目にはいいかもなあ・・

24日日曜日、再び「歩き」に出かけていく。
「窪川まで行ってないとなあ・・・。先のめどたたんから・・」
「まあ30キロ、一日歩けないようでは、この先無理だものね」とかみさんも言うので、再び朝早く、安和駅へ。
 安和駅から 二つの遍路道を通って 窪川・岩本寺まで約30キロ。これを1日で歩かないと、この先足摺岬まで90キロ・・歩けるはずもない、ということで今日が試金石。
 一泊2日足で心もとない脚だったのだけど、前回靴を替えて歩いてみたら、疲れも痛さもそうでもない・・。靴が悪かったのかと、大いに後悔したのだが、今日歩いてみればそれが正解かどうかが、はっきりわかる。
 前回と同じく 安和駅 に車を置いて 6時に歩き始める。
幸い天気は、快晴に近く朝早いのでまだ、肌寒いぐらいであった。
安和駅から少し土讃線沿いを歩き、焼坂峠へ遍路道は入っていく。なだらかだった山道が急に上り坂になる、標高40mから一気に228mの峠を目指すことになり、坂大嫌いの私には、ホント閉口四辺形で・・



頂上近くから 安和駅が見える・・

焼坂峠までは、安和駅から約1.8k。1時間ちょっとかかる・・。坂は厭だ・・。
高速の工事現場の横を通り、下って土讃線沿いに土佐久礼へ。
街中に入る手前で山のほうへ進路を変える。
「土佐往還そえみみず遍路道」
土佐往還というのは、中世、土佐中央と西南足摺岬を結ぶ国道のことだそうで、そえみみず というのは、この道がみみずがのたくったように曲がりくねってるからだそうな・・。
 土佐久礼から窪川へは 2つの遍路道があって、国道56号線をはさんで上側をまわるこのそえみみず遍路道と下を回る大阪遍路道がある。そえみみずのほうが2008年12月まで高速道路の工事中のため通行止めだったので、たまたま、今頃このあたりに差し掛かってきた私はラッキーだったみたいで・・・じゃあ、土佐往還そえみみず遍路道を・・・ということでこちらを行くことにした。のだが・・・

そえみみず遍路道の道標と目の前の橋が高速道路の工事中の橋


ここから山道に入り、うっと暗い遍路道をしばらくあるいているととなんとまあ・・・急に視界が開けて・・
高速道路を作るために、なんと途中で遍路道がショートカット。綺麗な遊歩道ができているではないか・・唖然としてしまった。


先ほど見えてた橋の下をくぐり


きれいな遊歩道の急坂を登り、先ほどの橋を眼下に見下ろす。
で、きれいな遊歩道はここまで。
これねえ・・高速完成してもこの遊歩道 通るの、遍路以外にそうはいないだろうなあ・・なにせこの高さだし、前後に道ないからなあ・・と考えてたら思わず笑い出してしまった。ホント、アホらし。。役所はなに考えてんだか・・・ねえ。
これからは、再びうっと暗いまがりくねったやまみちで段だら坂がずっとつづく。厭なんてものじゃなく後悔しきり。。
 道標があるところから2時間近くたって、後ろからきた私より若い遍路に追い越される。彼も安和から今朝スタートしたとのこと。
「何時に出たんですか?」と私
「飯食ってだから・・・6時40分ぐらいかなあ・・」
「早いですねえ。私は6時に出たから、40分も縮められてますねえ」というと、若いのに彼は
「歩きは、早い遅いではないですから・・個人差は関係ないことです」というので、感心してしまった。彼は2回目を回っているのだそうで
「前回は、大坂遍路道を歩いたのですが、向こうのほうがこれだとしんどくないですよ、こっちより」と言う。
「へえ、そうなんですか?でもなんか向こうは最後がきついと聞きましたが・・」
「いやこっちのほうが、ずーっと登りでしょう?私にはこちらのほうがきついですね。。こっちは400でしょう?・・もうそろそろ頂上だと思いますからがんばりましょう」と彼は言って、立ち去った。
 そうなんだよなあ・・こっちは標高400あるもんなあ。。
 このうっと暗い山道を朝からずっと歩いていると、周りは緑と木の色だけなので、私の目にはいいかもしれない。山を下りてもこのあたりはたんぼばっかりだから・・・なんて考えてたら、やっと下りに入ったみたいでほっとする。もう11時を過ぎてた。

下りになると、勇気百倍で・・足取りも軽く・・・。そういや、足が痛くないし気にもならないことに気づく。やっぱり私には運動靴のほうがいいみたい。。
このそえみみず遍路道を降りると大坂遍路道を経由して出てくる七子峠は越していることになり、再び国道56号線沿いの平地の遍路道を歩く。周りはのどかな田んぼ。

国道に合流してしばらく歩いていると、前に彼が見えるではないか・・・。ちょっとビックリ。。平地は私のほうが早いのかなあ・・と追いつき追い越す。。
俗世間からは、どうも離れられそうもないなあ・
 雪椿の遍路小屋で、一休みして、後は岩本寺を目指して歩くのみ。
 ここからは、平地で10キロ。
岩本寺には 3時過ぎに入る。
約30キロ完走。これで足摺岬までのめどがたちニンマリとする。

窪川駅 4時半過ぎの土佐山田行き普通列車で 安和に戻る。
窪川手前の仁井田駅で二人、そえみみず、大坂遍路道を出てきたところの駅 影野駅で一人 お遍路が乗ってくる。みなさん、計算が立つなあと感心。
私も、この列車に乗れなかったら次は、もう6時半過ぎとなる。。寺は5時までだから・・。
影野駅から土佐久礼までは一駅なのだけど15分ぐらいかかった。トンネルばっかりでそれも高い位置を走ってる。列車に乗って初めて知る・・・なんとやら。。か。。
 当然ここ歩いたら。かかるわな・・そりゃ・・時間が。
夕日にそろそろ染まりかけた 安和駅を後にして帰ってくる。


帰りがけ、金剛杖の鈴がなくなっているの見つけ、ガックリ。。
そえみみずで失くしたのか?と・・・
一番から一緒に周ってきたのに・・・
  ざんねん。。
▲歩いた道のり

より大きな地図で 安和から岩本寺までの歩き遍路道 を表示

定期診察

定期診察。
どうも他の事に、気を取られているとというか・・・なんというかちょっと気を緩めると、血液検査の数値は正直なもので・・それを如実に表す・・・
「数値悪くなってるね・・」と担当医。
尿酸値 10 cre 1.7
なにをかいわんや・・・である。
・・・学習能力ないなあ・・と反省するも後のまつり。。
当然薬増える・・
がっくりして帰ってくる。
あーーあーーー

巡航船

前回、青龍寺から須崎へ抜けるはずだったのだが、一泊二日足の痛みに耐えかね、宇佐大橋あたりでリタイア。その時、高岡の宿を出る際に、横浪の内湾を走る渡船のことを聞いてたのだけど、それを宇佐大橋あたりで探し出せず、高知県交通のバス、宇佐出張所からやむなく高知へ引返し帰ってきた。
 ところが、帰ってきていろいろ調べ地図で見るとなんと、この宇佐出張所の目と鼻の先にその乗り場があるではないか!・・・
あれほど、その出張所の女の係員に聞いたのだけど、それには一言も触れず須崎へ行くバスの経路ばかりで、結局高知へ引き返したのである。
 確かにバス会社の社員だから、自分のところのバス路線の話をするのは仕方がないにせよ、一言巡航船の乗り場の話をしても、バチはあたらんだろう・・・。ましてや、相手は遍路に来ているんだから。。これじゃあ、路線バスが縮小していくのも当然だろうなあ・・目先ばかりにおわれて了見が狭すぎる感がするが・・。。
というわけで、巡航船を調べていくうちに、高知新聞のこういう記事を見つける。
巡航船 遍路から地域の“足”に
つまりこの記事によると、巡航船のルートがかっての遍路道だったようなので・・・これはぜひとも乗らんといかんなあ・・・と、ちょっと不安な天気だったけれども、土曜日に出かけることにした。
今回のルートは
安和⇒朝倉→宇佐出張所 巡航船 横浪・・須崎・・番外大善寺・・安和
 というコース。
JR安和駅は、絶景のロケーションの駅で、是非とも見たかったので、知人が遊びに行くついでに駐車場の有無を調べてもらってたので、ここに車を置き、JR朝倉駅まで戻り路線バスで宇佐出張所まで行きそれから、安和へ戻るということに。

朝7時前、駅に着き、列車で朝倉駅に戻る。土曜日だというのに、2両編成の列車は学生で満員。少し驚く。朝倉駅前から 4人しか乗ってない路線バスで 宇佐出張所まで行く。終点の宇佐出張所まで乗ったのは私一人。ついたのは 9時40分過ぎ。船に乗り遅れたらいかんと急ぎ足で歩き始める。
・・・・と、乗り場の道しるべを見つけた時にはホントまったく、何で前回教えてくれなんだ?とむかむか腹が立ってしまった。
 なんと歩き始めて 2.3分も経ってない。やま離れたとして ホント100メートルぐらい・・・・しか離れてないのよ、これが・・・高知県交通 宇佐出張所と。。
 言いたかないけど、公共機関に携わるものこそ、お接待の心を持ってほしいね・・
 


市営巡航船乗り場の案内板は、ともすれば見落としそうなぐらい目立たない。
 これでは、よそ者には利用されたくないんじゃあ?と・・うがってしまうほどで・・・。
待合室の戸を開けると、船長さんが一人たたみの上でくつろいでいた。
「10分ほどで出るから・・」と
「トイレないですか?」と聞いたら
なんと船長さんが、こう答えた。
「ないですねえ・・・、・・・するならバスの待合所へ行ってもらわないと・・」
 ええっ・・こちらではバスの待合所のことが出て、向こうでは 一言も出ない・・・・世も末だね。それとも私が聞いた相手のバス会社の係員の当たりが悪かったか・・・何週間も損した気分だなあ。。
あそこまで戻るくらいなら、ガマンガマン。。

お客は、私と、近くの民宿のおかみに連れられてやってきた夫婦連れのお
遍路。計3人。
 この巡航船は、市営で日曜祝日は休みである。
 夫婦連れのお遍路のだんなが
「この船のこと知ってました?」と聞くので
「知ってたんだけどねえ・・・」・・前に来たとき見つけられなくてねえ・・とも言えず・・あとを濁す。
「そうですか?知ってたんですか・・。今朝民宿出る時に聞いてねえ・・・歩くつもりだったから、今日の泊まりは須崎にしてしまって・・・先に知ってればねえ・・」とだんなも後悔しきりの様。。
 巡航船は 海の中に中州があるからとぐるりと回りながら進んでいく。
船長いわく、
「こういう風に周りが山に囲まれている湾なので、ほとんど波がない。台風の時ぐらいでね波があるのは・・。」と
確かに ほとんど船は揺れない。ゆれるのは他の船とこの船が引き起こす引き波に当たったときぐらい。いたって乗り心地はいい。
船長を見ていてちょっと面白いものを発見。

いす・・・上げ底なんだねえ・・これが・・。いすが落ちないのが不思議というか面白い・・。
「昔から 地域の足としてねえ、この船はあったんですよ。湾内の部落の船着場を行ったりきたりしながらね。船着場に人が立ってないと寄らないで素通りするんですよ」と船長。
 一時間ぐらい あっちへ行きこっちへ行きしながら巡航船は、横浪に着き、私たちを下ろして、さっと走り去った。


下りしなに船長が
「仏坂不動尊のある道より、湾沿いの道を歩いたほうが歩きやすいよ」といってくれたので、下の道をあるくことにした。まあいわば横着なほうを選んだということだけど・・
 須崎への中間辺りにある遍路小屋で休んでいたら、私より大分年上のお遍路が追いついてきて
「まいった・・・ここまで来るのに五時間半もかかった」とため息をついてる。時計の針は12時半ぐらい。
「どこから歩いてこられたんですか?」
「国民宿舎」
「青龍寺の?」
「そうなんだよ、あそこから5時間半・・・こんなにかかるとは・・・」
青龍寺から横浪スカイラインという道が、太平洋に面している外側を通って、この遍路小屋の手前で、内湾沿いに来た道と合流するのである。
「そうですか・・・あっちは遠いといってましたからねえ」と私。
「あんたは?」
「私は、船で・・」
「えっ?船に乗ったの?船があるといってたもんなあ・・・。俺もそうすりゃよかった。。」うらやましそうに。。
「なんか路線バスもなくなったというし・・・。遍路だけ載せてったてペイしないだろうから・・田舎はだんだんなくなっていくんだろうな」とその叔父さん。相当へたばってるようで
「近くにコンビにあるといってたから、がんばってきたのに見当たらないねえ」と私に
「ないみたいですよ、もっと先の市街まで行かないと」
「ホントかよ・・」とがっかりした様子で、遍路小屋の床に上がりこんでしまった。
疲労困憊の叔父さんを残し、先に遍路小屋を出る。
須崎の市街の入り口で遍路道は、住友大阪セメントの工場の脇を進む。何で?と思うけど・・・遍路道自体がこの工場の端まで伸びてるから、不思議。
 右が工場
歩きに来て お寺参りをしないのもちょっと物足りないしさびしいので、須崎のはずれにある 番外 大善寺に寄る。
これが急な絶壁の上に立っているような感じのお寺で上ると目の前が絶景。

ここから、国道のトンネルを抜けて 安和 へ向かうのだが、トンネルが意外と長いし、白線だけの歩道だけだから怖いしほこりっぽいし排気ガスで息苦しい。次のトンネルの手前で、マスクを持ってきてないので、タオルで覆面をする。これで大分楽になった。
三番目のトンネルの手前で海側の道を山越え。
 安和の駅を上から見たかったため。


 今日の歩いた距離 16キロ
 (巡航船での移動距離 含まず)

母の日

初夏のような暑い一日。日差しがきつい。
知人が、母の日だというので かみさんにとカーネーションの花束をもって来てくれた。大きな花束でビックリするわ大喜びするわで かみさんともども感謝。

で、自分はというと 施設に入っている母親に カーネーションが数本入った小さい鉢植えを持っていった。
 認知症が少しずつ進みはじめているお袋は、周りの介護士さんたちが
「今日は何の日?ええなあ、ええもんもろて・・」と話しかけるのであるが所在無く微笑みうなずくだけ・・・
そろそろ帰ろうか・・・という時になって、ヒトの顔を見て
「される値打ちがない・・」とぽつんと言った・・
 ・・覚えてるんだねえ、肝心なところは・・
帰ってかみさんに言うと
「それは される値打ちじゃなくて、する値打ちと言ったんじゃないの?・・今頃になってしても値打ちがない・・ と言いたかったんじゃないの? 」と。
「・・・・確かになあ・・・」・・次の言葉が出てこず・・
 母の日、父の日・・苦い思いをするばかり・・

料理屋のおっさんが・・

「あんた・・歩きよるの多いなあ・・!遍路よ。そこもここもにもオルが!」と店に入ってくるなり、料理屋のおっさん。
おっさんは、この連休の日月と四万十へうなぎの仕入れに行っていたのだ。おっさんは私が歩きに行ってるのを知ってて・・今度も私が
「四万十行くんだったら、ひょっとしたら会うかも・・」といってたものだから、道々ずーっと遍路姿の男の顔を見てたんだそうで、1泊2日足の私がケツをわって帰ってきてたことなど知らないから、2日間見てたら、その歩いてる数の多いことにびっくりしたようで・・・
「まあ、次から次と沸いたように歩いとってびっくりしたわ・・。」とおっさん。仕入先へは普通は電話で済ますのだけど、久しぶりに顔見世にいかんと・・・ということで行ったらしい。でそこの親父さんに話を聞いたら
「あのNHKの街道テクテクで女の子の卓球選手が歩いてから、ぐーんと増えたってよ。それまでは、歩きなんてポツポツだったのにな・・。まあ、増えるのはええことかもしれんが、そのぶんパタパタ行き倒れがふえてなあ・・・と言うとったで」とおっさん。
「ふーん・・行き倒れ・・」
「まあ拝みもって死んでいくんだから、本人はそれでええかもしれんがなあ・・とよ!」
「へえ・・結構トラブル増えてるんかなあ・・・」
「行くのはええけど、あんた気付けとったほうがええで!」
とひとしきり、あっちで聞いてきた遍路の話をして帰っていった・
まあ、確かに相当増えてるから、私も歩きながら多少は感じるところもあったのだが・・・・・
△ 四国八十八ヶ所感情巡礼 
   車谷長吉
 去年文芸春秋に連載されている時から読んでいて、単行本になっても 歩きに出る前に読んで、出かけていたのだけど・・・
 

 最近、歩きが進みだしてからは手に取ることもなくなってきた。
 歩きが進みだして読むより、これから「お四国」でもと歩き始める前に読むほうが面白いかもしれない・・