診察。その足で目と鼻の先といっていいほどのところにある「がんセンター」でPETCTの検査を受けてきた。
一年ぶりである。
 定期診察のほうは、PETCTを受けないといけないと言うことからか・・担当医もばたばたとその書類などにおわれてたいした話もせず、血液検査の値もたいしたブレもなかったせいか、スルー。
 去年と違って、こちらも体調がいいせいか、そのまま病院を後にして、がんセンターへ。
 PETCTも、去年と比べて検査する患者さんも増えてるみたいで、検査室の廊下を歩く音が頻繁にして・・・・こういう音を聞くと意外とほっとする。
シーンと静まり返った廊下や部屋だと・・ちょっと暗めな気持ちになりがちなんだけど・・・
 ざわめきや人いきれのする空間が時として良く思えるときもある・・
 さて、結果はどうなんだろう・・・・・
 

道間違えた・・・

金剛丁寺の納経所で、親切にも簡易地図をもらったのだが・・・
これがねえ・・田舎の山畑の中の道の地図だから・・これといった目印もなく・・三叉路で思案していると後から遍路姿の兄ちゃんが来たので
「これどっち?」と聞き、お互い顔を見合わせながら
「こっちじゃないですかね・・」と真ん中の道を歩き始める。
 確かに地図は真ん中の道を指してる。
 遍路姿の兄ちゃんは、20歳で東京の大学生とか・・。通し打ちでまわっているそうで、今日で9日目とのこと
「たいしたもんだね、その年で・・。きっとご利益あるよ」というと
「就職難ですから・・少しでも」と兄ちゃんは、はにかむ。
何やかやと世間話をしながら、歩いていたら、前から来たカブに乗ったおっさんが
「道違うで・・神峯寺だろ?さっきのカーブミラーで右行かんと。。」
と指差し教えてくれる。
 で後戻りかけてたのだが、簡易地図を見ると・・どう見ても右には見えず、大学生の兄ちゃんに同意を求めると
「そうですよね、あのカーブミラーを右だと・・キラメッセじゃなく大分奈半利よりに降りるんじゃあないですかね」
というので、忠告を無視してそのまま歩く。
 が・・・下るにつれて道はだんだん何本にも分かれてきて
「・・・大丈夫っすかねえ・・」と兄ちゃん。
たぶん大丈夫じゃないだろうなあ・・とやっと思えるくらい下りてきて、二人で顔を見合すが、いまさら引き返すわけにも行かず、
「どっちにしても、国道には降りれるだろ?」
と歩いていると農作業の人
「キラメッセに降りるのはこの道で?」ときくと
「こっちは遠回りになるから、今の分かれ道を右に行けば出れるから」と教えてくれる。
でその分かれ道にもどり右に行く。
 と道?
 「これですか?」と兄ちゃんが私を見ながら杖で指す。
 鳥居の横に遍路道のような小路がちらりと見える。
「これしかないよなあ」と周りを見渡しながら私。
 たぶん人が通っている形跡があるぐらいの道が社下から国道に下りてる。
国道を走る車の音がゴーゴー聞こえる。
「行くしかありませんね・・」と兄ちゃんは、石がごろごろしてる道を勢いよく降りていく。
 私もしようがないからおりる。降りること5分あまり、国道にやっと出る。
「散々だったなあ・・最初のおっさんのとおり行けばよかったなあ・・」と私が言うと
「でも、ここキラメッセですよ」と兄ちゃん
見ると鯨のでかいオブジェの展示館がある。
「ここで飯食うけど、よってかない?」というと
「僕は、もう少し先で・・・」と兄ちゃんは、先に行ってしまった。
こんなおっさんに付き合ってたら・・とんだことになる・・と思われたか・・と苦笑い。
                          ・・・つづく
 
 で帰ってきてから、googleで見ると

大きな地図で見る
 この法満宮から細く伸びてる道を降りてきたようなのだが・・・
他の道・・つまり近道はこの地図でも見当たらず、そうなるとこれが正解なのかなあ・・

ぽかぽか陽気のなか

結局、やもたてもたまらなくなり2月6日金曜日の朝、5時33分阿波池田発伊野行きの普通電車に乗った。
阿波池田には、息子をたたき起こしてクルマで送ってもらった。
 前回歩きを終えた室戸には、高知周りで行ったほうが早いので・・・・特に高速バスを利用したほうが早いのだが、いかんせん朝早くというのがないので・・おとくいの電車で行くことにした。土讃線の朝一番に乗ると2時間弱で御免につく。それからくろしお鉄道で安芸。安芸から路線バスで室戸。というコース。
 土讃線に乗ったのはいいけど、まだ真っ暗でがっかり。だけど明るくなり始めの頃、橋の上にホームがあるという珍しい駅土佐北川で対抗電車の待ち合わせにあい、びっくり・・・・。鉄橋の枠が暗がりの中にぼんやり・・

でまたまた、なんとスイッチバックの新改駅がすぐあとに・・土讃線は坪尻が有名なスイッチバックの駅なんだけど、こんなに高知よりにあるとはねえ・・スイッチバックが。。

それもそのはず、列車に乗っててよくわかるのが、次の駅土佐山田へ降りていく急角度の勾配・・・
「えっ、こんなんだったっけ?ここ」と記憶をたどるのだけど・・
意外な驚き。。
 御免の駅で、安芸から室戸へのバスの連絡について聞く。
くろしお鉄道は奈半利までしか開通してなく、室戸へはどちらにしても公共機関はバスしかないのだけど、安芸より以遠は列車の本数が少ないので安芸からバスに乗るほうが便利なのである。
 若い女の駅員さんが安芸駅まで電話をかけて聞いてくれた。
「ダッシュできます?連絡時間が3分しかないので・・・大体は間に合うはずですが、丁度今の時間が通勤時間になりまして、ラッシュになってこちらの電車が遅れると・・・間に合わないことがあるそうです」とにこりとしながら教えてくれた。
 ラッシュ?こんなところで・・・?
吹き出すわけにもいかず 「ありがとう」と糺を行って、安芸行きに乗り込む。
 安芸駅に着き、ダッシュでバス乗り場へ・・
バスの陰もなく
「??」時計を見ながら ちと不安・・
 8時26分発甲浦行きは、5分ほど遅れて到着。乗客は私一人。
奈半利の大分手前で初めて、次の客、おばあさんが乗り込んでくる。
私は海のほうばっかり眺めて窓ガラスにへばりついてると、トントンと肩をつつくので振り返ると、さっき乗り込んできたおばあさんが
「これ、もってヶ」と毛糸で編んだわらじを私にくれる。
小さくてかわいいわらじである。
「ありがとうございます・・・早速杖につけます。」とおばあさんに糺を言って、杖につける。

室戸から歩き始めたのが10時前。ぽかぽか陽気で暖かい。
金剛丁寺の上り口の近くの田んぼで仕事してる人に道を聞いて上り始める。
上り始めに、後ろからきた女の人に軽く追い越される・・・
 「女のほうが強いんかなあ・・・」とぶつぶつ言いながら上る。私はからっきし上りは弱い・・

遍路道中間から室戸を望む
金剛丁寺もまたちょっと配置がかわってる。大師堂と納経所が背中合わせのような格好で・・チョイ違和感・・

納経所でキラメッセ室戸へ 降りる道を聞く。
 親切に簡易の地図をくれる。
・・・・・・ところが
これがとんでもないことになるのである・・・
               ----つづく

あんまりそういう話は・・

夜、ポカリを買いにスーパーに・・
こちらは、少し酒が入ってたので、うろうろしてたら、お母さんをつれた同級生にばったり。
二人とも少し眼が泳いでいる。
「元気?」と私の顔を下から見上げながらお母さん。
「生きてますよ」と私。
「お前、しっとるやろ?KとT_・・死んだ。・・」と早口で同級生。
「暮れとこの1月に、立て続けに・・、あんた」と涙声でお母さん。
「Tって・・たあ・?、なんで?」まさかという思いとウソだろう?というショックが頭を駆け巡り、私はしどろもどろ・・。Kは、がんだと知ってたし、去年秋家にきて、「もう、ダメかも知れない・・お前が、なった時人ごとのように・・思ったけど、なあ」と悲しそうな眼で私を見たのを思い出した。
「たーは?」と言う問いかけには返事すらせず、同級生とその年老いた親は「生きてくれよ・・とにかく、生きて・・」と、言う。
「あんまり・・そういう話は聞きたくなかったけど・・」と私は、そういうのが、せい一杯で・・
家に、帰ってきて考えてると無性に遍路にいきたくなった・・。
Kも逝ったのか・・まさか、たあもなあ・・

還ってきた・・・

先日の定期診察、私には診察と、そのほかに重要なことがあった。。
この大学病院に地元の病院から お手上げ状態で送られて転院したときから移植直前まで、ここで直接面倒見てもらってた、当時の若い主治医が転勤先の病院から還ってきてたのを知り、会いたくなったから・・・。
診察を終えて、久しぶりに血液内科の病棟に上がった。上がったとたん、当時の看護師に出くわす。
 いつになっても、生きてる限り彼女たちに会うのは懐かしいし楽しい。。そのうえ、当時のことが昨日のことのように脳裏を駆け巡り、感謝の念がこみ上げてくる。わくわくしながら話してると、あの懐かしい顔が目の前に・・・
「先生、変わってないですねえ・・・・」と私。
「そうかなあ・・」と元主治医。
「ちょっと精悍になりましたねえ・・。」と元主治医の顔を見ながらいうと
「頭短くしたから・・」と以前のままの口調で・・・。
 当時、この元主治医と喧々諤々の言い争いながら闘病したのを思い出す。よく私の言い分を聞き、いろいろ言ったり聞いたりしてくれたのを思い出す。これがなかったら、私の闘病生活はなかったろうなあ・・といつも思ってる・・・。ネットで日記を書くことをOKしてくれたのこの主治医だった。いまさら言うのも何なんだけど、当時としては少なかった・・それをしてる人も許可してる医師も・・。
 「ドクターはすごく活躍されてますよ。。」と元主治医。
 私を直接、移植したのはドクターで、元主治医からその活躍を聞くと、「ああ、俺は運がよかったのだなあ・・」といつも思っていまう・・
 私も時々、虎ノ門のHPを見てる・・・・。
 元主治医は、大学院に還って来てるので当分はいるとのことで・・。
 じゃあ 診察以外に、珠に顔を見に行くのもいいかなあ・・とも。。