映画のロケ

 4.5日前から、映画のロケが来ているみたい・・。
「書道ガールズ」という映画。昨日も、寒い中商店街辺りでしていたようなのだが、コチトラはあまりそういうのには興味はないので、スルー。
 映画というか、ドラマというか先日放送されNHKの「龍馬伝」の剣術修行で、江戸へ行くくだり・・。
弥太郎の話はともかく、龍馬がこのとき通ったとされた土佐街道に、いまさらながら興味を持つ。
今住んでるところを、ひょっとしたら通ったのではないのかという淡い期待が持ち上がってきたからで・・・・たわいもないともいえるのだけれど。。

 土佐藩主の参勤交代は、代々土佐街道を使ったとされているのだが、この四国山脈越越えの土佐街道の瀬戸内側の出口が、当時天領だつた今住んでいるところで、実際土佐街道を立川番所を抜けて通ったとすれば・・・・なんだけど、あまりそういう話は聞いたことがないので・・少し昔の道を調べてみたいなあという気になっている。
 去年、土佐久礼から窪川へ歩くのに、土佐往還そえみみずへんろ道という中世の国道を歩いた時にちょっとそういう興味も持ってたから、丁度いいきっかけかも・・。
 
▲先週定期診察に行ってきた。
あいも変わらず、尿酸値は高く・・・本人にはあまり自覚がないので担当医も苦笑い。
PETCTの検査の時期になり
「気管支辺りの横にあるリンパ節の腫れ・・あれはグレーのままずーっとあるわけ。一般的にリンパ腫であればすでに徴候は現れているはずで・・移植後あのままだから・・・まあ、その恐れはないとは思うんだけど・・検査はしておいたほうがいいでしょう」
ということで、近々する予定となる。私としても、しておけば安心だからねえ。。

 血液検査の結果
cre 1.5 尿酸値 9.0 BUN 20
 

母の日

初夏のような暑い一日。日差しがきつい。
知人が、母の日だというので かみさんにとカーネーションの花束をもって来てくれた。大きな花束でビックリするわ大喜びするわで かみさんともども感謝。

で、自分はというと 施設に入っている母親に カーネーションが数本入った小さい鉢植えを持っていった。
 認知症が少しずつ進みはじめているお袋は、周りの介護士さんたちが
「今日は何の日?ええなあ、ええもんもろて・・」と話しかけるのであるが所在無く微笑みうなずくだけ・・・
そろそろ帰ろうか・・・という時になって、ヒトの顔を見て
「される値打ちがない・・」とぽつんと言った・・
 ・・覚えてるんだねえ、肝心なところは・・
帰ってかみさんに言うと
「それは される値打ちじゃなくて、する値打ちと言ったんじゃないの?・・今頃になってしても値打ちがない・・ と言いたかったんじゃないの? 」と。
「・・・・確かになあ・・・」・・次の言葉が出てこず・・
 母の日、父の日・・苦い思いをするばかり・・

送り火

送り火 という言葉があるが、このあたりでは 明確な送り火をしているのを見たこともなく・・送り火に関する習慣はどうも確立はされてなさそうで。。
 去年のクリスマスにいただいたartflowerがいまだに店頭を飾っており、なぜかというと 気に入ってるから・・・当たり前か・・
 でそれには、当然クリスマスのときに頂いた物だから、真ん中に大きなろうそくがアレンジされている。
 なんか妙にそれに火をつけたくなり、昨日からそのろうそくに火をともそうとしたのだけど、なかなかつかない。
 「おい、これろうそくか?」とかみさんに聞くも
 「そうよ、まちがいないよ」というので、何回もつけようとするのだけれどつかない。よく見ると芯が極端に短い
 「これ芯が短いぞ・・・」というと
 たまたまそこに入ってきた知人が
 「その芯の周りを溶かして芯を出せば?」というので
 それから1時間あまり悪戦苦闘するも なかなか芯が出てこず、さじを投げる。
 今日の昼、再び現れた知人、ろうそくをみながら
 「あれ?だめだったん?」
 「そう、なかなか出なくてねえ・・・これ難しいよ」と私。
 話を聞きながらろうそくを眺めていた知人、何を思ったかろうそくを持ち上げ、ひっくり返した。
 そしたらなんと
 「こっちが上、ほれ・・芯がある」
 「げっ」とそのひっくり返されたろうそくを見ると、なんとしっかりした芯が長くひょろひょろと出ている。
 私の驚くかおを見て、知人は 吹き出しそうになる口を押さえて、脱兎のごとく帰っていった。。
 今頃、げらげら笑ってんだろうなあ・・と思って かみさんの方をみるとかみさんも口を押さえて げらげらと笑ってる。
 ばつが悪いったら ありゃしない・・
 でそんなろうそくに火をつけてみました。

   あのままじゃあ 悔しいので、その知人にこの画像を送ると
  「素敵な送り火じゃないですか」 
 
    という気の利いた言葉
    「・・送り火か・・・」
 怠惰な息子に送ってもらいたかったのかね・・・
 芯出るまで1日かかって、ちょうど16日になったものなあ・・
 となると、上下さかさまを発見してくれた知人に感謝すべきか。。
 △ 一人で悦にいってろうそく眺めていたら、どうもけだるい。
  ちょっと体が汗ばんでいる。
 久しぶりに 熱が出てきたみたい。
 37度を越えてきたみたい。夏風邪か・・・
 いやだなあ・・
 
 ここんとこ、野暮用で忙しかったからか。。
  
 

迎え火

昨夕 6時ごろ、お墓で迎え火をたく。
かみさんと親戚3人と私の5人。
行く前あたりから 少し風が吹き出してきていた。
案の定、迎え火をおこすのに四苦八苦。
焙烙(ほうろく)」と呼ばれる素焼きの皿の上に、108本のオガラを 井型に積んでわらで火をつけるらしいのであるが、このオガラが軽いのでうまくつみあがらない。五段ぐらい積み上げたところで、折から吹く風とあいまってすぐ崩れていく・・・
 「これ・・ボンドかなんかでひっつけないと崩れてしまって、108本もできんなあ・・」と私。
 「こんなんだったら、最初からつんで固めたものを売ったらええのに・・」とかみさん。
 これは 迎え火セット ととして仏具屋に売ってたものを 買ってきたのである・・。
 「それ、1本ずつ積み上げるから・・前部積み上げてみろ 4.50センチにはなるぞ、そななことできまいや?束で重ねたらえんじゃ」
 と見かねたかみさんの義父。
 なるほど・・亀の甲より年の功・・・
というわけで 4.5本の束で積んでいく。
それでも風で すぐ崩れそうになる。それでも何とか積み上げたオガラは、井型とは程遠い格好に・・・
 「ええやんええやん、しゃあないしゃあない・・それらしく見えればええ」
と わらで火をつけ 竹をくべる。
 竹が ポンとはじければ いいのだそうだが・・・
 プシュッという ひねた音が最初に出たまま・・で、ポンと言う威勢の好い音は出ないまま オガラは燃え尽きてしまった。
 ---まあ、親父らしいわ、ハスに構える人だったからなあ --
 と苦笑い。このセットには、竹がはじけない場合は、手を2度たたいてくれ と書いてあったので、念のため 手を2度たたいて 「迎え火」 を 終える。
 「もっと大きい青竹を もってきてやらば良かったなあ・・ほしたら、勢いよう、鳴ったかもしれんのに・・」と義父。
 ・・ それを気にしてもらえるだけ、ありがたいことで ・・

新盆

2月に他界した父の新盆である。
新盆を迎えるにあたっては、いろいろしきたりがあるらしく、8月になって右往左往する始末・・・
 最後まで父とは 意志の疎通がなかった。
本人も まさか死ぬとは思ってなかったからか・・
父の心を覗くことはできなかった。右足と両手はリューマチで、自由に動かすことができない状態で、不自由を承知で一人暮らしをしていた。
 母は、介護施設に2年ほど前からお世話になっている。
母は、それ以前から体が悪く、病院を転々としていて、最後に今の介護施設に・・・。
 私が、大学病院に転院するとき、
 「もう、だめかも知れない・・お袋のことも面倒見れないかもしれないから、覚悟しておいてくれ」と、電話で言ったら
 父は、一言
 「わかった」 とだけ言った。
 私が大学病院に、入院している間、一度も父が顔を見せることはなかった。
 一時退院とかで私が、実家へ顔を見せに行っても、父とはあまり話すこともなかった。
 さすがに私も、移植前に親が顔を見せないのには、がっくりきたものだけど・・
 退院しても、あまり話することもなく、お袋の病院の転院も介護施設への入所も私には一言の相談も報告もなく父がひとりで不自由な体でやった。
 
 あの時、父の中では 息子は死んでしまったのかもしれない。
 治るやら治らんのやらわからん息子を待つより、自分が妻の面倒を見ないといかんという気持ちが強かったのか・・
 
 と最近思うようになった。
 
 明日、お墓で迎え火をたく。。