2月に他界した父の新盆である。
新盆を迎えるにあたっては、いろいろしきたりがあるらしく、8月になって右往左往する始末・・・
最後まで父とは 意志の疎通がなかった。
本人も まさか死ぬとは思ってなかったからか・・
父の心を覗くことはできなかった。右足と両手はリューマチで、自由に動かすことができない状態で、不自由を承知で一人暮らしをしていた。
母は、介護施設に2年ほど前からお世話になっている。
母は、それ以前から体が悪く、病院を転々としていて、最後に今の介護施設に・・・。
私が、大学病院に転院するとき、
「もう、だめかも知れない・・お袋のことも面倒見れないかもしれないから、覚悟しておいてくれ」と、電話で言ったら
父は、一言
「わかった」 とだけ言った。
私が大学病院に、入院している間、一度も父が顔を見せることはなかった。
一時退院とかで私が、実家へ顔を見せに行っても、父とはあまり話すこともなかった。
さすがに私も、移植前に親が顔を見せないのには、がっくりきたものだけど・・
退院しても、あまり話することもなく、お袋の病院の転院も介護施設への入所も私には一言の相談も報告もなく父がひとりで不自由な体でやった。
あの時、父の中では 息子は死んでしまったのかもしれない。
治るやら治らんのやらわからん息子を待つより、自分が妻の面倒を見ないといかんという気持ちが強かったのか・・
と最近思うようになった。
明日、お墓で迎え火をたく。。
戸籍の上では縁が切れて他人になってしまったとしても、血がつながっている者を「孫」と呼んでいいのなら、私には3人の女の「孫」がいます。
それから、去年の夏の暑い日に生まれて冬の寒い日に亡くなった男の「孫」がいます。・・・いました。
この夏は、この子の新盆です。
1年なんて振り返ればあっという間ですね。
私は、・・・
お盆の迎え火で家に帰るようになってから、早いもので17回目を迎えます。
今でも毎年主人が庭先で割り箸を燃やしてくれますから、それを頼りに帰宅します。
まさか、「孫」が、主人や息子よりも先に私の隣に来ることになるとは思いもしませんでしたが、この「孫」と一緒に今年は家へ帰ります。
やさしい頼もしい男の子です。
娘がいつも心配しているのは、主人と息子のこと。
O型同士で似ているところもあるんですが、まったくもって仲が悪いんです(笑)。
蹄鉄さんとうちの息子、そしてお父様とうちの主人、は・・・
タイプは違うように思いますが、ブログ拝見してなにやらほっとしてしまった私です。
ごめんなさい(笑)。
父親と息子。
もう少しそばにいたかったのですが、そうはさせてもらえず、上から見守るしかない私ですが。。
この秋、一緒に帰宅する「孫」に、どうやら弟ができるようです。
そうしたら、またいいことがあるよ、と娘が私に言ってくれました。
娘曰く、
「人生は振り子」
だそうです。
どなたかの受け売りだそうですが。
お体、ご自愛くださいませ。
はじめまして 「せっちゃん」さん
一瞬驚きました・・・。
「人生は振り子」ですか・・いい言葉ですね