??社会保険庁 困ったもんだ・・・

お袋は、だいぶ前から施設に入っている。要介護5である。
親父は 週2回リュウマチの不自由な体で、お袋の様子を見に行ってた。
親父の右足の親指は 外反母趾以上に4本の指の指の上に重なるようにのっていた。親戚の人みんな初めてみたせいか、
「エーっ、リュウマチがひどくなったらこなになるんか・・・かわいそうに」と 驚きその足の指のまがり具合を見入ってた。左足も節くれが目立ち、右手左手は 親指と人差し指がかろうじて 動く程度で・・あとの指はこれもリュウマチでひっついている。
無くなるまで その手を触っていたんだが 指の内側の柔らかさに比べ表面は ごつごつして皮の様であった。
 それでも親父は、一緒に住むと最後まで 言わなかった。
 顔を覆おうタイプの酸素マスクをつける前、苦しい息の中から
「年とってもなあ・・面倒みてもらわん・・」と
 遺品を整理してたら、去年の11月の末の日付で、義足の制作依頼受領書の領収書がでてきた・・・
▲昨日、遺族厚生年金の手続きは早いほうがいい といわれたので、市役所の知人に助けてもらって 書類を整え、その日は巡回相談だったんで 指定の市民会館へ。行ったのは 11時過ぎだったんだけど会場は満席。
 入り口の女の職員が、いきなり手を左右に振り
 「多いですよ!待ちますか?」と番号札を渡しながら言う
 見ると40番
 「今何番?」「12.3番ぐらいだから・・」
「じゃあ一旦帰ってきます。2時ぐらいだったら行けますかねえ?」
 「たぶん」
 ということで、一用事すませて 2時過ぎに戻ってくると。
 「全然駄目・・・まだ24.5番だから・・・」
 「もう 受付締め切ったんだけど・・・いつになるかわからないわよ」
と女の職員が言う
 一応 広報には 15時30分まで受け付けるとなってるのだけど すでに締め切ってる。65.6番で辞めたらしい
 私の横にいたおばさんが、私に
「さっきから 新居浜社会保険事務所の方へ、行け行けというんだけど、とおいしねえ。わたしゃ この手紙の見方聴きに着ただけなのに・・どうなっとんな?」とまくし立てるんだけど こっちも全く同じ。
 これだけ世間を騒がし 慢性的な社会問題になってるのに、対応はいまだにこれじゃあ、あきれ返ってものも言えない。
せめて 市役所に一人ぐらいは この年金問題解決するまで おいとくべきじゃないの?社会保険事務所の職員を・・・
 散々待たされて 書類を見てもらうと
「残念だけど 一つ提出してもらう書類がかけてる」と前に座った職員が言う。同じ意味の書類だけど 形式が違う別の種類のものが足らないということ。後ろから その申請用紙を出してきて こうこう書いて、持ってきてという。
「これさえあったら、他はすべて キチッッと揃っているから、今受けられたんだけど・・」
 と気の毒そうにも無く言う。
 市役所の職員に、書類をチェックしてもらってでも、必要な申請書類が足りないぐらいなのである。こんなややこしかったら、スムーズには誰が考えても 事はうまく運ばないわなあ・・・
 帰ってきて 社会保険庁のHPをみても、必要な書類とかそういう情報も無く・・・どうなってんだろうね・・ここは
でまた来週 巡回時に行くんだけど・・・巡回といっても 人数二人だし 同じところじゃないからねえ。
人数増やして 市役所に一人ぐらいは 出向で置いてほしいよなあ。
 
 

父 その1

父が死んで 10日。初七日も終わり 遺品を整理してたら 出るわ出るわのわけの分からぬもの。
で、その遺品を整理しながら 各所へ連絡しながら 毎日を過ごしていたら
今日 保険でトラぶった。
親父は、自分で 某損保の 『積み立て傷害総合保険』をかけていた。親父の通帳を見ると 毎月 自動で引き落とされていたので、止めてもらうため その 【某損保】の契約した代理店に電話して、親父が病気で他界した旨を伝えたら、電話に出た事務員は 開口一番こう言った
「うちは 生命保険ではありません。傷害保険ですら、保険金は出ません」
そんなことは、言われなくてもわかっている
「死んだから解約手続きをお願いしたいから、連絡している」と言うと
「調べて連絡します」との返事。それから私は出かけたのだけど、帰ってくるとかみさんが怪訝な顔で言う
「電話あったんだけど、積み立てだから満期までかけてくれるといいんだけど・・・それに お母さんと相互契約でお互いに保険契約をしてかけているから・・といって なんか難しそうな言い方してた」
 それをきいて 驚いた。契約者が死亡しても この損保は 「はじめに解約ありき ではなく、継続ありき 」らしいのである。
 ちょっと納得できなかったので、この【某損保】のお客様センターに電話して 問い合わせると
 「死亡されても 無条件で解約はできません。いろいろ手続きしていただかないと・・・・」という。
 すこし考え方 おかしいんじゃないの?
契約者が死亡しているのに、無条件で解約できない保険・・・
そんなのあり?
その上、お袋との相互契約になっている。つまり親父とお袋が保険を掛け合っている契約になっている。そんなことあり?
その上 代理店の事務員は 満期まで契約を・・・と言うニュアンスでものを言ったらしい・・。
ところが お袋の保険契約日を見て 唖然とした。
その日には、すでに特別養護老人ホームに入って、半年あまりもたっている。つまり施設に入って半年たってるわけで・・・半身不随の母に 『傷害保険』をかけている、それも署名捺印ではなく、記名押印である。
記名捺印・・・
これなんなのよ・・と。
お袋は 署名捺印などできない 状態はあきらかだからねえ。
その上 お袋の住所は実家になっている。つまり 本人確認をせず 80になった 親父の言葉通りに保険証券を作成している・・・と思われる。
命題は
「施設に入っている お袋に 【傷害保険】が適用されるとした この 損保の 根拠は何なの?」
と 後で 電話あった 保険会社の営業社員に この命題に対する回答を聞いたけど 明確な回答なし。
当たり前である。施設に入っている「患者」に近いお袋に 傷害保険が適用されるはずがなく、設定されることすらないはずだから・・・回答すらできないはず。
夕方 事情を説明しにきた 代理店の社長は、私も高校時代から知っている。
「お父さんがそういうから、すべて信用してそういう契約したので・・・」と言い訳をしていたけれど・・・もし 親父が他界しなかったら、この保険契約は 永遠と繰り返されるわけで。。。。この傷害保険を適用されるはずのないお袋は、ただ単に保険料を払うわけで・・・そんなのあり?
この 保険契約を見た私には、到底この損保会社の対応は理解しがたい。
依頼者の親父が 言ったから。。それは正当化されるの?
正確な調査をして 保険契約をするのが、保険会社じゃないの?
説明にこられても、理解しがたい部分は 多い。
そもそも 保険に相互契約なるもの自体が存続可能なの?
夫が妻に、その見返りに 妻が夫に保険をかける という相互契約。
私には 到底理解しがたい・・・
損保会社の【傷害保険】・・・本当の定義はなんなのよ?
生命保険は 保険として効力として発生するけど、【傷害保険】は 突然死や病死には、適用されにくいわけなのに、なんで老夫婦を勧誘するのかね?理解に苦しむ。

定期診察

先週が 定期診察だったのだけれど、親父の葬儀後で行けず 今週に延ばしてもらってた。
 急に予定を変えてもらったので、診察はほぼ最後のほうだった。
 まず 先月のPETの結果から 説明を受ける。
 「以前からあるリンパ節の腫れは、依然としてあるのだが、カラー画像で見ると緑色なので リンパ腫の再発のようなものではないだろうと思われる・・・悪性になると画像の色は オレンジ色のように色づくから・・今のところは。まあ100%白とは言えないけれど・・・白に近いグレーではないかなあ。。まあ半年に 1回程度PETを受けるほうがいいかもしれない・・」
 との 担当医のお言葉でした。
 血液検査の結果も 相も変わらず SIL-2R が 1265 で
 「最初から この高い数値だからねえ・・・」
 と 担当医
 「血圧も最近ズーット高いみたいだから、来月あたり様子見て、薬のみはじめますか?」
 といわれる。
 – 確かに ココ半年ぐらい 140後半から150後半を 行ったり来たりしてるからなあ。。–
 葬儀後のガタガタの疲れからか・・頭がボーっとしてて、あとこまごまと話したのだけれど、帰ってきてみて思い出すのはこのぐらいで・・大半が飛んでる・・・
▲血液検査の結果
 白血球6400 HGB 12.9 PLT 20.8 SIL-2R 1265
CRE 1.4 BUN 17 UA 7.8
尿酸値。。薬きらしぎみだったんだけどなあ・・・わからん。。

父の死

今週の月曜日、2月11日に 父が亡くなりました。82才でした。
あわただしく葬儀をすませ、少し落ち着きを取り戻しましたが・・・
 いつのころからかは 記憶がはっきりしませんが、小学生ぐらいから 父とは 面と向かってまとな話をしたことは無く、結局 最後まで そのままで逝ってしまいました。
 急性肺機能障害でした。
☆ 親父は 大正14年生まれで、シベリア抑留を経験した男でした。
 自己表現の余り得意でなかった親父は、私から見てもそんなに恵まれたとはいえない社会人生活を送りました。
 いまや地元では大手企業となった会社で 30年余り工員として勤めました。
 「そんな待遇でいいのかよ・・・」といぶかしげな顔をする私に
 定年近くになって 親父は
 「こういう下で働く人間がいなけりゃ、世の中なりたたんのじゃ!おまえらみたいなやつばっかじゃ・・やっていけんだろうが!」
 と はじめて私に叩きつける様に言ったのを今思い出す・・・

やっと

やっと風邪がましになり、少し楽になった。
とはいえ、たぐりは相も変わらず、鼻水も相当ゆるい。
今回、熱が出なかったのは、私にとっては驚くべきことで・・・
毎回毎回、何かあると リンパ腫発症以来熱が出て、それに悩まされていたのであるが・・
これは、地力が強化されつつあるということなのかなあ・・と