今日 昼近くになって、今も病院へ行ったとき会う移植当時の入院していた知人からメールをもらった。メールには
「○○さんが、亡くなった。今朝の新聞に出ている」と。
あわてて、地元新聞の訃報ページを見た。
そこにはまぎれもなく彼の名前があった・・・・。呆然とした。
私より一つ上なのだけど、たぶん生まれ年は同じだと記憶している。。
去年遅れあたりから、前述の知人と病院で会うたび
「○○さんと会わないなあ・・・どうしてるんだろう?」と心配していたのだが・・・
私たちは、当時入院して闘病生活を送っていた仲間を『戦友』と呼んでいる。
病気になってあのつらい闘病生活を送った人にだけわかるこの戦友の名。
退院して、時折通院する中で確認しあう顔。
この戦友たちの顔を確認しあうのが、生きている証と安ど感を生み出すのであったが・・・またその一人が逝ってしまいました。残念です・・。
彼は、私に このブログでも書いているが あの不運の牝馬 カワカミプリンセス のバスタオルを贈ってくれたし 歩き遍路をしているときには 般若心経を織り込んでいるバスタオルも送ってくれた 人をおもいやる感情豊かな人でした。
骨髄腫という私とはまた違う血液疾患と長い間闘い続けていました。
移植もしたし、サリドマイドの薬も飲んだし、新薬もずいぶん試して・・・・ 私が 造血幹細胞移植した 2004年から病棟が同じだったですから・・・7年余りの長い年月を苛酷な治療で闘ってきたのです。辛かったと思います・・が、私たちには、そんなそぶりは一切見せませんでした・・・。その分、なおさら残念な気持ちでいっぱいです。
長い間の闘病、よく頑張ったと思います。安らかに・・・。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
その方の訃報に触れ、私もご冥福をお祈りいたします。戦友の分まで長生きなさってください。そうじゃないと、私は困ります。
亡くなった方は、その年で年齢が止まってしまうと、この間の光市の裁判の後でご主人がおっしゃってました。そのとおりですよね。
母の歳まで私はあと5年になりました。
母の分も・・・と、思うこの頃です。
今夜から四国は相当冷え込むようです。
おからだ、ご自愛くださいませ。