10月25日 朝起きて足の裏を見る。
まあ。一晩で治るわけもなく、豆はつぶれ皮が捲れてる状態は変わらず。
包帯でテーピングして足の裏を締める。
もう宇和島は無理だろうから、せめて40番までは・・・・と、7時前に出発。
空は今にも降り出しそうな雰囲気。
遍路道は、宿毛の街を出てすぐ山に入り松尾峠をめざすのだが、道自体は狭いほんとの山道で登りはそうでもないのだが、少しでも下りになると足の裏に小石が当たり痛い。登りの中ほどまではみかん畑などもあり、のどかなのだが、それ以降はぐっときつい登りばかりになり、相当堪える。
遍路道入り口より宿毛の街を見る
峠の頂上にさしかかる辺りで、パラパラと雨が降り出す。
なんか台風が来てるとか・・・・というのをテレビの天気予報で言ってたけど、・・・よりによってなあ・・。とぶつぶつ言いながら登る。
9時前 松尾峠に到着。県境である。
「やっときたか!」と思わず声が出た。高知県抜けるのに、なんと丸10ヶ月。
まあ、区切りうちだからねえ・・・。と言っても 私の場合 こま切れうちかもしれないけど・・・。昨日、ちょっと一緒に歩いた女の人ともそういって笑ったけど・・・。
松尾峠大師堂一夜庵
県境
風の音と雨脚が強くなり、伊予へ駆け下りる。
なんてうまくはいかず・・・・下りだから足の裏に負担がかかり痛いの何の・・・・
ところで高知県側と愛媛側では ポンと違うことがひとつ。。
↑ これが愛媛県側の松尾峠から一本松町へ降りる遍路道である。ずーっと下りきるまでこれであった。遍路道というより遊歩道というほうがふさわしいような・・・・。宿毛から一本松まで約3時間ほど一人にも会わなかったけど、この道である。一日何人が通るんだろうか・・遍路を入れても片手か、ヤマ両手までだろうなあ・・・。
某首長以来、南予へは相当な公共事業費をつぎ込んでいると聞くが、こんなところにもそれをみてとれるなあ。。
一本松町の56号の交差点の駐在所で、道を聞く
年配のおまわりさんがわざわざ外に出てきて教えてくれる。
「40番への遍路道は、国道を渡ってまっすぐ道なりに・・・・、歩きよいのは左の国道をまっすぐだなあ・・」
「国道、歩道ありますか?」
「ずっと、続いてるから大丈夫だよ」
というので、国道を歩き始める。雨はパラパラ。
国道の歩道は、40番観自在寺の 上り口まで続いていた。たぶんその先も続いているんだろうけど・・・高知県の国道とは大違い。まあその分 公共事業費目いっぱいつぎ込んでるからなあ・・・。それがよいか悪いかは別にして、歩きやすいのは歩きやすい。
15分ぐらい歩いた頃、歩き遍路の同い年ぐらいの男の人に追いつかれる。
今回初めて、追いつかれ追い越される。見るからに足取り軽やか。。
私の視界から消えるのも、そう時間はかからず、何とか追いつこうとするもこちらはもうすでに、とぼとぼ歩き。
やっと40番観自在寺に着いたのが、1時前。着く前辺りから本降りになる。
観自在寺の納経所は、本堂の中にある。
今まで周って来たお寺のなかで、本堂の中にあった記憶がなく、珍しい。
本堂の中にしばらくいたのだが、参拝者の様子が見え実に面白かった。
長々と本格的にお経を読み納経帳を差し出す人もいれば、来ると手を合わせるだけで書いてもらうのが目的とそそくさと出て行く人もいる。まあどちらかといえば、というより圧倒的に後者のほうが多いけどね。。
帰りがけ ご住職に
「その色いいですね!目だって」と雨合羽の色をほめられる。
この上の写真の右端の緑色のカッパである。
・・雨合羽の色ほめられるというのもなあ・・・と、妙。
結局このお寺の前の 平城札所前から バスに乗り今回はここで打ち止め、帰ってきた。
◆
歩き遍路、雨の三日に、音をあげ
蹄鉄
今日もGPSロガーの電源入れ忘れ、途中で電池切れ。
次からは、万全を期したいなあ。。
本日の歩行距離 約18キロ
インフルエンザが流行ってますが、大丈夫ですか?
真夏より、真冬の方が歩きやすいかと思いますが、からだがあったまるまでが、・・・おっくうですね。
世界遺産登録の動き、あれどうなんでしょうね。
残り、二県がんばってください。
世界遺産ねえ・・・・。コンセプトはいいんだけど、中になんか寺か鉄筋コンクリート作りの本堂があるでしょう?。あれはどう見たって、遺産じゃないからねえ・・・・難しいんじゃないかと思うね、私は。
まあ、今頃になってしまったと思ってるかもわからんけど・・。ただ世界遺産に登録されなくても寺は、今までどおり身入りたっぷりだろうから・・。