サンクスがサークルKに、かわった・・?

近くのサンクスがサークルKに、かわった・・?

サンクス→サークルK

サークルK

午前中に看板業者がきて、ばたばたとサンクスからサークルKへと衣装替えしてました。

ファミマとサークルKサンクスの経営統合云々と報じられてるんだけど・・・・。

サンクスからセブンへと替わった店はよくみるんだけど・・サンクスからサークルKって、見たことないし・・これってどういうことなの?

店内入って商品見てないからわからんけど・・看板だけ替えたということ?

吸収合併にむけて、「サンクス」ブランドはなくす・・ということ・・なの?

久々の書き込みです。

主治医が変わって1年近くになり、血液内科、腎臓内科、眼科、脳外科とあっちもこっちへも顔を出す状況が変わりなく続いていますが、去年の目の手術以後は、そうたいした変化もなくすごしています。ただ歳のせいもあるかわかりませんが、手足の冷たさは歳を追うごとにひどくなっているようで、今年のようにエルニーニョで朝晩のすこし寒いときには、手足がこわばり閉口しています。
 今年は 四国遍路開創1200年 ということで 私もぽちぽち記念ご開帳がある寺などをそれにあわせてて気ままにまわっております。
四国のNHK4局がこれを記念して NHK 四国4局キャンペーンで 「四国遍路1200 とるぽん投稿写真」というのをやってて、ペンネームというかハンドルネーム「蹄鉄」で投稿した写真が、1分ミニ番組「とるぽん投稿写真紹介」で2枚紹介されることになりました。
 全国版ではないので、四国の人しか見れないとは思いますが・・・・。
1分間に何枚か放送されるなかの1枚ですが・・・。すこし前の写真ですが、1枚は「愛媛編」。「春うらら 遍路日和」という写真で、内子から久万方面 ひわた峠へぬける遍路道で撮った写真。
放送は
とるぽん投稿写真紹介 愛媛版(2)
総合テレビ
6月18日(水)後10:49~ 10:50
6月22日(日)前10:54~ 10:55
もう1枚は、「徳島編」私が最も好きな駅のひとつ「秘境駅 坪尻」
放送は
とるぽん投稿写真紹介 徳島版(2)
総合テレビ
6月21日(土)前9:29~9:30
6月27日(金)後8:44~8:45
です。ので 暇だったら見てください。
 

眼の調子

 2月3月と定期診察は、とうとう電車とバスを乗りついで行く羽目になりました、
頼りだった左目の視力が落ち始め、車の運転はちょっと難しいだろうと感じるようになり、自粛して公共機関を利用することにしました。
 しかし都会と違ってi田舎は、公共交通機関は脆弱で、いざ自分が利用すことになってみると不便この上なしで・・・。

 前に移植の時に珠に気分転換をかねて高速バスを利用したことがありましたが、便数も少なくインターのバス停からタクシーを利用するしか足がなく、そのタクシーもバス停から電話で呼ぶのですが、運が悪いと20.30分も待たされることがあるので定期診察のような時間が決まっている時はとても利用できるものではないので、路線バスを利用することにしたのですが・・・これとて便数が多いとはいえず・・・。

 大学病院は松山市の近郊にあります。
家からは、電車で新居浜市に出て、それから路線バス。といっても路線バスなのに特急バスというのが松山まで出ているのでそれを利用します。電車で松山へ行ってそれから大学病院へ行くより時間的にも値段的にも安いからです。何故かというと電車は瀬戸内海に沿って走りますから、うんと遠回りになるからです。路線バスはほぼ高速沿いに走るから距離的には近い、ただ路線バスは時間がかかりますが・・・・この特急バスは、以前歩き遍路の時に横峰寺へ行くときにジョイント地点まで利用したことがあるので、ある程度要領がわかっていました。

 路線の特急バスは、新居浜駅を出て2.3カ所止まって 新居浜住友病院、西条済生会病院、西条駅前を経由して桜三里の峠を越えて大学病院、でこの次の停留所が願センター、それから松山市内に入っていくわけですが、大半の人が大学病院で降りてしまうので少しびっくりしました。運転できなくなって初めてバスを利用ぢている人も多いんだなあと感じましたし、公共交通機関のありがたさもわかりました。

 で診察の結果は
「もう悪性リンパ腫の方は、ほぼ大丈夫だと思いますが・・他の病気がねえ・・」と担当医。
脳外科の方は、様子見、腎臓内科も様子見。
 眼の方は
「どこまで良くなるかわからないけど、白内の手術しかないとは思うけど・・・」と相も変わらず言葉を濁す眼科医。
「でも日常生活に支障をきたしてるし、現に車の運転もできなくなってるので、白内の手術お願いします」とお願いして帰ってきた。

 帰りは西条から電車。男の二人連れのおへんろと乗り合わせる。東京からだそうで64番前神寺を打って西条駅まで歩いて来たそうで
「今日はどこまで?」と聞くと
「65番三角字、伊予三島で降りて」というので
「とても、とても5時までは無理ですよ!歩いてでしょう?」駅着くの3時半ぐらいでしょう?歩いて1時間半では無理でしょう」
「無理ですかねえ?6.7キロでしょう?」
「遍路道歩くつもりなんでしょう?結構きついですよ」
「でも、まあ一応行ってみます」
二人とも頭を見ると私より年配みたいだけど、結構歩きなれてる様子だったので
「じゃあ、頑張ってください。。お気をつけて」とわかれた。
二人の姿を見ると、「またいきたいないなあ」とお尻がむずむずしてきたのだが。lこんな眼の調子じゃあ・・・とてもとても。

▲血液検査の結果
白血球 10000 cre 1.47 尿酸5.8

土佐北街道の・・

土佐立川 経由 伊予 川之江までの街道を 高知から見て北山越えの土佐街道というらしく、一般的には 土佐北街道と呼ばれてるらしい。この立川と川之江の土佐本陣の位置関係が妙に気になり、google earthでちょいとその距離感を見てみたところ、下の立体図のようになった。

やっぱり、これを見てみると 立川番所から川之江の本陣までは相当な距離があり、高低差のある山をだいぶ越えないといけないのだが、これを一日で、 それも2500人もの行列が歩いて通ったとは信じがたい話ではあるが・・・史実はそうなんだから・・・人の足とは凄いものだとあらためて思うねえ。

土佐街道

 「龍馬伝」の放送をきっかけに、昨日近くの図書館で 土佐藩の参勤交代に関する郷土史家が書いた本を借りてきて読んでいたら、かみさんが
「ばあちゃんは、立川から歩いて嫁に来たというとったし、ちょくちょく里へ帰るのに歩いて帰ってたというで!」というので、聞いてビックリ。
 立川というのは、土佐藩の関所で立川番所のあるところ。土佐藩主が参勤交代で使った土佐街道の関所である。テレビドラマでは、龍馬たちが難なく通過できた土佐藩の国境側の最後の番所である。
 「ほんまか?・・・あれ、笹ヶ峰越えで?」
 ばあちゃんというのは、かみさんの父の母である。かみさんの爺さんところへ高知の大豊の立川から、歩いて嫁に来たんだそうな。義父の父の在所は伊予 川之江の山沿いの村であるから、どう少なく見積もっても35.6キロはある・・・。あの凄い山道を朝出て、夕方には着いたと言う話で・・・。
 この街道、標高1000メートルの笹ヶ峰峠を通って川之江側なり立川側に下りるから・・相当きつい道だと思うんだけど・・一日で行き来していたそうだ。義父も歩いて遊びに行ったことがあるそうだから・・当時の人の足の達者さというのには、感心させられる。ばあちゃんが嫁に来てたかだか100年ぐらいしか経ってないのに、この世の中の変わり方・・・。

 私などは、歩き遍路をし始めて やっと最近1日 40キロ歩けれるようになったのに、それも平坦地だからねえ・・。
当時土佐藩の参勤交代の本陣は、立川の次は川之江で、これは街中にあるから、大雑把に見積もっても50キロはある。土佐藩の行列は最盛期、2500人ぐらいいたと言われているから、あの山越えてきたとは・・自分の足から考えるととてもとても信じられるような話ではないのだけれど、実際はそうなのだから凄いとしか言いようがないし、龍馬もまたこのきつい道を、平気な顔をして駆け抜けていったのだろうか・・・。

 なんかこの歳になってはじめて、ちょっと前の時代に興味を持ち始めた・・・。
 歳なのかなあ・・・・